福沢諭吉 (Fukuzawa Yukichi)

2024年5月13日 (月)

書評:関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月

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関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月

本書は、関 良基氏の手になる、「明治維新」を再考する三作目の著書です。
1)『赤松小三郎ともう一つの明治維新 ―テロに葬られた立憲主義の夢』2016年12月
2)『日本を開国させた男、松平忠固 ―近代日本の礎を築いた老中』2020年7月
これで、関 良基氏の「幕末維新」三部作(すべて作品社刊行)が世に問われたと言ってもよいでしょう。

本書を論ずる枕には、一つの推薦文を置くことが適切であろうと思います。江戸文学/比較文化研究者である田中優子氏(前法政大学総長)のものです。

「日本を、江戸時代からやり直したくなる。いや、やり直さなければならない。
強くそう思わせる、驚くべき著書だ。現代日本を見ていて「何かおかしい」と感じ続けている。近代と戦後日本は、もっと別の可能性があったはずだ。なぜ日本の近代は天皇制となり、その結果、あのような戦争に突入して行ったのか?戦後になったというのに、なぜ藩閥政治のような考え方が今でも世襲的に繰り返されているのだろう?
なぜマルクス主義者たちは国粋主義者と一緒になって江戸時代を否定したがるのか?
これらは明治維新のもたらしたものではないのか? 本書は、それらの謎を解く、新たな入り口を開けてくれた。発想の転換だけではなく、価値観の転換を迫られる。」


1.【本書目次】

はじめに――“江戸の憲法構想”と“もう一つの近代日本”を求めて
第Ⅰ部 徳川の近代国家構想――もう一つの日本近代史の可能性
 第1章 よみがえる徳川近代史観――尾佐竹猛と大久保利謙
 第2章 慶応年間の憲法構想――ジョセフ・ヒコ、赤松小三郎、津田真道、松平乗謨、 西周、山本覚馬
 第3章 サトウとグラバーが王政復古をもたらした

第Ⅱ部 徹底批判〈明治維新〉史観――バタフライ史観で読み解く
 第4章 〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇
 第5章 唯物史観からバタフライ史観へ
 第6章 丸山眞男は右派史観復活の後押しをした
 終章 福沢諭吉から渋沢栄一へ

あとがき 〝近代日本の記憶のあり方〟と〝未来の歴史〟を変えるために
注/人名索引


2.【紹介】
本書の一貫した主題は、あり得たはずの“もう一つの近代史”の説得的提示です。

第1部では、既に〝江戸時代〟には、近代主権国家の必須要件である「憲法」が、自生的かつ幾つも構想されていた事実、およびその「証拠」を列挙します。

まず、戦前においても、日本のもう一つの〝近代〟の可能性を論じた二人の史家、尾佐竹猛と大久保利謙を取り上げ、それに導かれる形で、より詳細かつ具体的に、6名の憲法構想者とその憲法案を取り上げて比較検討します。

第Ⅱ部では、「証拠」があるにもかかわらず、明治以降の歴史学が、それらの歴史的証拠(evidence)をなぜ軽視したり、無視できたのか、その理由を考察します。

具体的に俎上に上るのは、戦前の文部省編『維新史』、司馬遼太郎、井上清、遠山茂樹、丸山眞男、等の議論です。それらの比較検討の結果、〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉および丸山眞男の維新史観、これらの評価軸がみな共通して、長州/薩摩連合による「武力倒幕」を肯定しており、その意味で、これらは、本質的に共通性がある、としています。私流に言い換えれば、〈同じ穴の狢ムジナ〉となりましょうか。

そして、Ⅰ部とⅡ部の接続部、つまり、第Ⅰ部のおわりに、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」を挟みます。これによって、「江戸」から「明治」にかけて、歴史が「進歩」ではなく「退歩」してしまった歴史の”捻じれ”、の実例とします。著者関
良基氏はこれを、

「覇権国の軍事支援があれば、前近代は近代に勝利し得る。明治維新とはそういうことなのだ。」第4章「〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇」、本書、p.149

と簡潔に(冷徹に?)表現しています。著者にこのような歴史観の洞察を可能にしたものが、第5章で論じられる複雑系科学に基づく「バタフライ史観」です。

本書で展開されてきた議論を総括するのが、終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」です。著者は、これまでの歴史学において、何故、渋沢栄一が過小評価され、福沢諭吉が過大評価されてきたのか、その由来を尋ねます。

