本居宣長(Motoori, Norinaga)

2021年4月18日 (日)

”White imperialism" and epistēmē or Foucault ‘abused boys in Tunisia’ (2)

 I have written my own comments on the Nikkei Business website article and our blog article. I would appreciate it if you could refer to them.

(1) Our comments on the Nikkei Business article (2021/04/14)
Pedophilia and white imperialist suspicions about Foucault, a giant of 20th century knowledge: Nikkei Business e-Bulletin
  White imperialism is latent in Western intellectuals, hard to extract. Kant, an advocate of black slavery, went so far as to say that the best thing for blacks was to civilize them, and that was to make them work for whites (this was taken from Marx Gabriel).
  Compared to the contemporaneous French neighbors who created the "Friends of Negroes", Kant is somewhat less coherent (=double standard) as a great teacher of ethics. My judgment is that it is better for us non-Westerners to keep it in mind and decide individually whether to "use" or "discard.

(2) Self-comment on our blog post (2021/04/15)
White imperialism" and episteme: Hon ni Oboretai
 I would like to add.
 In the comment section of (1) above, there are a number of posts "defending" Foucault. I can only assume that these people have a fatal lack of imagination.
 If they have a daughter/son around 10 years old, how would they feel if Foucault said to them, "It's okay to have intercourse with your child if it's consensual. Right?"
 There is no way I could allow such a thing. You would think that such a person should be thrown into jail as soon as possible, or be sentenced to "punishment by exile" as in the Tokugawa period.
  At the very least, it is outside the scope of "human freedom" when it comes to sexual activity between adults and minors (under the adult provision that legally entrenched social conventions).
 This resentment is something different from the discourse that Foucault has been working on, I should think, but from a "emotional" point of view, it must be quite difficult. This is my honest opinion.

See (1).

(The above was translated with the help of DeepL.)

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2021年4月13日 (火)

”White imperialism" and epistēmē or Foucault ‘abused boys in Tunisia’ (1)

P1
 The following article was published in The Times (Sunday edition) on March 28, 2021. It is a paid article, so you can only read a snippet of it from the Internet. I found out about it from the article on the Japanese website at 2).

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「白い帝国主義」と epistēmē

P1
 下記の記事が、The Times(日曜版)の2021年3月28日に掲載されました。有料記事なので、ネットからではそのさわりしか読めません。私は、2)の日本語サイト記事から知りました。

1)French philosopher Michel Foucault ‘abused boys in Tunisia’ | World | The Sunday Times
2)20世紀の知の巨人フーコーに小児性愛と白い帝国主義者の疑惑:日経ビジネス電子版(上記画像も、お借りしました。)

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2020年5月 4日 (月)

「悪」の存在確率/probability of evil

 ひとは、善と悪、ともに選び得る。そこに人間が自由とともにこの「世界」に生まれでる存在的根拠がある。これが人間というものに対する私の基本的考え方です。このことは、すでに弊ブログ記事上でも折に触れて言明しました。

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2019年5月26日 (日)

江戸人の「本居信仰」(1)

 言葉/message には送り手と受け手がいます。

 ブッダ Buddha 、孔子 Kǒng zǐ やイエス Jesus が言葉を残す。それを誰かが受け止める。歴史上の偉大な人物や思想家の言葉は、テキストとして残り、それを後世の人々が読むことになります。そのとき、私たちはその人物が「なんと言ったのか」、その発言の「真意はなにか」という点に注目します。その人物の言葉や行動が気になり、もっと知りたいと思うから、その書を繙(ひもと)くのですから、当然です。

 しかし、へそ曲がりで、多数の人々の織りなすに軌跡としての歴史に関心のある私は、《聖人》たちが「なに」を「どう言った」か、よりも、人々がそれを「どう受け止め」てその後「どう行動したのか」に興味がいってしまいます。

