夏目漱石(Natsume, Soseki)

2025年2月25日 (火)

Neo-Confucianism (Cheng-Zhu) living in Soseki/ 漱石に息づく《朱子学》

Natsume_souseki Natsume Sōseki (1867/Keiō 3 – 1916/Taishō 5) was, to put it positively, highly introspective—negatively, he had a tendency to overthink, worry excessively, and dwell on complaints. While this trait can be overwhelming in his fiction (at least for me), it truly shines in his essays.

 

 

 

Sōseki's formative years took place during the turbulent period spanning the late Tokugawa era and the Meiji Restoration. He studied classical Chinese literature at Nishōgakusha. This change in academic path came after he dropped out of the second year at Tokyo Metropolitan First Junior High School in response to the death of his biological mother, Chie, in 1881. Confronted with a personal crisis—an identity crisis, perhaps—he resolved to become a literary scholar, dedicating himself to rigorous self-discipline. His efforts paid off: in later years, his Chinese poetry was highly regarded, even by native Chinese scholars. This suggests that his intellectual foundation had already been solidified through his studies in classical Chinese literature. More precisely, what was referred to as "Chinese studies" (kanbun) at the time was, in essence, an education shaped by Neo-Confucian (Zhūzǐxué) texts.

Though Sōseki is often imagined as a quintessential English gentleman, his ideal was not that of a Western "gentleman" but rather the Confucian "jūnzǐ" (君子).

1333808661 This marks a significant contrast between Sōseki and Mori Ōgai, despite both being deeply immersed in classical Chinese studies. For Ōgai, such studies served as a means to advance his career. For Sōseki, however, they were the very root of his existential being. This is not to praise Sōseki at Ōgai’s expense. The career-driven mindset was common among young men in the Meiji era, and Ōgai was no exception. If anything, had young Kin’nosuke (Sōseki’s given name) been able to fully embrace this path, his life might have been simpler. But his complex family history made that impossible.

As a result, Sōseki turned out to be a profoundly moral (moralisch) individual, while Ōgai was more amoral (amoralisch). To be clear, Ōgai prioritized aesthetic (ästhetisch) values over moral ones. In that sense, he can be described as both amoral and aesthetically inclined. That a person of such disposition became the head of the Imperial Japanese Army’s medical staff was one of the major tragedies for the military.

For a more detailed discussion of Sōseki’s connection to Neo-Confucianism, please refer to the following blog posts:

  1. 学問をして人間が上等にならぬ位なら、初めから無学でいる方がよし(漱石): 本に溺れたい If learning does not make one a better human being, it is better to remain uneducated from the start (Sōseki)
  2. 漱石、第一次世界大戦、トライチケ(Treitschke): 本に溺れたい Sōseki, World War I, and Treitschke
  3. 漱石に息づく《朱子学》: 本に溺れたい (Japanese version of this article)

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2022年5月19日 (木)

For what purpose does our country go to war?, by Akiko Yosano, 1918

Yosano Akiko Hyoronshu, 1985, Iwanami Bunko, pp. 192-5, "Why did you go to war?", source: Yokohama Boeki Shimpo, March 17, 1918.

 ※This article is an English translation by DeepL of our blog article "与謝野晶子「何故の出兵か」(1918年): 本に溺れたい".

 I regret to say that I believe a certain degree of military preservation is unavoidable. Just as it is necessary to have police to maintain domestic order, it is necessary for a nation to have a certain degree of military force to defend itself against international peace and trade interests.

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2021年9月10日 (金)

小説「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子/1984年)①

 この短編小説を知ったのは、2020年に劇場公開されたアニメ「ジョゼと虎と魚たち」(監督:タムラコータロー)を通じてです。
続編(②)を投稿しました。

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2020年11月 3日 (火)

漱石『こころ』はゲイ小説である(2) / Soseki's Kokoro is a gay novel (2)

(1)に、長い追記をしたのが、いま一つ、わかりにくいと判断しまして、別記事(本記事)としました。悪しからず。(2020/11/3)

「私」と「先生」の恋愛模様、追記します。いずれも、青空文庫様の、夏目漱石 こころ、「上 先生と私」、から引用します。

十二 
「君は恋をした事がありますか」
 私はないと答えた。
「恋をしたくはありませんか」
 私は答えなかった。
「したくない事はないでしょう」
「ええ」
「君は今あの男と女を見て、冷評ひやかしましたね。あの冷評ひやかしのうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声がまじっていましょう」
「そんなふうに聞こえましたか」
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。わかっていますか」


十三
 我々は群集の中にいた。群集はいずれもうれしそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。
「恋は罪悪ですか」とわたくしがその時突然聞いた。
「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。
「なぜですか」
「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」
 私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。
「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」
「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」
「今それほど動いちゃいません」
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」
恋にのぼ楷段かいだんなんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
「私には二つのものが全く性質をことにしているように思われます」
「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。・・・。」