ダウンロード - 福沢諭吉vs.渋沢栄一

上記の比較考察から、著者はこう述べています。

「渋沢は、数多くの会社経営のかたわらで、・・・、(孤児院、日本赤十字社など)、多くの社会福祉事業に関与し続けた。 丸山眞男は、自己責任論を主張した福沢の方が、弱者救済を主張する渋沢よりも近代的だと考えるのであろうか?」本書p.223

「江戸の寺子屋教育の申し子と言ってよい渋沢が、製造業・金融業・運送業・食品業と多方面にわたってベンチャー企業の創業活動を行なって、日本資本主義の父となった。渋沢の存在そのものが、江戸の寺子屋の人材育成に優れた面があったことを示す好例であろう。」本書p.225

そして、下記の一文でもって、終章を結びます。

「渋沢栄一が新一万円札の肖像になるのを契機として、私たちは江戸文明が内発的に生み出すはずであった〝もう一つの近代日本〟の姿を再検討し、それを再興する形で未来社会を構想すべきではないだろうか。」本書、p.227

3.【評価①】
本書は、著者の前二著とくらべて、際立って優れた工夫があります。それは、第1章から第6章まで全てに、「はじめに」および「おわりに」が設けられていることです。

「はじめに」は、その章で解明したいテーマを、「問い」として掲げています。「おわりに」は、先ほどの「問い」に応じ、その章の議論で明らかにされた著者の「答え」を簡潔に提示しています。

これは、日本のアカデミック、かつ非自然科学分野では、珍しい(初の?)論述の構成ではないでしょうか。とりわけ、歴史学関連では珍しく、かつ読者の理解を助ける優れた論述スタイルだと思われます。こういう地味ですが、優れた試みが広がると良いのですが。

前著(松平忠固論)から継続して、本書全体の内容構成のバランスが良いです。第3章を中間に挟んで前後半がほぼ均等におかれています。これも、見やすい後注、人名索引とともに、読者の理解を支援する工夫で、本書全体に著者の神経が行き届いている証拠だと思います。今回、前二作のハードカバーから、軽装版のぺーバーカバーになりました。コストの面もあるでしょうが、持ち運びの点から、個人的は好印象です。軽装版の学術書が増えることは大歓迎でなので。

4.【評価②】

本書には前二作と比較して、少し異色な点が二つあります。「憲法」を前面に押し出したことと、複雑系科学由来の歴史理論「バタフライ史観」を挿入した点です。

著者は、「あとがき」にて本書執筆の動機として、既存の《史観》の検証の必要性を語っています。従いまして、先の二点はそのための基礎作業と言えます。

ただ、著者の前二著を熱烈に支持した読者たちは、「歴史」そのものへの関心、あるいは新しいリアルな「幕末維新史」の切り口を待望していたでしょうから、過去の二著に較べると本書が若干理論的になり話題性はその分下がるかも知れません。

その点を考慮すると、本書での衝撃度の高さから言えば、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」が、衝撃度、話題性がともに高く、次に終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」が、説得性が最も高い、を言えそうです。

一人でも多くの読者に本書(を含めた三部作)が届いて欲しいと念ずる批評子からしますと、本書の内容・論述は充実しているので、本書のタイトルと内容の構成を、この二つの章をもう少しアピールするようにできていれば、より訴求力が高まり、読者の範囲をさらに広げることができるのではないか、という望蜀の感無きにしも非ず、というのが正直なところです。

5.【議論①】

前項でも指摘しましたが、本書第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」は、ここまで明確に特定して記述できるとは思いませんでした。もちろん、列挙されたのは状況証拠ではありますが、これだけ揃えば、直接証拠でなくとも、十分説得性があると思います。過去の史家たちの議論では、読者に推測させるか、匂わす程度でしかありませんでしたし、思い切って論断する威勢の良い議論は、大抵は憶測の域を出ていませんでした。

今回、ここまで言い切れたのは、著者が赤松小三郎という、オモテの「幕末維新史」から消されていた、重大な思想家、かつ非常に重要な軍事技術者、すなわちミッシング・リンクの再発見/再評価をなしたことが大きな力となっていると思います。とりわけ、島津家の軍事指導者西郷吉之介の心変わりを軍事技術者赤松小三郎の動向と結びつけられたことで、全ての点が線に結びついたのであろう、と考えられます。赤松が線上に登場したことで、アーネスト・サトウとのリンケージも結べたのは驚きました。多分、これが歴史の真実(の重要な一部)なのでしょう。

それにしても、名のみしか知らなかったサトウの『英国策論』が、これほど内政干渉の震源だったという事実に無知だったのは、書評子自身、不明の至りで、本当に恥ずかしい限りです。改めて、英国という国家の影の部分(悪辣さ)には、腹の虫がおさまりません。「バルフォア宣言」に淵源する、現在進行形の、パレスチナでの虐殺を思うと余計です。

