歴史と人口 (history and population)

2025年1月16日 (木)

世界人口の推移(19世紀以降)/ Trends in the world population (since the 19th century)

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上図は、File:World-Population-1800-2100.png - Wikimedia Commons 様から拝借しました。弊ブログの background color が紫のためとても視認しにくいので、マウスポインタを重ねてクリックしてください。明るく鮮明で大きなグラフが出てきます。それを見ながら弊記事を読んで頂けますと助かります。
 このデータから明らかに読み取れることは、下記の3点です。

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2025年1月 1日 (水)

自称リアリストたちは、「成長」の白昼夢を見るか?/ Do these self-proclaimed realists have daydreams of “growth”?

地球の半径は約6400km、円周は、約4万km。表面積は5.1億km^2。陸地面積は約1.5億km^2。海洋面積は3.6億km^2。この地球のサイズは人類が逆さになっても増やせません。

また、安田喜憲(環境考古学)によれば、地球の最大可耕地面積は21億ha、最大人口支持力は80億人。国連の世界人口推計で2022年には80億人を突破しています。

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2024年11月10日 (日)

「産業革命」の起源(2)/ The origins of the ‘Industrial Revolution’(2)

塩沢先生
コメントと興味深い記事のご紹介ありがとうございます。

見はるかすかぎり、風車が林立している農村、などというのは、壮観かつ何か心躍るものがありますね。

※参照 ´Fryslan boppe´. An in-depth inspirational analysis of work rewarded with the 2024 Riksbank prize in economic sciences. | Real-World Economics Review Blog

ご紹介の記事の著者のいうように、'to mechanize production processes' を「産業革命」の核心とするならば、この史実は「産業革命」と言うに値します。

しかし、人力、畜力、自然力(風車、水車、帆船)では、動力源としての出力に限界があります。やはり、1765年のJ.Wattによる蒸気機関の飛躍的改良、1883年のG.Daimlerの4サイクルガソリンエンジンの実用化、この二つの、自然力の限界の突破する動力系技術の画期が、水晶宮(1851年)やエンパイヤステートビル(1931年)を人類が創り出せた核心だと思います。

一方で、大陸低地地方での史実は、人類の一つの未来像を提示しているかも知れません。エコロジストや自然エネルギー論者にも心強い具体的事例になる可能性はあります。私も、環境問題の根本的解決は、人口減少とそれに見合う規模の産業活動だろうと思っています。

徳川日本での産業活動を考えた場合、西欧における「産業革命」との突出した違いは、動力系技術の有無です。多分、徳川日本にも似たような機械的機構を作る知識と技術はあったと思います。

和算はある面では高度に発達しましたが、エンジニアリングには連結せず「無用の用」として明治を迎えました。

お茶をお客様に出す、からくり人形は、かなり精巧なオートマタです。この人形の歯車の歯の数は全て素数、という事実を下記のサイトから知りました。

素数を知っていた日本人 | texas-no-kumagusuのブログ

そのため、その人形の動作のルーチンが最大の周期になるように設計されている事になります。つまり、客が見ている間は同じ動作をしないので、まるで生きているように見えるという寸法です。

徳川日本の園芸家たちは、メンデルの法則を利用して、変化朝顔の新種を生み出すのに血眼でした。
恐らく、大型建築/土木技術にも、今まで気づかれてこなかった、数理科学的知識が応用されている事例があるでしょう。

徳川日本には、数理科学系の高度な知識も、精密なエンジニアリングもありましたが、それらは全て「遊び」でした。それも、貴族の「遊び」ではなく、庶民の「遊び」として。

※参照 芸に遊ぶ/ It is one sign of human maturity to enjoy things that are useless: 本に溺れたい

それにしても、なぜ、それを大量生産とか、動力化機械の方へ向けなかったのか。私にも現在時点で、仮説さえもありません。

しかし、それだから、近代西欧に「大日本国」は後れを取った、とは私はあまり思いません。それは、西欧人の合理性志向があまりにも偏ってきたからです。つまり「合理性への逸脱 Deviation into sense」という側面がかなりあったのではないか、と疑ってみる必要があると考えるからです。

地球の現在の耕地面積の人口扶養力が80億人なのに、現在の地球人口は80億人に達しています。この事実は、近い将来、資源の奪い合いが起こることがかなり確実だということを示すでしょう。日本列島の人口は今がほぼピークで、2100年には4000万人台になる見通しさえありますので、日本人は人口減少が庶民の幸福に生かされるような社会の仕組みを構築することで人類に良いモデルを提供できると思います。