 この日本列島の初期近代(early modern age)に、本居宣長(親から与えられた名は、小津富之助)という人物がいます。生まれたのが1730 (享保15)年、没したのが1801(享和1)年 ですから、徳川18世紀を丸々生き切った計算です。この人の名を聞くと、年配の方なら、「かんながらのみち(惟神の道)」といった言葉を思い出して、昭和初期の暗い日本を連想してしまうかもしれません。生業は医師(薬師)です。この列島が生んだ最も偉大な学者の一人で、流布している古い宣長像に反して極めて明晰で、論理的な頭脳を持つ人物です。徳川中期の伊勢松坂という、大きな波乱もなく静謐な生活の中で、己の才を発揮するために天寿を全て使い切りました。歴史上、往々天才は薄命なものであることに比べると、幸運な人とも言えそうです。

 これだけの人ですから、現代も含め、後世に正負ともに大きな影響を残しています。無論、彼の学問的遺産やその思想が優れて巨大なものだったことがその理由ですが、宣長の思想や学問はなにか、と問い続けている限り、彼の歴史上の意味は分かりません。宣長を他の人々はどう受け止め、どう宣長を語り、そしてどう行動したのか、を知らないと、歴史への影響力を実測できないと思います。下記はそのサンプルです。

Screenshot_20190526-he13_03474_0012_p000  左の画像にマウス・ポインタを重ねて拡大画像を見て下さい。真ん中、右下の置時計風の絵の下に「本居信仰 もとおりしんこう」と、字とともにご丁寧に振り仮名までふってあるのがわかります。これは、1809(文化6)年に出版された、変体仮名・草書体漢字で印された木版本(いわゆる和本)です。宣長が没して8年後に出されていることになります。

 二つめの画像は、当該の頁すべてのものです。「本居信仰」以降を読んでみましょう。画像が不鮮明で、印字の状態もよくありません。さらに困ったことに現代の活版印刷の本とはかなり異なり、読むのが難しそうなので、私はあんちょこを利用させて頂きます。すると、こう読めます。

 

He13_03474_0012-2本居信仰にていにしへぶりの物まなびなどすると見えて、物しづかな人がらよき婦人二人おのおの玉だれの奥ふかく侍るだらけの文章をやりたがり、几帳のかげに檜扇でもかざしてゐそうな気位なり  けり子「鴨子さん、此間は何を御覧じます」と  かも子「ハイうつぼを読み返そう存じてをる所へ、活字本を求めましたから幸ひに異同を訂してをります さりながら旧冬は何角と用事にさえられまして、俊蔭の巻を半過ぎるほどで捨置きました」  けり子「それはよい物がお手に入りましたね。」  かも子「けり子さん、あなたはやはり源氏でござりますか」  けり子「さやうでござります。加茂翁の新釈と本居大人の玉の小櫛を本(もと)にいたして書入をいたしかけましたが俗びた事にさへられまして筆を採る間がござりませぬ」   かも子「先達てお噂を申た庚子道の記は御覧じましたか」   けり子「ハイ見ました。中々手際な事でござります 志かし疑はしい事はあの頃にはまだひらけぬ古言などが今の如ひらけて、使ひざまに誤のない所を見ましては校合者の添削なども少しは有つたかと存ぜられますよ」  かも子「何にいたせ、女子であの位の文者は珍らしうござります 先日も外(ほか)で消息文を見ましたがいにしへぶりのかきざまは手に入った物でござります」   けり子「さやうでござります。何ぞ著述があつたでござりませうね。」   「世に残らぬは惜しいことでござります。ホンニ怜野集をお返し申すであった。永々御恩借いたしました。有りがたうござります」

He13_03474_0012-3 この三つの画像は、すべて同一の和本からのもので、式亭三馬『諢話浮世風呂』2編の序題:女湯之巻。文化6年の再刻本です。出典は優れた古典籍コレクションを有する早稲田大学図書館様の下記サイトからDLしたものです。

 

古典籍総合データベース 浮世風呂. 前,2-4編 / 式亭三馬 編 ; 北川美丸 画

 そして私が上記和本のあんちょことして使用したのが、国立国会図書館(NDL)デジタルコレクションの下記です。

①明治18年 諢話浮世風呂
M182digidepo_878246_pdf-122 M181digidepo_878246_pdf-121

②明治41年 浮世風呂

M41digidepo_877812_pdf-127

 