※サトウ「英国策論」は、『日本近代思想大系1 開国』1991年岩波書店所収

この件に関連して1点だけ。

よく言われることに、幕末期、英国政府は交渉相手として、無能、非合理な「大君政府」を見限り、薩長連合に肩入れした云々といった評言を読んだり、聴いたりします。しかし、昨今の19世紀の「公儀」権力研究、例えば、

眞壁仁『徳川後期の学問と政治―昌平坂学問所儒者と幕末外交変容』2007年名古屋大学出版会(古賀とう庵は学問所の中心儒者)
前田勉「古賀とう庵の海防論―朱子学が担う開明性」『兵学と朱子学・蘭学・国学』2006年平凡社所収
前田勉「女性解放のための朱子学―古賀とう庵の思想2」同上

などによれば、最新の海外情報を入手した開明的な昌平坂学問所儒者たちが「公儀」政治・外交にかなり関与しており、その膝下から弟子たちが、海防担当の有能な官僚として活躍していたことが明らかになっています。

それからしますと、英国政府は、無能・非合理故に「大君政府」から薩長連合に乗り換えたというより、「大君政府」外交部がタフ・ネゴシエーターであったために、より与し易い薩長連合に乗り換えた、とみるほうが合理的なのではないか、と思います。つまり、常識と真逆だったのではないか、ということです。


6.【議論②】
・「バタフライ史観」に関して
何事にも、「日のもとに新しきものなし」と言われます。弊ブログでも、先人の言葉を幾つか引いています。

引用ⅰ 奇妙なことに、意図されずにしかし実際に実現しているような影響と比較して、意図されてはいたが実現されなかったような社会的決断の影響の方が研究を必要としている。というのは、前者は少なくともそこにあるのに対して、意図されたが実現しなかった結果はしばしば過ぎ去るある時点において社会の行為者たちが表明した期待の中だけに見出されるからである。
アルバート・O・ハーシュマン『情念の政治経済学』法政大学出版局(1985) 、p.132

引用ⅱ われわれは初発の出来事を決して繰り返すことはできない。この出来事は自分が何をしているのか分かっていない人々によって行われたのであって、この無自覚性こそが出来事の紛れもない本質であった。
アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店(2000年)、第3章産業社会、p.32

以上も、歴史の複線的可能性を示唆しているとみられます。大きくカテゴライズすれば、みな「複雑系」的な発想法であるでしょう。従いまして、これらの史観を、どう命名するか。もう少し検討の余地があるかなと思います。
※下記弊ブログ記事もご参照頂ければ幸甚です。
引用ⅰは、下記参照。
過去の擬似決定性と未来の選択可能性/ Pseudo-determinism of the past and the possibility of choosing the future: 本に溺れたい
引用ⅱは、下記参照。
歴史における発生と定着、あるいはモデルと模倣: 本に溺れたい

7.【議論③】
・世代について
本書で論じられているように、明治維新を肯定する司馬遼太郎や丸山眞男たちが、そう信じたい動機は、彼らが大正時代に青少年期を過ごしたことと関連するかもしれません。つまり、彼らにとり、大正時代がピークとなり、昭和においてどん底まで突き落とされた訳です。

各時代を、「進歩史観」で序列化するとこうなりますでしょうか。

《大正=近代》 → 《明治=半近代》 → 《明治維新=近代化革命》 → 《江戸時代(徳川日本)=前近代》

しかし、それは大きな勘違いでした。

象徴的なことの一例を示します。

21世紀の現代でも、新聞の投稿欄があり、俳句欄、短歌欄がありますね。戦前から存在し、無論、明治からありました。しかしながら、戦前のある時期に廃止された投稿欄がありました。それは、「漢詩」欄です。昨今では、高校国語でもあまり漢文を選択授業に設定しなくなったかもしれませんが、例の李白や杜甫が作った詩のことです。これは古典語(漢語)による詩作、という極めて高度な創造活動です。分かりやすく言えば、現代ヨーロッパの民衆が、ラテン語で詩作することに匹敵します。この漢詩形式による詩作は徳川日本でピークに達しましたが、明治になってもしばらくは、一般購読者による漢詩の投稿は盛んでした。ところが、明治がすすむにつれて、投稿数が減少し続け、漢詩の投稿欄は大正六(1917)年に消えたのです。
※参照 石川忠久/陳舜臣ほか『「漢詩」の心―自然を謳い人生を詠む』1995年プレジデント社、p.6