そのとき、徳川日本という、基礎資源の輸出入をせず、庶民は豊かになる(物的生産性があがり余暇ができると)とそれを知的遊びに蕩尽した、人口規模3500万人の国家の歴史的経験を日本人は生かせるのではないでしょうか。

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2024年5月13日 (月)

書評:関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月

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関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月

本書は、関 良基氏の手になる、「明治維新」を再考する三作目の著書です。
1)『赤松小三郎ともう一つの明治維新 ―テロに葬られた立憲主義の夢』2016年12月
2)『日本を開国させた男、松平忠固 ―近代日本の礎を築いた老中』2020年7月
これで、関 良基氏の「幕末維新」三部作(すべて作品社刊行)が世に問われたと言ってもよいでしょう。

本書を論ずる枕には、一つの推薦文を置くことが適切であろうと思います。江戸文学/比較文化研究者である田中優子氏(前法政大学総長)のものです。

「日本を、江戸時代からやり直したくなる。いや、やり直さなければならない。
強くそう思わせる、驚くべき著書だ。現代日本を見ていて「何かおかしい」と感じ続けている。近代と戦後日本は、もっと別の可能性があったはずだ。なぜ日本の近代は天皇制となり、その結果、あのような戦争に突入して行ったのか?戦後になったというのに、なぜ藩閥政治のような考え方が今でも世襲的に繰り返されているのだろう?
なぜマルクス主義者たちは国粋主義者と一緒になって江戸時代を否定したがるのか?
これらは明治維新のもたらしたものではないのか? 本書は、それらの謎を解く、新たな入り口を開けてくれた。発想の転換だけではなく、価値観の転換を迫られる。」


1.【本書目次】

はじめに――“江戸の憲法構想”と“もう一つの近代日本”を求めて
第Ⅰ部 徳川の近代国家構想――もう一つの日本近代史の可能性
 第1章 よみがえる徳川近代史観――尾佐竹猛と大久保利謙
 第2章 慶応年間の憲法構想――ジョセフ・ヒコ、赤松小三郎、津田真道、松平乗謨、 西周、山本覚馬
 第3章 サトウとグラバーが王政復古をもたらした

第Ⅱ部 徹底批判〈明治維新〉史観――バタフライ史観で読み解く
 第4章 〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇
 第5章 唯物史観からバタフライ史観へ
 第6章 丸山眞男は右派史観復活の後押しをした
 終章 福沢諭吉から渋沢栄一へ

あとがき 〝近代日本の記憶のあり方〟と〝未来の歴史〟を変えるために
注/人名索引


2.【紹介】
本書の一貫した主題は、あり得たはずの“もう一つの近代史”の説得的提示です。

第1部では、既に〝江戸時代〟には、近代主権国家の必須要件である「憲法」が、自生的かつ幾つも構想されていた事実、およびその「証拠」を列挙します。

まず、戦前においても、日本のもう一つの〝近代〟の可能性を論じた二人の史家、尾佐竹猛と大久保利謙を取り上げ、それに導かれる形で、より詳細かつ具体的に、6名の憲法構想者とその憲法案を取り上げて比較検討します。

第Ⅱ部では、「証拠」があるにもかかわらず、明治以降の歴史学が、それらの歴史的証拠(evidence)をなぜ軽視したり、無視できたのか、その理由を考察します。

具体的に俎上に上るのは、戦前の文部省編『維新史』、司馬遼太郎、井上清、遠山茂樹、丸山眞男、等の議論です。それらの比較検討の結果、〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉および丸山眞男の維新史観、これらの評価軸がみな共通して、長州/薩摩連合による「武力倒幕」を肯定しており、その意味で、これらは、本質的に共通性がある、としています。私流に言い換えれば、〈同じ穴の狢ムジナ〉となりましょうか。

そして、Ⅰ部とⅡ部の接続部、つまり、第Ⅰ部のおわりに、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」を挟みます。これによって、「江戸」から「明治」にかけて、歴史が「進歩」ではなく「退歩」してしまった歴史の”捻じれ”、の実例とします。著者関
良基氏はこれを、

「覇権国の軍事支援があれば、前近代は近代に勝利し得る。明治維新とはそういうことなのだ。」第4章「〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇」、本書、p.149