 本居宣長は、没して10年も経たないうちに、式亭三馬『浮世風呂』によって、笑い話の種として使われました。ということは、生前からその盛名が、遠く江戸まで鳴り響いていて、富裕な町人の妻たちの日常会話に既になっていた。それもゴシップの類というより、サッカレー(W.M. Thackeray,1811―1863)が『スノッブ読本The Book of Snobs』(1848)で、イングランドの中産階級(middle class)のsnobbismを揶揄した現象と事実上同じものがあった、ということです。そして、より重要な事実は、「本居宣長の学問/思想」とされていたものが、徳川庶民にとって特別に知的なことではなく、ちょっと知的に気障なことぐらいのポピュラリティを得ていた、普通の会話アイテムになっていた事でしょう。こういうところに現れる「当たり前さ」が、普通の多くの人々をそれとは知らずに動かす、「思想」の真の影響力であると私は思います。

※参照 思想史研究における生産者主権と消費者主権: 本に溺れたい

 また、同一の書物であるにも関わらず、文化6(1809)年の『浮世風呂』の和本の木版書体と、①明治18(1885)年の洋装本の活版書体、また②明治41(1908)年の活版書体がそれぞれかなり変化していることに気付きます。

 ②は活字が使われていますが、ところどころ変体仮名がまだ使われています。③は、②と同じく活字書体ですが、変体仮名はかなり減り、その代わり、漢字の当て字が急激に多くなっています。

 変体仮名は、一音にも様々な漢字から変形した何種類かの字体が使われていたものです。平安の古代から、明治33(1900)年まで。明治33年33 に、小学校令が改正(左記、画像参照)され、そのときの施行規則第16条で、一音に一字の仮名が確定・制定されました。つまり、変体仮名の使用禁止です。徳川期の木版印刷物は変体仮名/草書体漢字、明治前期の活版印刷物は、多少減りましたが変体仮名は使われていましたので、明治33年以降に初等教育を受けた日本人は、基本的に、それ以前の印刷物、特に徳川期の木版印刷物(和本)は、読むことが出来ない事態となっていた訳です。

 弊ブログで何回か触れましたが、国文学者中野三敏氏によれば、徳川期に写本や木版印刷で出版され、流通した書物で、明治以降、文部省制定の正書体仮名で活版印刷化(翻刻)されたものは、大きく見積もっても、徳川期総流通点数の1%を超える程度とのことです。逆に言うと、私たち現代日本人は徳川270年間の書物のうち、99%を実は知らない蓋然性が高く、それらを読まないままで論じて来ていたことになります。

 中野氏以外にも、歴史学者平川新氏が、「日本には数億点の歴史資料が未発見・未整理のままに眠ってい」て、「多くは江戸時代や明治時代に村役人を務めた旧家に保管されてい」ますが、もし「これらが全部発見され歴史研究に活用されると、これまでの歴史解釈や歴史理論の多くはひっくりかえるのではないか」と述べています。『戦国日本と大航海時代』/平川新インタビュー|web中公新書

 この数億点の文書類は、当然徳川フォーマットである、変体仮名/草書体漢字で書かれていますので、問題はかなり大きいと思われます。

(2)へ。

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2019年4月10日 (水)

柳田国男の Conservative political theory

 柳田はこの「天然の禁色」(柳田当該書p.7)の社会心理の特質として、二つのことを挙げている。第一に自発的なコントロール、「特に制度を立てて禁止された」(柳田p.8)抑制ではないということ。第二に感覚的なコントロール、「必ずしも計算の結果ではなく」(柳田p.8)ということ。

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2019年2月16日 (土)

吉田裕著『日本人兵士』2017年、を読んで ― あるいは、歴史的思考法について(1)

 歴史学の名著があるとしたら、下記の本は平成の名著として後世長く伝えられることになると思います。

吉田 裕 著『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』 中公新書2017年12月

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2018年3月16日 (金)