つまり、江戸文明(徳川文明)は、大正時代に消失した訳です。最後の徳川将軍、慶喜が没したのは、大正2(1913)年11月22日、享年76歳でした。

※人口学的な世代論については、詳細は下記の弊ブログ記事をご参照下さい。
徳川文明の消尽の後に(改訂版)/After the exhaustion of Tokugawa civilization (revised): 本に溺れたい


最後に、本書の丸山眞男論に触れたかったのですが、弊記事が長くなり過ぎたことと、他論者の丸山眞男論も含めて、別途論じさせて頂くこととします。

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2021年3月14日 (日)

藤井哲博『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯』1985年中公新書〔承前〕

 本書のamazonレビューを書きました。弊ブログの元記事の簡略版ですが、念のため、弊ブログの別記事として残しておくことに致します。

「勝鱗太郎/福澤諭吉、とは何者か」

 本書が信頼に値するものであれば、勝鱗太郎とは「a great history-monger(歴史の捏造者)」であり、福澤諭吉は「Embezzler in the course of official duties(公務中の業務上横領者」に過ぎません。
 私は、本著者の知的誠実性をどうしても疑うことができません。そして、本書が刊行されてから早、40年近く過ぎようとしています。この間、勝鱗太郎研究者や福澤諭吉研究者、またそれぞれの信奉者たちから、実証的で、徹底した反駁が出ている様子がなさそうです。これでは残念ながら、その方々も本書の言い分を認めたことになってしまいます。このレビューを読まれてギョッとされた方(or 怒髪天を衝く方)は、下記の当該頁をお読みください。賛否いずれにせよ、読まれること(願わくば復刊されること)を衷心から願います。
「勝海舟の虚像と実像」〔本書、pp.186-192〕
「お荷物随員・福沢諭吉」〔本書、pp.117-120〕

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2020年9月 1日 (火)

丸山真男を逆から読む

 私はこの頃しきりに思うのです。「近代」は、なぜこうも絶えず、「成長」「膨張」「増殖」するように方向づけられているのか。

 マルクスは「資本」の「価値増殖過程」を automatic system として記述していましたが、「増殖」している最たるものが「人口」です。この百年くらいで、人類の個体数は明らかに「幾何級数」的、 positive feed back loop に入っています。いまは、アフリカ/アジアの最貧国の人口爆発に文句をいっていますが、19世紀から20世紀前半は欧米列強と帝国日本が人口爆発していました。

 丸山真男は、1958年10月に「『である』ことと『する』こと」という小さいが卓抜なエッセイを書いています。自称インテリたちは納得顔で「そうだよなぁ。近代化しなくちゃなぁ。」とうん、うんと頷いていたのです。

 「である」価値/論理から、「する」価値/論理へ。固定した「である」から、自由で躍動する「する」へ。すべての人類は、自らの「価値」を「する(=生産する)」ことを通して identification しなければならない。その帰結はなんだったのでしょうか。その全人類的 transition の帰結が、「地球環境の生態学的危機」です。

 だとしたら、いま、人類に求められているのは、その逆のプロセス。「する」価値/論理から、「である」価値/論理への移行。後退ではなく、止揚された新たなる「身分社会」ではないか。

 山師福澤から百五十年、丸山から遅れること半世紀。我々は、彼の卓抜なエッセイを反面教師として逆から読むことから始めるべきではないか、と今しきりに考えます。

この表現に眉を顰める方は、以下の弊ブログ記事をご覧ください。福澤の公務中の業務上横領の記載があります。
藤井哲博『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯』1985年中公新書: 本に溺れたい

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「身分社会」再考

 前近代の「身分社会」。アカデミズムが職業として確立したのは、「市民社会」「近代社会」でした。

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2020年6月24日 (水)

江戸モラリズムへの死刑宣告者

 福澤諭吉の業務上横領罪については既に指摘しました。下記。

藤井哲博『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯』1985年中公新書: 本に溺れたい

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2019年11月 4日 (月)

藤井哲博『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯』1985年中公新書

 以下は、藤井哲博『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯―幕末明治のテクノクラート』1985年中公新書(No.782)、からの抜粋です。それは、幕末維新の二人の英雄(一人は政治英雄、他の一人は文化英雄)の評価に関わるものとして無視できない記述と考えます。その意味で、広く知られたほうが良いと判断しました。その二人とは、勝鱗太郎福澤諭吉です。