と簡潔に(冷徹に?)表現しています。著者にこのような歴史観の洞察を可能にしたものが、第5章で論じられる複雑系科学に基づく「バタフライ史観」です。

本書で展開されてきた議論を総括するのが、終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」です。著者は、これまでの歴史学において、何故、渋沢栄一が過小評価され、福沢諭吉が過大評価されてきたのか、その由来を尋ねます。

ダウンロード - 福沢諭吉vs.渋沢栄一

上記の比較考察から、著者はこう述べています。

「渋沢は、数多くの会社経営のかたわらで、・・・、(孤児院、日本赤十字社など)、多くの社会福祉事業に関与し続けた。 丸山眞男は、自己責任論を主張した福沢の方が、弱者救済を主張する渋沢よりも近代的だと考えるのであろうか?」本書p.223

「江戸の寺子屋教育の申し子と言ってよい渋沢が、製造業・金融業・運送業・食品業と多方面にわたってベンチャー企業の創業活動を行なって、日本資本主義の父となった。渋沢の存在そのものが、江戸の寺子屋の人材育成に優れた面があったことを示す好例であろう。」本書p.225

そして、下記の一文でもって、終章を結びます。

「渋沢栄一が新一万円札の肖像になるのを契機として、私たちは江戸文明が内発的に生み出すはずであった〝もう一つの近代日本〟の姿を再検討し、それを再興する形で未来社会を構想すべきではないだろうか。」本書、p.227

3.【評価①】
本書は、著者の前二著とくらべて、際立って優れた工夫があります。それは、第1章から第6章まで全てに、「はじめに」および「おわりに」が設けられていることです。

「はじめに」は、その章で解明したいテーマを、「問い」として掲げています。「おわりに」は、先ほどの「問い」に応じ、その章の議論で明らかにされた著者の「答え」を簡潔に提示しています。

これは、日本のアカデミック、かつ非自然科学分野では、珍しい(初の?)論述の構成ではないでしょうか。とりわけ、歴史学関連では珍しく、かつ読者の理解を助ける優れた論述スタイルだと思われます。こういう地味ですが、優れた試みが広がると良いのですが。

前著(松平忠固論)から継続して、本書全体の内容構成のバランスが良いです。第3章を中間に挟んで前後半がほぼ均等におかれています。これも、見やすい後注、人名索引とともに、読者の理解を支援する工夫で、本書全体に著者の神経が行き届いている証拠だと思います。今回、前二作のハードカバーから、軽装版のぺーバーカバーになりました。コストの面もあるでしょうが、持ち運びの点から、個人的は好印象です。軽装版の学術書が増えることは大歓迎でなので。

4.【評価②】

本書には前二作と比較して、少し異色な点が二つあります。「憲法」を前面に押し出したことと、複雑系科学由来の歴史理論「バタフライ史観」を挿入した点です。

著者は、「あとがき」にて本書執筆の動機として、既存の《史観》の検証の必要性を語っています。従いまして、先の二点はそのための基礎作業と言えます。

ただ、著者の前二著を熱烈に支持した読者たちは、「歴史」そのものへの関心、あるいは新しいリアルな「幕末維新史」の切り口を待望していたでしょうから、過去の二著に較べると本書が若干理論的になり話題性はその分下がるかも知れません。

その点を考慮すると、本書での衝撃度の高さから言えば、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」が、衝撃度、話題性がともに高く、次に終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」が、説得性が最も高い、を言えそうです。

一人でも多くの読者に本書(を含めた三部作)が届いて欲しいと念ずる批評子からしますと、本書の内容・論述は充実しているので、本書のタイトルと内容の構成を、この二つの章をもう少しアピールするようにできていれば、より訴求力が高まり、読者の範囲をさらに広げることができるのではないか、という望蜀の感無きにしも非ず、というのが正直なところです。

5.【議論①】

前項でも指摘しましたが、本書第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」は、ここまで明確に特定して記述できるとは思いませんでした。もちろん、列挙されたのは状況証拠ではありますが、これだけ揃えば、直接証拠でなくとも、十分説得性があると思います。過去の史家たちの議論では、読者に推測させるか、匂わす程度でしかありませんでしたし、思い切って論断する威勢の良い議論は、大抵は憶測の域を出ていませんでした。