本居宣長と両墓制

 宣長には、二つお墓があります。先祖伝来の菩提寺、浄土宗樹敬寺に一つ。もう一つは、宣長を実際に土葬した、松坂郊外の山室山の頂上(一応、浄土宗妙楽寺の寺域内)の「本居宣長之奥津紀」です。前者は、世間一般の法事等のためのもの。後者は、いわば「本居宣長」という大学者のファン用のもの、です。

 ここには、建前上は平穏に暮らす市井人、仮の宣長と、古の雅な世界に遊ぶ、本音の真なる宣長、がある、というのは、見やすい点です。仮面の人「本居宣長」の、内面の自由の発露、と言えるのかも知れません。ただ、もう少し当時の一般の慣習に視点を広げると下記のようなことがあります。

 ・・・、近世になると、身分や階層に関係なく、すべての人に墓が作られるようになるが、それは両墓制とよばれる特異な形態をとった。両墓すなわち二つの墓とは、埋め墓と詣り墓とであって、別の場所に造られる。死者は埋め墓に葬られる(土葬)が、そこにはそれ以後は家族も近づかず、年忌の法事などは、すべて詣り墓で行われる。詣り墓は寺の近くにあるのが普通で、そこで行われる死者のための供養も、仏式によっているから、この詣り墓は仏教の普及と関係があり、したがってこの二つの墓を造る風習も、さきに見たように仏教が普及した十五世紀前後のころに生まれたものと推測される。・・・。
 詣り墓仏教の影響で生まれたとすれば、古代以来の日本の一般の庶民の墓は、埋め墓だけあり、それは捨て墓ともよばれるように、死体遺棄に近い性格のものであったと推測される。古墳の被葬者が不明になっているのも、葬った時の儀礼は重要であっても、その後に継続して死者のための祭祀が行われるということはなかったからであろう。これも一種の遺棄である。
 両墓制の風習は、現在でも奈良県や三重県など、近畿地方の農村に多く残っている・・。
尾藤正英『日本文化の歴史』2000年岩波新書、pp.131-2

 宣長は松坂の有名人でしたから、その葬儀は松坂奉行所からも注視されていました。宣長の遺言書中にある、遺体を入れない空の棺は樹敬寺へ、遺体の収められた棺はその前夜密かに妙楽寺へ、という異様な葬儀指示は、松坂奉行所の意向を受け、実際には、一旦、遺体を安置した棺を樹敬寺へ送り通常の葬儀を済ませ、その後、山室山の頂上に埋葬したようです。しかし考えてみると、奉行所からの指図による変更はこれだけだったようですから、宣長が指示した「墓を二つ造る」、ということは特に問題とされてはいなかった、と思われます。つまり、上記、尾藤氏の記述通り、この伊勢あたりでは普通の当たり前だったことになります。

 問題は、宣長に二つの墓があることは(当時の)世間並だったとしても、その重みが世間と全く逆だったことでしょう。お墓の主、宣長にとっては、世間でいう、遺体のある「埋め墓」(別名捨て墓)が真の大切な墓であり、縁者たちが永く法事を営む「詣り墓」は、世間様とのお付き合いのための形式的なものでしかなかった、からです。古代主義者である本居宣長にとっては、古代の習俗を残す「埋め墓」が、仏教化後の「詣り墓」より重要なのは当然ですが、当時の松坂で当たり前の「二つの墓」の建前を逆手に使い、それを自らの本音を実現する「二つの墓」に仕立て上げた訳です。

 彼の学問スタイルである、本音で建て前を脱構築(déconstruction)する方法論を、人生最後で最重要なイベントにおいてさえも実施した本居宣長。これはある意味、日本知性史において、驚くべき人物(渡辺浩)だったと評されるのも頷けます。私のような単細胞とは思考回路が異なり、一筋縄ではいかないのは明らかです。スフィンクスの謎かけのように、彼の問いに答えられないとむしろ逆襲されて、その思想に呑み込まれてしまうような危険人物だと改めて思います。桑原桑原。