◆勝鱗太郎
〔本書、pp.12-13〕

勝麟太郎
 この遠洋航海で最も無能ぶりを暴露したのは、艦長の勝麟太郎であった。出港してすぐ船酔いにかかり、アメリカに着くまでほとんど甲板に出てこなかった。出港前から病気だったともいっているが、それなら艦をおりるべきであったろう。
 後年、木村喜毅はこのときのことを「勝さんは、ただフネに酔ったという許りでなく、つまり不平だったのです。(中略)甚しいのは、太平洋の真中で、俺はこれから帰るからバッテラ(短艇)をおろせと、水主に命じたほどでした」(『咸臨丸船中の勝』)と語っている。
 このような勝は、艦の士官たちからも次第にうとんじられるようになった。サンフランシスコで咸臨丸が米海軍から二十一発の礼砲を受けたので、部下の士官がその答砲の許可を求めると、勝はもし礼砲発射に失敗すると恥になるから答砲は控えた方がよいという。砲術方兼務の運用方・佐々倉桐太郎は、失敗するはずはない、答砲すべきだという。勝は、やりたければ勝手にやれ、成功したら俺の首をやるといったという。無事答砲を終えた佐々倉は、「今勝麟の首をもらってもよいが、艦長も首がないと不便だろうから、日本に着くまで預けておこう」と並居る士官たちを笑わせたという。
 木村司令官は、幕閣から与えられた使命にかんがみ、パナマまで「ポーハタン」号に随伴し、それから先は、咸臨丸を勝に任せて帰国させ、自らは正使らとともにワシントンに赴くつもりでいたが、勝がこのような状態ではそれもできず、やむなくサンフランシスコから咸臨丸で引き返さざるをえなかった。勝が帰国後、海軍から蕃書調所頭取助に、次いで陸軍の講武所砲術指南役に転属させられたのは、木村が勝には海軍の適性なしと見たからである。