今回、ここまで言い切れたのは、著者が赤松小三郎という、オモテの「幕末維新史」から消されていた、重大な思想家、かつ非常に重要な軍事技術者、すなわちミッシング・リンクの再発見/再評価をなしたことが大きな力となっていると思います。とりわけ、島津家の軍事指導者西郷吉之介の心変わりを軍事技術者赤松小三郎の動向と結びつけられたことで、全ての点が線に結びついたのであろう、と考えられます。赤松が線上に登場したことで、アーネスト・サトウとのリンケージも結べたのは驚きました。多分、これが歴史の真実(の重要な一部)なのでしょう。

それにしても、名のみしか知らなかったサトウの『英国策論』が、これほど内政干渉の震源だったという事実に無知だったのは、書評子自身、不明の至りで、本当に恥ずかしい限りです。改めて、英国という国家の影の部分(悪辣さ)には、腹の虫がおさまりません。「バルフォア宣言」に淵源する、現在進行形の、パレスチナでの虐殺を思うと余計です。

※サトウ「英国策論」は、『日本近代思想大系1 開国』1991年岩波書店所収

この件に関連して1点だけ。

よく言われることに、幕末期、英国政府は交渉相手として、無能、非合理な「大君政府」を見限り、薩長連合に肩入れした云々といった評言を読んだり、聴いたりします。しかし、昨今の19世紀の「公儀」権力研究、例えば、

眞壁仁『徳川後期の学問と政治―昌平坂学問所儒者と幕末外交変容』2007年名古屋大学出版会(古賀とう庵は学問所の中心儒者)
前田勉「古賀とう庵の海防論―朱子学が担う開明性」『兵学と朱子学・蘭学・国学』2006年平凡社所収
前田勉「女性解放のための朱子学―古賀とう庵の思想2」同上

などによれば、最新の海外情報を入手した開明的な昌平坂学問所儒者たちが「公儀」政治・外交にかなり関与しており、その膝下から弟子たちが、海防担当の有能な官僚として活躍していたことが明らかになっています。

それからしますと、英国政府は、無能・非合理故に「大君政府」から薩長連合に乗り換えたというより、「大君政府」外交部がタフ・ネゴシエーターであったために、より与し易い薩長連合に乗り換えた、とみるほうが合理的なのではないか、と思います。つまり、常識と真逆だったのではないか、ということです。


6.【議論②】
・「バタフライ史観」に関して
何事にも、「日のもとに新しきものなし」と言われます。弊ブログでも、先人の言葉を幾つか引いています。

引用ⅰ 奇妙なことに、意図されずにしかし実際に実現しているような影響と比較して、意図されてはいたが実現されなかったような社会的決断の影響の方が研究を必要としている。というのは、前者は少なくともそこにあるのに対して、意図されたが実現しなかった結果はしばしば過ぎ去るある時点において社会の行為者たちが表明した期待の中だけに見出されるからである。
アルバート・O・ハーシュマン『情念の政治経済学』法政大学出版局(1985) 、p.132

引用ⅱ われわれは初発の出来事を決して繰り返すことはできない。この出来事は自分が何をしているのか分かっていない人々によって行われたのであって、この無自覚性こそが出来事の紛れもない本質であった。
アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店(2000年)、第3章産業社会、p.32

以上も、歴史の複線的可能性を示唆しているとみられます。大きくカテゴライズすれば、みな「複雑系」的な発想法であるでしょう。従いまして、これらの史観を、どう命名するか。もう少し検討の余地があるかなと思います。
※下記弊ブログ記事もご参照頂ければ幸甚です。
引用ⅰは、下記参照。
過去の擬似決定性と未来の選択可能性/ Pseudo-determinism of the past and the possibility of choosing the future: 本に溺れたい
引用ⅱは、下記参照。
歴史における発生と定着、あるいはモデルと模倣: 本に溺れたい

7.【議論③】
・世代について
本書で論じられているように、明治維新を肯定する司馬遼太郎や丸山眞男たちが、そう信じたい動機は、彼らが大正時代に青少年期を過ごしたことと関連するかもしれません。つまり、彼らにとり、大正時代がピークとなり、昭和においてどん底まで突き落とされた訳です。