下図、参照。図1、2、3とも、宣長十講|墨彩画講師の徒然日記、様より拝借

〔参照〕
渡辺浩『日本政治思想史』2010東大出版会、pp.274-5。
子安宣邦『本居宣長とは誰か』2005年平凡社新書、pp.191-3。
田中康二『本居宣長』2014年中公新書、pp.210-1。
城福勇『本居宣長』1980年吉川弘文館、p.237-47。
尾藤正英『日本文化の歴史』2000年岩波新書、p.130-3。
松本 滋「本居宣長の遺言について」1967「宗教研究」41(2)
※本論文、松坂奉行所の件(p.6)、両墓制に関して(p.13)、参照

〔参照→弊ブログ〕

〔図1.宣長の詣り墓、本人デッサン〕

〔図2.宣長の埋め墓、本人デッサン〕

〔図3.宣長の位牌、本人デッサン〕

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2018年3月 9日 (金)

借りた本はサッサと読んで貸主に返しなさい(by 本居宣長)

 宣長の、本を借りたら読んで早く返しなさい、のエピソードは下記にあります。

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2017年12月31日 (日)

マスコットと苦難の神義論(mascot and Theodizee des Leidens)

マスコット( mascot [en]/mascotte [fr])
英語圏には,フランスの作曲家オードランEdmond Audran(1840-1901)のオペラ《 La Mascotte 》の公演(1880)を機に知られるところとなった語。

このマスコットは、今では、幸福をもたらすものとされているが、この言葉は、もとは、女妖術師なし魔女を意味するマスコ(masco)というフランス東南部のプロバンス語から来ている。元来は、不幸をもたらすものだったが、逆の意味になったわけである。日本の客商売の家にある招き猫も一種の呪術である。P.210、吉田禎吾『呪術』講談社現代新書1970年

 呪術は、宗教とともに、人間が生存していく際に生まれる種々不安や緊張をやわらげ、そこに直面する生と死、健康と病気、幸と不幸にある種の説明や意味づけを与える。それは苦痛を耐える一つの手段である。意味づけのない苦痛は耐えられないからである。その意味では、呪術や宗教は、人間の自然への順応において、精神的な問題を埋める働きを持つ。そのために自然への適応様式としての技術や科学がどんなに発達しても、或いは発達すればするほど、技術文明に疎外される人間の精神的な間隙を埋める呪術は消滅しないだろう。P.211、同書

 Max Weberは、宗教社会学上の概念として、「幸福の神義論 Theodizee des Glueckes」、「苦難の神義論 Theodizee des Leidens」という分類を提示しました。前者は《幸福の正当化》、後者は《苦難の正当化》という役目を果たします。
マックス・ヴェーバー『宗教社会学論選』みすず書房1972年、P.41、P.45、参照

 人生において耐え難い苦痛を被ることなど、誰しも望みません。しかしこの世の中の誰かしらには、そういうことが起きてしまいます。2011年3月11日の東日本大震災では、被害者は約2万5千人(死亡16千人/行方不明2.5千人/負傷者6千人)に上りました。あのほぼ一瞬の出来事で、そのご家族、肉親の方の衝撃を含めて考えれば10万人近い人々に、《人生において遭遇する耐え難い苦痛》が襲いかかっています。

 私的な出来事ですが、亡母は初産の女児を生後五十日で喪いました。私の姉です。棺に納められたとき、私も入る、と取りすがって泣き叫んでいたんだよと、亡父からその様子を教えられました。激情家でもあった母なので私も頷きました。

 その母の晩年に、気後れしながら私が、「お姉ちゃん、かわいそうだったね」と言うと、「もう忘れちゃったよ」とだけ何気なさそうにポツリと、少し笑みを浮かべながら答えてくれた母の声が、未だに悲しく思い出されます。忘れる努力の末、半世紀以上胸底に静かに置いてきたことなのだな、とその時感じました。

 人には「忘却する」ことで、痛苦と「ともに生きる」道もあるのではないでしょうか。そしてそれは、大部分の(宗教的に折衷的な、神仏混淆的な)日本人の《辛さ》への対処法なのだろうと思います。

※下記の本居宣長における《不幸の神義論》も参照されたし。
小津富之助とは何者か(2)

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