〔本書、pp.186-192〕

勝海舟の虚像と実像
 今まで折にふれて、友五郎をめぐる周辺人物の幾人かについて語ってきた。しかし、幕臣時代、友五郎をライバル視続けてきた勝麟太郎と、小栗忠順を中心とする有司集団や友五郎のつながりについて、若干補足しておかなければ、小野友五郎という人物を語りつくしたことにはならないであろう。
 勝は、非職の場合を除き、その幕臣生活の大部分を海軍方として過ごした。友五郎も組こそ初め海軍方、後に勘定方と変わったが、その業績は海軍関係が主で、彼には非職の期間かなかったから、海軍に関係した実歴は彼の方がずっと長い。この間、友五郎の方はともかく、勝はずっと小野友五郎をライバルとして意識していた。
 一国を海軍国に仕立てあげるには一世紀の歳月を必要とすると、一般にいわれている。戦前の日本帝国海軍は、帆走木製艦の時代が終わり汽走鋼鉄艦の時代に、青銅製先込滑腔砲の時代か終わり鋼鉄製元込施条砲の時代に入ったときに発足するという好運に恵まれ、七十余年の歴史をもって、何とか英米に伍する海軍を作りあげた。しかし、それは幕末海軍十余年の歴史を引き継いだからこそのことであった。近代海軍の基礎作りは、すでに幕末にできていたのである。
 その意味において、戦前には「日本海軍の父は勝海舟である」とひろくいわれていた。果してそうだったのであろうか。たしかに勝は、長崎海軍伝習所で艦長教育をうけ、咸臨丸の航米では艦長役をつとめた。その後、幕府時代には、軍艦操練所頭取・軍艦奉行並・軍艦奉行・海軍奉行並と海軍方の役職を断続的に歴任した。そして明治初期には、新海軍の海軍大輔・海軍卿を勤めた。なるほどその経歴は日本海軍の父と呼ぶにふさわしい。
 しかし、これらの経歴を通して、果して彼は日本海軍の基礎作りに、実質的にそれほど貢献したのであろうか。答えは否というべきだろう。当時、幕閣も諸有司もそのことはよく承知していた。だが彼には、人一倍すぐれた才能が備わっていて、ある意味では幕府に是非必要な存在たった。それは、巧みな弁説をもって周旋・調停をする能力である。これは親譲りの才能らしく、彼の父小吉は、本所界隈の無頼の徒のもめごとを巧みに収拾し、それが生活の資を得る手段にもなっていたと、『夢酔独言』で自らのべている。
 海舟は、航米後いったんていよく海軍を追われたが、大久保越中守忠寛(一翁)、松平慶永(春嶽、政事総裁職に就任)、将軍家茂など、海軍のことに暗い時の権力者に直接接触する機会を作って、これに働きかけ、海軍に返り咲くことができた。しかも、後には逆に幕閣の方が彼に周旋・調停の役をやらせる必要が生じたとき、進んで彼を海軍のしかるべき役職に呼び戻したのだった。彼の属した組は海軍方だったから、その役につける以外、彼に下命する方法がなかったからである。以下その様子を具体的に概観しておこう。
 長崎海軍伝習所では、学生長としてオランダ人教官と伝習生の間をとりもったので、教官には重宝がられたが、肝腎の自分の学業の方はおろそかになり、留年を余儀なくされた。咸臨丸の航米では、艦長としての無能ぶりを暴露して、帰国後海軍からていよく追放された。それが文久二年(一八六二年)軍艦操練所頭取、次いで軍艦奉行並に返り咲くことができたのは、大久保越中守忠寛にとり入り、その推挙によったからであった。しかし、軍艦操練所では、海軍に無能な者が頭取や奉行並で来られるのは困ると、教授方にストライキをやられた。この教授方連中の一人に小野友五郎もいた。
 そこで、今度は、西上中の将軍家茂を大坂湾視察にひっぱり出し、じかに神戸の軍艦操練所設置の許可を取り付ける。この計画はなかなか軌道に乗らなかったが、元治元年三月、江戸の築地操練所が火災で焼失したので幕閣も進めざるを得なくなった。その諸施設が大体できあがり、そろそろ教育を始めようかという時に、勘定方・海軍方の猛反撥にあい、わずか半年でこの操練所はつぶされ、彼は非職にまわされた。後世、神戸操練所の教育が一時期とはいえ、実質的に行なわれたかのごとく信じられているのは、勝の晩年の法螺話に史家がまどわされたからで、この操練所での教育は実態なきにひとしい。実際の幕府海軍教育は、慶応三年七月、江戸の浜御殿に復興した江戸の築地操練所で、仏英による伝習を交えて、幕末まで施行されたのである。
 元治元年(一八六四年)に勝は軍艦奉行を命ぜられるが、これは、英米仏蘭四国の連合艦隊の下関攻撃を中止させるために、その交渉に豊後・姫島に派遣するためであった。これが失敗すると、ふたたび彼は非職となるから、軍艦奉行の任期中に奉行本来の職務を勤める暇はなかった。慶応二年に軍艦奉行を再勤するが、このときも、初めは長州再征にからむ京都での薩摩・会津両藩の確執を調停させようとし、次いで安芸の宮島で長州再征終結のために幕府と長州藩の間を周旋させようとしたのだが、孝明天皇の勅命をえて後者の必要がなくなると、彼はまた非職となる。
 慶応四年一月、海軍奉行並に任ぜられたが、これは彼の一世一代の調停のためで、大久保一翁(忠寛)と協力して西郷隆盛と交渉し、江戸の無血開城を取り決めたのである。彼の幕末の海軍経歴とはざっとこのようなものである。
 明治政府になって、勝の官幕間の調停の功に報いるために、初め海軍大丞の内談があったが、彼はこれを蹴る。彼が欲しかったのは、職務ではなく官位の方だった。そして明治五年海軍大輔を受け、次いで六年海軍卿にのぼせられて念願を果すことになるが、何の仕事もしないで、一年も経たぬうちに免官を願い出ている。このときも、西郷隆盛が鹿児島に島津久光の上京を促すために下ったが、中々成功しないので、その応援に赴かされたのであるが、それが終わると、海軍にもう長居は無用と、彼の方からさっさとやめてしまったのだ。彼はまだ五十三歳の働き盛りであった。
 当時は、「勝の本領は政治的調停人で、昔も今も海軍はただ籍をおいているにすぎない」ということは、消息通は誰もが知っていた。彼の過去の事歴を知る人が、まだ幾人も存命していたからだ。
 後年、世の人に海軍部内の人にすら彼をして「日本海軍の父」と思い込ませるのに与って力があったのは、彼の編集した『海軍歴史』である。これは実際には木村芥舟(元摂津守)と長崎海軍伝習所二期生出身の伴鉄太郎か史料を蒐集し、勝が編集に与ったものである。その費用は樺山海軍大臣を通じて海軍からでている。この本は幕府海軍の貴重な史料を収録したもので、筆者も大いに利用させてもらったが、これを史料として読むに当っては、若干の注意を要する。木村芥舟と伴鉄太郎か蒐集した原史料は信用できるが、勝が提供した自分自身に関する史料は原本そのままではないこと、およびその編集方法と彼の付け加えた解説の部分が混乱しているために難解となっていることの二点である。これは彼が実際海軍の仕事にあまり従事していたかったことを露呈し、まだ彼自身の海軍への関与を実際以上に見せようとする意図をもっていたことを物語るものだが、近年研究がすすみ、『勝海舟全集』の編集者などの気付かれた点は注記されているので、助かる。
 この『海軍歴史』と晩年の彼一流の無責任な法螺話とが、両々あいまって、史実と違う伝説を作りあげてしまったといわざるを得ない。その最たるものが「咸臨丸の日本人単独運航説」などであろう。