・・・・・・

「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」
 私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧もうろうとしてよくわからなかった。その上私は少し不愉快になった。
「先生、罪悪という意味をもっと判然はっきりいって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」
「悪い事をした。私はあなたに真実まことを話している気でいた。ところが実際は、あなたを焦慮じらしていたのだ。私は悪い事をした」

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2020年9月24日 (木)

漱石に息づく《朱子学》/ Cheng-Zhu living in Soseki

 夏目漱石(1867/慶応三年-1916/大正五年)は、よく言えばかなり内省的、悪しざまに言えばクヨクヨ、グチグチ考える質たちです。その面が fiction で発揮されると、私などは「もう勘弁!」となるのですが、essay になると俄然、そこが光ります。

 漱石は徳川末期から維新にかけての動乱期が青少年時代でした。漢学は、二松学舎で学んでいます。これは、明治十四年実母千枝の死に直面して、府立一中の二年を中退しての転学でした。人間的危機(identity crisis)に直面したのでしょう、文人として立とうと決意して、相当自ら鍛え、鍛えられもしたようです。後年、漱石の漢詩は中国人からも評価される程ですから、彼の精神的骨格は漢学を基礎として既にでできあがっていた、と言えます。その際、「漢学」とは結局「朱子学」テキスト類によって形成された教養です。漱石といえば英国風紳士のイメージですが、彼の理想は gentleman ではなく「君子jūnzǐ」なのです。

 ここに、同じ「漢学」とは言っても、鴎外との違いがあります。鴎外の教養の基盤にも「漢学」がありますが、それはつまるところ立身出世の「手段」でした。漱石の場合は、実存的根っこです。別に漱石を持ち上げ、鴎外を貶めているわけでもありません。当時(明治)の立身出世主義は、その頃の青少年(男子)は皆そうだったのですから、鴎外だけが邪である訳がありません。金之助少年だって素直に出世主義に邁進できたらそのほうが幸せだったでしょう。しかし漱石の複雑な家族史がそうはさせなかったというだけです。ただし、結果として、漱石はかなり道徳的 moralisch で、鴎外は非道徳的 amoralisch な人物だ、といわざるを得ません。念のため付言すれば、鴎外は道徳的より美学的 ästhetisch 価値観が優先するというべきでしょうが。そういう意味で鴎外は非道徳的 amoralisch かつ美学的 ästhetisch な人物ということです。そういう人物が大日本帝国陸軍メディカルスタッフの boss だったことが、国軍の大きな悲劇の要因にもなりました。(

)その意味で付言すれば、漱石を一顧だにせず、鴎外に傾倒した三島由紀夫の異様なる最期は、右翼的、国家主義的などという、ideologisch あるいは moralisch なものであるより、ästhetisch な結末の付け方であったと思われます。(2026.0510記)

 漱石の朱子学的側面につき、具体的には、下記弊ブログ記事をご参照下さい。

1)学問をして人間が上等にならぬ位なら、初めから無学でいる方がよし(漱石): 本に溺れたい
2)漱石、第一次世界大戦、トライチケ(Treitschke): 本に溺れたい

参照
Neo-Confucianism (Cheng-Zhu) living in Soseki/ 漱石に息づく《朱子学》: 本に溺れたい

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2020年6月17日 (水)

悲しみは《こころ》を解き放つ/ It is sadness to release the bound heart.

「他ひとに愛想を盡かした私は、自分にも愛想を盡かして動けなくなつたのです。」夏目漱石『こころ』復刻版p.422、「先生と遺書」より

「悲劇はあわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成する。」(アリストテレス『詩学』岩波文庫、P.34)

「事件が起つてからそれまで泣く事を忘れてゐた私は、其時漸く悲しい氣分に誘はれる事が出來たのです。私の胸はその悲しさのために、何の位寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤ひを與へてくれたものは其時の悲しさでした。」夏目漱石『こころ』復刻版p.413、「先生と遺書」より

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2020年1月 9日 (木)

漱石と近代日本語文体

 漱石の文体が何故、近代日本語の書き言葉(written language)のフォーマット(format)になり得たのか、を考えます。とりあえず、思いついたことを書いておきます。

1)「現代生活 modern life」を表現可能な日本語の書き言葉を創出し、その範例を示した。

2)新聞小説という形式が、識字層への《用例集 corpus》として機能した。

3)当時、新聞が読まれる形式には、教養層の「黙読」習慣とともに、普通の人々(common people)の音読習慣、あるいは家の中における「読み聞かせ」習慣、が重層的に生きていた。漱石は、かつての江戸の町名主層に生を享け、里子/養子経験もその階層間の移動だったので、普通の人々の《言語生活-圏》を熟知しており、読者層を意識した market-oriented な志向で、小説を書いた。

