石井紫郎(Ishii, Shiro)

2023年2月26日 (日)

What are legal modes of thinking?〔PS 20230228: Ref〕

 The following is a blogger's reconstruction of a brilliant description (pp. 15-18) of "legal modes of thinking" in

Yoshio Hirai, "Hō seisaku gaku - hō seido sekkei no riron to gihō [Legal Policy Studies - Theories and Methods for Designing Legal Systems]," 2nd edition, Yuhikaku, May 1995.

 Although this is mostly a quotation, some parts have been reworded without changing the content for the sake of readability on this blog, due to the need for bullet points and separate paragraphs. Please note that the text has been reworded without changing the content.

平井宜雄『法政策学―法制度設計の理論と方法』第2版、有斐閣、平成7(19951)年5月

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法的思考様式とはなにか/ What are legal modes of thinking? 〔20230228参照追記〕

 以下は、

平井宜雄『法政策学―法制度設計の理論と方法』第2版、有斐閣、平成7(1995)年5月

の「法的思考様式」に関する見事な記述(pp.15-18)を、ブログ主が再構成したものです。ほぼ引用ですが、本ブログでの見易さを図るため、箇条書き、および分かち書きの必要のため、内容を変えずに表現を改めた箇所もあります。また、文中の彩色フォント、下線は引用者によるものです。ご注意ください。

 

1)法的思考様式は、紛争および紛争解決と不可分の関係にある。

2)紛争解決―3つの理念型

①「組織紛争」
紛争当事者の一方が、他方を物理力によって抑圧して一方の意志に従わせ、あるいは最終的には関係から排除する。

②「利益紛争」
当事者が①のような行動を行わず、取引・交渉・妥協によって合意に達し、それによって紛争状態を解消させる。

③「価値紛争」
紛争当事者が、①におけると異なり、互いに他を圧倒するだけの資源をもたず、また、②におけると異なり、妥協によって解決もできず、解決のために第三者に介入させ、その判定に服することによって紛争を解決する。


3)「組織紛争」

 「組織紛争」は、紛争当事者たちのそれぞれ保有する諸資源の中の、一方が他方をコントロールできる資源(権力・物理力など)の保有量に大きな格差がある場合に生じる。もし、当事者間に何らの相互依存関係が存在しない場合には、紛争は物理力の行使によって終わる。しかし、何からの意味で相互依存関係が存在する場合には、資源の分配を異にする両者の関係は、階統制として組織され、上位者の地位は何らかの規範により正当化される。このような場合には、上位者と下位者との間の紛争は、日常的には顕在化しない。

4)「利益紛争」

 「利益紛争」は、同等の資源を有する者の間で生じる紛争である。典型的には紛争当事者において欲求をみたすべき何らかの対象(財)が存在するという認識は共通するけれども、財が希少であるために、当事者全員の欲求をみたしえない状況において生じる紛争である。このときには、同等の資源を有する者同士の関係であり、かつ財の希少性についての共通の認識がある故に、財をめぐって取引・交渉が起こり、妥協によって当事者それぞれが財を得る。共通の認識は規範の共有を生み、かつ取引・交渉はそのような規範を発展・分化させるから、それらの規範に従っているかぎり、紛争は顕在化しない(市場機構による財の配分など)。

5)「価値紛争」

 「価値紛争」は、当事者間において紛争を解決する有効な手段が存在しない場合生じる。「組織紛争」とは異なり、一方当事者が他方当事者を圧倒するだけの資源をもたず、また、「利益紛争」のような、紛争の対象が希少な財であるという共通の認識または規範の共有が欠けている。信念とか価値とか事実の存否とかをめぐる紛争。この「価値紛争」は、「組織紛争」や「利益紛争」とは異なり、紛争が顕在化する可能性は大きく、解決の社会的必要が生じる。当事者間での解決が困難であるとすれば、第三者が介入し、解決するために何らかの決定をしなければならない。この「価値紛争」において第三者の行う決定が法的思考様式を生む源となる。

6)法的思考様式とは?