帝国海軍の基を開いた人々
 慶応初年の『海舟日記』には、「今この閣老(老中・小笠原壱岐守長行)の信ずる所は、狎邪の小人塚原(昌義)、木下(謹吾)、小野(友五郎)、肥田(浜五郎)の輩数人に過ぎず」、「当分第一等の御処歴は、狎邪の小人三、四輩を除き」、「大邪(小栗上野介忠順)既に金を払郎西に借るの策あり」、「嗚呼、唐津(小笠原長行)、狎邪の小人、塚原・木下・小野・平山(謙二郎、後、敬忠)、その臣尾崎(嘉右衛門)輩を信用して」などの記述が度々出てくる。ここに名を挙げて「狎邪」の輩と罵倒されている人々は、当時の幕府有司の主流派、つまり非主流の勝からすればライバルである。
 真に幕府海軍の建設に当り、明治の帝国海軍の基を開いた人々は、これらのなかにいるのである。すなわち、小栗忠順、小野友五郎、木下謹吾、肥田浜五郎らが、それである。海軍は軍人と軍艦と工廠からなる。「狎邪の小人」小野友五郎・木下謹吾・肥田浜五郎らは、「大邪」小栗忠順を中心として、あるいは軍艦操練所を整備して海軍士官を養成し、あるいは軍艦・商船を建造・調達して艦隊を整え、あるいは海軍工廠を興して軍艦・兵器の新造・修理をはかるなど、着々と海軍建設の努力を重ねたのである。
 「日本海軍の父」というならば、それは海軍の位階をのぼりつめた勝海舟ではなく、海軍の建設に地道な努力を続け、実際に貢献したこれらの人々を呼ぶべきであろう。
 この人々は、果して勝のいうごとく、日本の将来が見通せず、ひたすら幕府の延命のために働いたのであろうか。その答えも否である。彼らは、幕藩体制の余命がいくばくもないことを、一番よく認識していた。それは幕府政治の中心にいて、幕府や諸藩の財政事情を誰よりもよく知っていたからである。(ちなみに、勝の幕末までの最高の職位は、軍艦奉行―戦隊司令官で、幕政の中心からみれば、現場指揮官にすぎなかった)。

 勝という人物が、いわゆる「信用ならない人物」ということが伺われます。後世に自らの望ましい歴史象を残したという意味で、よく言えばセルフプロデュースの天才、悪しざまに言えばペテン師 faker というところでしょうか。作家司馬遼太郎と根底的なところで共通しています。