4)徳川期までは、教養層における書き言葉には、和文において敬語の体系が構造化、埋め込まれていた。そのため徳川19世紀の社会の流動化(垂直的/水平的)による「処士横議」の書き言葉としては、むしろ(敬語がない)「漢文」「書き下し文」「漢文脈」文が選好され、それが明治初期から中期の教養層における書き言葉としてフォーマット化(formating)した。しかし、普通の人々における書き言葉としてはフォーマット化しずらく、言文一致運動が展開した。その際、書き言葉の言文一致は、教養層出身の識者たちのアプローチでは、漢文書き下し文からの口語化を探るものが主流であった。一方、普通の人々の口頭 oral な世界からの言文一致は、徳川期の庶民文芸(庶民の言語生活圏)としての、俳句、狂句、狂歌、落語、講談、戯作からのアプローチが必要で、 educated された庶民層という身分 status の漱石がその作業に適任だった。

この件については、前田勉「江戸期の漢文教育法の思想的可能性 ―会読と訓読をめぐって― 」2015年11月、参照
 前田勉『江戸の読書会 ―会読の思想史― 』2018年平凡社ライブラリー(No.871)、p.429付論として収録

以上、当座の備忘録としておきます。

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2020年1月 8日 (水)

漱石『こころ』はゲイ小説である(1) / Soseki's Kokoro is a gay novel (1)

 憤激される方はいらっしゃるかも知れませんが、小説文中のこの章句を見ればそれ以外に解釈の仕様がない、と私には思われます。

(2)へ(追記)

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2020年1月 3日 (金)

漱石文学のマーケット

 私は、以前の記事

私がこの小説を読むのに難儀した最大の理由は、漱石の描写する「ああでもない」「こうでもない」という内省的、倫理的な彷徨に辟易したからです。《「男」の腐ったの》みたいな、グチグチした心の呟き。これが私には肌が合いませんでした。

と書きました。しかし、ある知友の示唆で少し思い直しました。そこで軽くリサーチした結果が下記です。

国史大辞典、「夏目漱石」(井上百合子述)

夏目漱石
一八六七 - 一九一六
明治末から大正前期へかけての小説家。明治の前年慶応三年(一八六七)正月五日(陽暦二月九日)、江戸牛込馬場下横町(東京都新宿区喜久井町)で生まれた。父夏目小兵衛直克(五十一歳)・母千枝(四十二歳)の五男末子、金之助と命名される。夏目家は町方名主で当時かなり勢力があり、母千枝は四谷の質商福田庄兵衛の三女で、大名家の奥女中をつとめた後、おそらく安政元年(一八五四)に直克の後妻に来た。末子の出生は祝福されず、母の乳が出なかったためもあって、生後すぐ里子に出され、翌年養子にやられ、塩原昌之助・やすの夫婦を実の父母と思って成長する。養父母の不和のため、塩原家在籍のまま実家にひきとられ、小学校も三回変わる。 この不幸な幼年時代が、漱石の性情形成に大きく影響した。明治十二年(一八七九)、東京府立第一中学校正則科に入学したが、十四年、実母千枝の死の衝撃で、中学を中退して二松学舎に入り、漢学を学んだ。〔後略〕

 以上からしますと、夏目金之助は、「歓迎されざる子」「祝福されざる子」としてこの世に生を享けてしまったことになります。どこかで読んだ記憶を思いだしましたが、養家の塩原家においてネグレクトに晒され続けたのではなかったかと思います。

 精神科医の土居健郎の指摘もこうです。漱石の作品は、意図的な自己分析であり、そのことを通じて、意図せざる自己治癒となった。若き日の狷介な漱石からは想像できない、晩年の多くの弟子たちに慕われる慈父のごとき「師漱石」は、自己分析によって治癒に至った稀有な例である。土居健郎『漱石の心的世界』改題、『漱石文学における「甘え」の研究』角川文庫昭和47年、p.246。

 さらにこうも指摘しています。

「漱石は一郎(引用者註『行人』の主人公)において自分の不安が由来する根本を探りあて、Hの看護による平安の訪れによって、その治癒をはかっているのである、と。それは何の理屈も伴わない自然の情味であった。こういうと陳腐になるが、一郎すなわち漱石が求めて得られなかったものは温かい母親の愛情だったのである。」同上、p.245

※なぜか知りませんが、土居健郎氏の上記本は、何種類も出ています。

《弘文堂版》漱石の心的世界―「甘え」による作品分析

《カドカワ版》漱石の心的世界―漱石文学における「甘え」の研究 (1982年) (角川選書〈19〉)

《角川文庫版》漱石文学における「甘え」の研究 (角川文庫)

《岩波選集版》土居健郎選集〈7〉文学と精神医学

 私は、『こころ』を読み、いったい誰がこんな粘着質な文を読みたがるのだろうと訝しみました。しかし、漱石の一連の小説が近代日本人の《読むクスリ》、「自己分析による自己治癒の範例」だとすれば、漱石が世代を超えて繰り返し需要される意味が合点できます。

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2020年1月 2日 (木)

夏目漱石『こころ』1914年岩波書店〔補遺〕

 漱石の『こころ』は、結局のところ、作品として私の「こころ」を打つことはありませんでした。それにも関わらず、忘れがたい章句があります。

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