 法的思考様式は、非因果法則的、非「目的=手段」思考様式である。「価値紛争」解決のために介入を要請された第三者は、紛争当事者をコントロールするための資源を有する者であってはならない。もし、資源を有する者であれば、その者と紛争当事者の一方との間に「結託 (coalition)」が生じたとき、他方当事者は二当事者のもつ資源によって圧倒され、一方のみに有利なように解決されてしまうおそれがあるからである。したがって、当事者双方ともそのような第三者の介入を拒否するであろうから、介入する者は、「資源なき第三者(高年齢・経験・知識等の、それ自体としては他人をコントロールできない資源をもつ者)」である。つまり、「中立」的地位にある者にかぎられる。「資源なき第三者」は紛争解決のために何らかの物理的資源を動員するわけにはいかないから、なしうるのは紛争についての何らかの判断(決定)を示すことだけである。そして、紛争当事者をコントロールできる資源をもたない者がする決定なのであるから、或る目的達成のためにの手段として当事者を位置づける(そのためには資源を要するから)、という思考様式(つまり目的=手段思考様式)に立つことはできない。そして、「目的=手段」の関係が成立するためには、因果法則の存在を前提としなければならないから、このことは、「資源なき第三者」の依拠する思考様式が因果法則を前提とした思考様式ではないことを意味する。ということは、「資源なき第三者」は、紛争当事者を高次の目的を達する手段としてではなく、それ自体いわば目的として扱わなければならない。つまり、紛争当事者を相互に比較するという思考様式を採らざるを得ない。すなわち、因果法則を用いない以上、紛争当事者の一方を他方と比較してどのように扱えば、「公平」か、あるいは「正義」に適うか、という規範的判断に依拠するほかない。

 たとえば、「資源なき第三者」は紛争をあたかも病気のごとくに位置づけ、病気の原因は何かを調査し、当事者の一方または双方のどの部分に原因があるかをつきとめ、その原因を除去する、という思考様式に立つことができない。それは、当事者と当事者を全体として比較する思考様式ではないから、一方のみに偏した、「公平」ではない判断として受けとられ、紛争解決の役割を果たさないからである。

7)法的思考様式は、「あれかこれか」という二項対立的な形をとる

 「価値紛争」における判断であるから、妥協によって解決する「利益紛争」とは異なり、ある事実があったかなかったか、ある権利義務が存在するのか否か、という形をとることになる。この特質は、因果法則的(あるいは手段=目的)思考様式が確率や蓋然性にもとづく思考様式であるのと対照的である。

8)法的思考様式は、過去に志向する

 紛争当事者の相互の比較に基礎をおくので、必然的に、当該当事者がこれまで「なしたこと」を比較対照することになるから。「将来なすであろうこと」の比較は、因果法則を前提とし、何らかの目的(犯罪の予防など)に照らして評価を加えることであるから、排除される。これと対応して、目的=手段思考様式は、将来生じうべき事態を因果法則に従って予測し、それに対してとるべき手段を示すことを任務とする。

※参照(20230228追記)
1) 思考モデルとしての法/ Law as thinking model: 本に溺れたい
2) 過去を探索する学問モデル Thinking model that explores the past: 本に溺れたい

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2021年5月 2日 (日)

Instruction manual for our blog

 As of March 2023, about 2,000 articles (essays) have been published on our blog.

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2020年3月10日 (火)

弊ブログの取扱説明書/ Instruction manual for our blog

 弊ブログには、2024年02月現在、約2000件の記事(essays)が公開されています。*In addition, please refer to the English version of this article.(Instruction manual for our blog: 本に溺れたい

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2017年8月15日 (火)

東浩紀『観光客の哲学』2017年4月、を巡る雑感(1)