各時代を、「進歩史観」で序列化するとこうなりますでしょうか。

《大正=近代》 → 《明治=半近代》 → 《明治維新=近代化革命》 → 《江戸時代(徳川日本)=前近代》

しかし、それは大きな勘違いでした。

象徴的なことの一例を示します。

21世紀の現代でも、新聞の投稿欄があり、俳句欄、短歌欄がありますね。戦前から存在し、無論、明治からありました。しかしながら、戦前のある時期に廃止された投稿欄がありました。それは、「漢詩」欄です。昨今では、高校国語でもあまり漢文を選択授業に設定しなくなったかもしれませんが、例の李白や杜甫が作った詩のことです。これは古典語(漢語)による詩作、という極めて高度な創造活動です。分かりやすく言えば、現代ヨーロッパの民衆が、ラテン語で詩作することに匹敵します。この漢詩形式による詩作は徳川日本でピークに達しましたが、明治になってもしばらくは、一般購読者による漢詩の投稿は盛んでした。ところが、明治がすすむにつれて、投稿数が減少し続け、漢詩の投稿欄は大正六(1917)年に消えたのです。
※参照 石川忠久/陳舜臣ほか『「漢詩」の心―自然を謳い人生を詠む』1995年プレジデント社、p.6

つまり、江戸文明(徳川文明)は、大正時代に消失した訳です。最後の徳川将軍、慶喜が没したのは、大正2(1913)年11月22日、享年76歳でした。

※人口学的な世代論については、詳細は下記の弊ブログ記事をご参照下さい。
徳川文明の消尽の後に(改訂版)/After the exhaustion of Tokugawa civilization (revised): 本に溺れたい


最後に、本書の丸山眞男論に触れたかったのですが、弊記事が長くなり過ぎたことと、他論者の丸山眞男論も含めて、別途論じさせて頂くこととします。

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2023年9月18日 (月)

戦後日本の食料自給率なぜ低下したか?/ Why did Japan's food self-sufficiency rate decline after World War II?

なかなか気になる新聞記事がありました。下記。

農家が8割減る日 主食はイモ、国産ホウレンソウ消滅? - 日本経済新聞(

記者自ら、コメ主食から、農水省推奨の代替主食イモで、献立し試食したところ、三日目の昼食にはギブアップしたとのこと。記事中で、半世紀後、国内農作物は下記の事態を迎えると予想されています。

上記、日経記事より。

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2023年8月31日 (木)

「後期高齢化」社会の現実

日本列島では、2022年9月現在で、人口年齢構成は以下のようになっています。

総人口:1億2500万人
15歳未満:1500万人(12%、総人口比)
15歳以上64歳以下:7400万人(59%)=生産年齢人口
65歳以上:3600万人(29%)
〔うち、75歳以上:1900万人(16%)=後期高齢者〕

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2022年12月 9日 (金)

人口縮小社会:一つの帰結

 考えてみますと、人口減少社会である現代日本は、一人の子供が二人の親をみると言うめぐりあわせの方々が、年々増加していることになります。
下図ご参照:マウスポインタをグラフに重ねますと、詳細で大きな画面が出ます

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2022年1月10日 (月)

飯田哲也「複合危機とエネルギーの未来」岩波書店『世界』No.952(2022年1月号)

飯田哲也「複合危機とエネルギーの未来」岩波書店『世界』No.952(2022年1月号)

 参加しているMLから資料をご教示頂きました。標題がそれです。文中、気候危機への対応をめぐって、二つの極論がある、とされています。「エコモダニスト」と「脱成長論」の二つです。

 

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2022年1月 3日 (月)

「自給」と「自然エネルギー」を考える/ Thinking about "self-sufficiency" and "natural energy"

 石油涸渇後を想定して、「自給」と「自然エネルギー」を考えてみます。

1)あらためて「自給」を考える

 マイレージ mileage(フード、素材資源、エネルギー資源)において日本の浪費癖が国際的に悪名高いことは隠れも無き事実です。従いまして、私は自給国家であった徳川日本からの教訓を現代に生かしたいと思っています。ただ、そのためには、国家のサイズを一考する必要があると思います。国家規模の第一指標はやはり人口規模でしょう。

 徳川日本末期(19世紀半ば)の人口が約3300万人です。現在、約1億2700万人ですから、当時の約4倍です。この増えた分は、湯水のように消費できた cheap oil と石油テクノロジー、およびそれを前提とした「自由」貿易のお蔭様です。現代の首都圏(一都六県)でさえ約4000万人を擁しています。となると、この列島社会にうまく人口分散(bio-regionalizationを含む)できたとして、穀物とエネルギーの輸入なしでは、目の子算で5~6千万人くらいが Max かな、というのが私の印象です。