◆福澤諭吉

〔本書p.117-120〕

お荷物随員・福沢諭吉
 今回の米国行において、福沢諭吉は終始使節団にとってはお荷物となった。彼は前二回の洋行経験と英語能力をもって友五郎に随員として採用してもらったのだが、米国に渡ってみると、彼の英語力は、今日のいわゆる観光英語の程度で、とうてい公務の遂行には役に立たないことがわかった。彼の仕事は翻訳方つまり書記官の役だったが、日米往復文書の翻訳をやらせてみると、英文和訳はまだしも、和文英訳の方はてんで駄目引用者註1で、彼の訳文はとても公用文として使えるものではなかった。そこで自然、書記官の仕事は通訳の津田仙弥に行き、通訳の仕事は最も会話能力のすぐれていた尺振八の専任になってしまった。外国に出て特定の任務を遂行するとなると、本国における身分などに関係なく、実力のあるものがことに当らざるをえなかったのである。
 それに、福沢は他の団員とちがって、使節団の重要な使命も団員としての責任も自覚しておらず、たくさんの私的なアルバイトを抱えて行った。初めから彼にとってはその方が主で、使節団にはただ便乗したに過ぎなかったのだ。
 福沢に何かやらせると、へまばかりやって事務が渋滞するのが常であった。横浜で彼に為替を組ませたのだが、ニューヨークに着いても、この為替が現金化できない。彼は雑用を現地人にやらせて楽をしようと、チャールズという小使の採用を進言したが、この男に五〇〇ドルの公金を持ち逃げされてしまう。船で託送した荷物の荷揚交渉に手間どり、将軍から大統領への贈物が謁見の日に間に合わたかった等々である。
 いよいよ交渉となって文書のやりとりがはじまってみると、その翻訳はとても彼の手には負えないので、ちゃっかり津田に押付けようとする。津田は、自分の任務は翻訳方なのか通弁方なのかはっきりさせてもらいたいと、友五郎に訴える。友五郎は、福沢が津田に押付けた要翻訳書類を福沢に自分で訳すように渡すが、その翻訳はいつまでたってもできてこない。やむなく、友五郎は松本とはかって、福沢を交渉事務から外し、津田に翻訳方をやらせることにする。これに対し福沢はぬけぬけと、交渉の席に出ないのは構わないが、議事録の上では出席したことにしておいてもらいたいと友五郎に申し出で、あきれさせている。
 福沢はアルバイト用に五千両ほどの金を用意してきており、それで自前の書籍の購入に奔走し、三~四千両分を買い付けた。そこで友五郎は、彼に二万ドルで幕府の必要書籍の購入をやらせようとする。彼は幕府のも自分のも一緒に卸値で購入するから、卸値と小売値の差額をコミッションとして自分にくれと友五郎に申しでて拒否されたにもかかわらず、ひそかにコミッションをとり、また私用の書籍代金を公用の支払いに潜り込ませてしまう。
 さらに福沢は、アルバイトとして購入した大量の書籍の運賃を、幕府の公金による購入品のものと込みにしてごまかそうとした。書籍は重いからその運賃は馬鹿にならない。友五郎は乗船に先立ち、各人は私物と公物を区別し、私物の運賃は自分で支払うよう指示し、自らもそれを実行した。友五郎の勘定吟味役という立場を他の随員たちはよく理解し、会計については皆厳正にやっていた。ひとり福沢はそれに従わず、自分の荷物と幕府の荷物を一括して渡し、その運賃を公金勘定にした。
 乗船直前にこのことを知った友五郎は、船会社から運賃表をとりよせて福沢に渡し、この表で自分の荷物分の運賃を見積って、神野に戻入するよう命じる。船中で使節団の残務整理中、福沢に自分の荷物の運賃見積りはできたかと友五郎が聞くと、先の運賃表を紛失してしまったので見積りができないという。その運賃は、荷物の量からみて千ドルを越すものとみられていた。
 そこで友五郎と副使・松本は、帰国後、福沢の荷物を神奈川奉行に差し押えさせ、福沢を告発し、自分たちも部下不取締のかどをもって進退伺いを出したのである。

 上記は、福澤の実務上の語学力に関する情報と、彼の公務中における実質的業務上横領というべき仕業です。本書出版当時、福澤研究者からの応答はあったのでしょうか。

※本記事の弊amazonレビューを弊ブログ記事として再掲してあります。下記。
藤井哲博『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯』1985年中公新書〔承前〕: 本に溺れたい

引用者註1)この点、福澤だけの問題ではありはせん。下記、参照。
英作文教育は無駄である: 本に溺れたい

(引用者註2)下記も御参照を乞う。
歴史における事実と意見: 本に溺れたい

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2019年6月13日 (木)

内田樹「言葉の生成について」2016年12月(2)

 (1)の続きです。言いたいことは、江戸人の「本居信仰」(1)、ですでに書いてしまいました。

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2019年3月 1日 (金)

福澤諭吉 「脱亜論」 時事新報(明治一八年三月一六日)

 昨今、日韓関係がいろいろギクシャクしています。そいういう時、ブログ主がすぐ思い出すのは、福澤諭吉が、明治18(1885)年3月に書いた『時事新報』社説、「脱亜論」です。

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2017年12月 3日 (日)

幕末に列島の植民地化危機はない(2)

 本件に関して、同時代の証言、それも当事者に近い立場の人間の言を一つ引いておきます。

 彼の下ノ関砲撃事件の如きも、各公使が臨機の計ひにして、深きを考ありしに非ず。現に後日、彼の砲撃に与りたる或る米国士官の実話に、彼の時は、他国の軍艦が行かんとするゆゑ、強いて同行したるまでにて、恰も銃猟にても誘われたる積りなりしと語りたることあり。以て其事情を知る可し。
 右の如き始末にして、外国政府が、日本の内乱に乗じ、兵力を用ひて大に干渉を試みんとするの意思を懐きたるなど、到底思ひも寄らざる所なれども、・・・
「瘠我慢の説に対する評論に就て」碩果生(福沢諭吉の口述筆記、明治34年)
 福沢諭吉選集〈第12巻〉 (1981年)(岩波書店)、P.262

〔参照〕幕末に列島の植民地化危機ははい(1)

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2017年2月28日 (火)

関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新』作品社(2016年7月)

 一書を全編書き下ろすことは、尋常ではない精力を必要とするだろう。著者は森林生態政策学者である。つまり、本書の内容は著者の専門の畑と異なり、その要求されるエネルギーも倍加する。

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