東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』2017年4月

 表題の本を読了したのだが、どう言うべきなのか読後感を書きあぐねている。とりあえず、書き綴ってみることにする。

 私にとり最も興味深かったのは、第1章「観光」、第2章「政治とその外部」、第5章「家族」なので、そこらへんからやってみよう。

■第1章観光

 徳川日本では、旅が庶民層まで娯楽として盛んだった。例えば、18世紀後半(天明期)から盛んに出版される、名所図会等の観光案内書の内容が、神社仏閣、風光明媚な景色の名所案内から、19世紀に入ると、産業現場への観光的関心にシフトし、文化年間あたりになれば、列島各地の名物名産の生産工程や商業の現場を新名所として、続々と紹介し出す。こうなると、庶民の旅は、ほぼ観光化している。
 青木美智男『日本文化の原型』(全集 日本の歴史 別巻)小学館、2009年、参照

 ならば、徳川期に庶民の旅について考えた思想家がいるかも知れない。検討の余地はありそうだ。

■第2章政治とその外部

1)ヘーゲル=コジェーヴ的人間(本書P.99)

誇りを失い、他人の承認も求めず、与えられた環境に自足している存在は、たとえ生物学的には人間であってももはや精神的には人間とは言えない。・・・。だから、人類がみなそのような自足した存在になってしまえば、人間の歴史は(種としての人類そのものが存続したとしても)終わる。

コジェーヴは、アメリカの消費者は、「動物」だと規定した。(本書P.100)

2)ヴェーバー的末人<letzte Menschen>(Max Weberプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神、岩波文庫1989年、P.366)

営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り払われていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの性格をおびることさえ稀ではない。将来この鉄の檻に住むものは誰なのか。そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも(そのどちらでもなくて)一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にも分からない。(中略)、こうした文化発展の最後に現われる「末人たちletzte Menschen」にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。

 ヘーゲル=コジェーヴ的見解の場合、少数の身分的/精神的的貴族を除いて、衆愚 multitudeが動物化する。ヴェーバー的見解では、米国では、multitudeだけでなく、カリフォルニア・イデオロギスト(IT技術者、シリコンバレー大富豪)、年棒数十億円のスポーツ選手・大企業CEO、年棒数千万円の有名大学の理系有名教授、彼らはそれほどの額を稼いでいても、他所により多くの収入の機会があるなら、その契約を選択する。しなければ、むしろ奇怪に思われる。そうであれば、米国ではmultitudeだけでなく、身分の上下を問わず、社会丸ごと、末人化、していることになりそうだ。そして、今、世界は着々と米国化(globalization)が進んでいる。

 いずれにせよ、1)にしても2)にしても、終末論(eschatology)的な世界観を背景に持っているようだ。私が東氏の議論に今一つ乗れないのは、そのせいかも知れない。

■第5章家族

 この章で、村上・公文・佐藤『文明としてのイエ社会』中央公論社1979年が参照されている。「家族の哲学」を文明論的なパースペクティブで論じる際のモデルとして評価しているようだ。ただ、注意すべきは、日本でこの分野(法制史、国制史)の泰斗といっていよい、石井紫郎氏から、

「われわれは本書の「イエ社会論」には理論的・実証的無理がある、と結論せざるをえない。」石井紫郎「「イエ」と「家」」、笠谷和比古編『公家と武家Ⅱ 「家」の比較文明史的考察』思文閣出版1999年
、P.183

と評されていて、日本史としての実証史学上にはかなり問題があり、その批判に妥当性があるという点である。したがって、これを利用する際には、「家族」文明論における論じ方の一つ、として受け止めたほうが無難だろう。

■付け足し
 関 曠野のヘーゲル論として、下記のエッセイがある。

関曠野「欲望を思考する」(1985年) 
 〔 同著『野蛮としてのイエ社会』御茶の水書房(1987年)所収、pp.345-347 〕

 小さなエッセイだが、優れたものと思う。弊ブログに、全文、再掲してある。ご関心をもたれた方は下記をみて欲しい。
ロゴ スという名のエコノミスト(A economist of the name to call Logos): 本に溺れたい

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2017年3月17日 (金)