 そうなると、日本列島社会だけでなく、世界規模の人口減少が大前提でしょう。幸か不幸か、日本列島の将来人口推計では、ほっといても22世紀を迎える頃は、いい感じに人口規模が縮小しそうです。だとすれば、そのダイエットしたボディに見合う服(資源循環システム)を自転車操業しながら構想し(これが本当の「ノイラートの船」笑)、できればそこへどうソフトランディングするか、ということになるのではないでしょうか。今年はそこへ辿る(未来から振り返れば)第一歩にもなるかもしれない、と思います。

2)自然エネルギー可能性を考える

 21世紀の現代、化石資源の採掘場所は「Low Hanging Fruits」で、ドンドン劣化しています。かつてのEPR100の中東の超巨大油田は老朽化し、新しい油田のEPRは劣化する一方ですから、それを平均すると現在の世界石油生産のEPRは10余り(下記:田村著p.67)となります。そのレベルで比べれば、自然エネルギーEPRは化石燃料に対して相対的に有利にはなるでしょう。目安として、以下にEPRの一覧を掲げておきます。

エネルギー収支比(EPR:Energy Profit Ratio)=出力エネルギー/入力エネルギー
〔例えば、1calのエネルギーを投入して、?calのエネルギーを出力すること〕

化石資源系
石炭 80
石油・ガス(1930'陸上/自噴) 93
石油・ガス(1970's,陸上or海底) 30
石油・ガス(1980~,海底/動力) 8
シェールオイル・ガス 2-3
タールサンド 2-3

自然エネルギー系
水力発電 98
風力発電 17
地熱発電 7
原子力発電 5
太陽光発電 4-3
バイオ燃料 1
〔出典:Tullett Prebon Group Ltd.,"Perfect Storm",2013年/1月号、
田村八洲男『石油文明はなぜ終るか』2014年東洋出版より孫引き〕

 しかし、「発電」とあるように、当面自然エネルギーを利用して産出できるものは「電力」のみです。小型水力発電所を作る。風力発電プラントを設置する。例えば、コンクリートの構築物を作るセメント原料である、「石灰石」・「ねん土」・「けい石」・「酸化鉄原料」・「せっこう」の、採掘・搬出・輸送(マイレージ)といった製造流通過程の動力エネルギーをすべて「電力」で賄うことは現状不可能です。電気自動車は蓄電池(スマホの心臓部)にレアメタルを必須とする事からして、希少資源の迂回投入で無駄であり、世界中でそれを使えば資源涸渇するに決まってます。動力、とりわけ輸送動力源における液体燃料(ガソリン等)の、他の燃料に対する有利さは埋めようがありません。電動飛行機は話題になっていますが、電動コンテナ船はおそらく難しいでしょう。それなら帆船技術復活のほうが現実的でむしろかなり有望です。

 石油は素晴らしい素材原料として懸絶しています。いま、薬品類の包装、保管容器は悉く石油化学製品です。これに代替できるのは、ガラス容器、紙包装で、昔はそれしかありませんでした。調剤薬局で処方してもらう錠剤は、アルミ製品とプラスチックで包装されています。これほど簡易、便利で清潔な包装材は多分他に求めることは不可能です。豚肉のトレーを竹の皮と新聞紙(?)に置換することや、豆腐を買いに金盥(たらい)を持っていくことは、私のような昭和世代にはギリギリ可能でしょうが。自動車はいま世界で十億台稼働していますが、そのタイヤは石油製品で、それを全部天然ゴムにすべて履き替えるは不可能でしょう。石炭化学製品が最も有望ですが、それでも燃料資源との競合もありますし、埋蔵量的にも100年は持ちません。

 こうして、石油が希少化、枯渇すれば、それに連動して、医療、衛生レベルも下がる可能性が大きいので、全世界的に高齢化に急激なブレーキがかかり、人類の平均寿命も短縮する可能性大です。将来人口推計はその点は全く視野に入っていませんかから、日本だけでなく、世界的に「人生60年」時代に逆戻りして、世界人口もどこかの時点で急降下することもあり得ます。

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2021年7月19日 (月)

書評Ⅱ:宇野重規著『トクヴィル 平等と不平等の理論家』2019年5月講談社学術文庫

宇野重規著『トクヴィル 平等と不平等の理論』2019年5月講談社学術文庫

 この書評は、に分かれます。前者は私のレビュー。は、目次および本書からの書抜き、抜粋で構成されています。内容を手早く知りたい方はを先にお読みください。私のレビューに関心をお持ちいただけましたら、にも眼を通して頂ければ幸甚です。

 

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