石井紫郎「近世の国制における『武家』と『武士』」1974年

本論文は、比較国制史研究における日本を代表する業績であり、日本における《近世 early modern》の持つ人類史的意味を知るための必読文献でもある。

石井紫郎「近世の国制における『武家』と『武士』」1974年

目次
一 はじめに 本書の構成をめぐって
二 武士の家訓と近世の国制
 1.問題の所在
  2.近世主従制とレーン制
  3.「職分」の体系 その一
  4.「職分」の体系 その二
  5.ヨーロッパの官職売買
 6.「家」と「家職」
 7.「職分」と「名分」
 8.「職分」の体系と主従制
三 赤穂事件と近世の国制
 1.「公の義理」と「私の義理」
 2.残された問題

岩波書店・日本思想大系27『近世武家思想』1974年刊石井紫郎校注、P.477所収
石井紫郎『日本国制史研究II 日本人の国家生活』1986年刊東京大学出版会、P.167所収

さて、本論文でもっとも興味深い記述は以下である。

要するに、ヨーロッパにおいては生得の地位と官職との二元性を前提にしつつも、現実において、de facto にも、de jureにも、後者が前者にひきよせられていったのであり、これは、わが近世において右の両者が「職分」概念の下に一元的にとらえられ、しかも前者が後者にひきよせられていったのと、まさに逆のヴェクトルを示している。
①P.510、②P.194

ここで、《生得の地位》⇒《であること》、《官職》⇒《すること》、と置換すれば、近世ヨーロッパでは《すること》が《であること》化し、近世日本では《であること》が《すること》化する傾向を有していたことになる。これは、下記の高名な、丸山真男の指摘真逆の歴史的推移reversing historical succession)ではなかろうか。

身分社会を打破し、概念実在論を唯名論に転回させ、あらゆるドグマを実験のふるいにかけ、政治・経済・文化などいろいろな領域で「先天的」に通用していた権威にたいして、現実的な機能と効用を「問う」近代精神のダイナミックスは、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」価値・「する」論理への相対的な重点の移動によって生まれたものです。
丸山真男『日本の思想』(1961年)岩波新書、p.157

以上、引用箇所の強調符はすべて引用者が付した。

続く(はず)

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2013年12月31日 (火)

ひとつの徳川国家思想史(12結)

尾藤正英「尊王攘夷思想」、岩波講座日本歴史13、近世5(1977) 所収
内容目次
一 問題の所在
ニ 尊王攘夷思想の源流
 1 中国思想との関係
 2 前期における二つの類型
三 朝幕関係の推移と中期の思想的動向
四 尊王論による幕府批判と幕府の対応
五 尊王攘夷思想の成立と展開

■《評価》

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2009年12月 3日 (木)

ひとつの徳川国家思想史(4)

■当ブログでの考察①

 尾藤論文のp.57にこうある。

絅斎の主張は徹底しており、ある王朝の王統が継続している限りは、これに対して謀叛を起こす者があれば、これを「賊」(逆賊)とみなすばかりではなく、その王朝の君主が正統の王位を他者に譲ったりした場合にも、その君主は「賊」であるとする。
・・・・、(後漢の献帝が‐引用者注)天下を軽々しく他人に与えたりすれば、「国家を亡ぼすの罪」を犯したことになる、と主張するのである。君主でさえも、自由に処分することを許されない「漢の天下」とは、何であろうか。それは個人の意思を超えた存在としての漢帝国、すなわち制度としての国家であり、臣下も君主もひとしく、それへの絶対の忠誠を義務づけられている。

 この感覚は、現代の我々にもそれほど違和感を持たずに理解可能だろう。しかしながら、異なる地域、時代においては、下記のようなことが当たり前だった。

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2009年6月18日 (木)

19世紀徳川公儀体制の黄昏

 徳川国家は身分制国家であった。これは、1603年に徳川家康が京の後陽成院から征夷大将軍の宣下を受けたときから、1867年、徳川慶喜が京の睦仁帝に大政を奉還し、将軍職を辞するまで変わらない。

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2008年4月 5日 (土)

徳川期における法人化、紀律化を巡って(1)

羊頭狗肉。二つの引用まで。

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