mimēsis (ミメーシス)

2026年6月 1日 (月)

未来の他者性/The Otherness of the Future

思うに、homo sapiens にとって、最大の関心は、「他者と表象される他の homo sapiens」なのだと思います。

ヒトの人生を曲折させるのは「出会い Encounter」ですし、生身のヒトではなくとも、1冊の本(これも人工物)との「Encounter」も強烈にヒトの生を捻じ曲げることだってありますから。

西欧人の第1次 globalization である「大航海時代」でも、「地球は丸い」という巨視的事実のみを頼りに、未知の海へ船出した冒険者たちは、金銀財宝を探求する以上に、未知の homo sapiens との「Encounter」に強烈に惹かれていたとも考えられます。

遡れば、7~8万年前の、「出アフリカ」でさえも、「未来=他者との Encounter」という、実は何の根拠もない、脳の発する symmetry bias にうかうかと乗せられて始まった大冒険なのかも知れません。

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2026年5月31日 (日)

人間の現実・行為の意味と「世界履歴」/Human Reality, the Meaning of Human Action, and “World Log”

「現実 reality は人間にとり、如何なる様相(mode)で、流動(flux)と言えるのか」についてない知恵を搾ってツラツラ考察中です。いまを生きている私個人には、現実がちっとも flux とは感じられないからです。

しかし、過去と言う私の履歴を遡及すると、遡及時点毎に、「意味」が変化する。これが「流動flux」である、と abduction(仮説形成)してみた結果が以下です。

人間の行為は刻一刻と「世界」に刻まれ、その履歴を遺します。

無論、大抵の場合、当人には当人の意図、目的、goalがあり、それに準拠して行為を実行します。しかし悲しいかな 生身の人間はその bounded rationality の閾値を超えられず、時折、「意図せざる帰結」を迎えることも少なくありません。

また一方で当初の目論見通りの結果を得たとしても、それが俄か喜びとなるケースも出てきます。何故なら、「この世界では誰も、自分が行い語ることの意味を知りえない。」からです。

++++++++引用開始+++++++++++++
 すぐれたドラマにおいては、到来する未来が刻一刻と過去の意味を再決定する演劇的現在の時間が主権を確立する。

 そしてこの時間は、他者との思わぬ出会いの瞬間から構成される時間でもある。この瞬間的な出会いの時間においては、人は自分自身や既知の人間を未知の他者として発見する一方、未知の他者が自分の自己同一性(アイデンティティ)の一部をなしていることを見出す。

 預言者テレイシアスとの出会いがなければ、オイディプスは自分が誰なのか知ることはなかったろう。そして彼を励まそうとした妻イオカステの善意の言葉を契機として、オイディプスは自分が母と結婚した人間であることを知る。この世界では誰も、自分が行い語ることの意味を知りえない。行為の意味は人と人との出会いの瞬間に構成され、時間と共に変転する。オイディプスが父を殺し母をめとることになったのも、王命に背いて赤子の彼を殺さず見知らぬ羊飼いに渡した召使いの善意の思わぬ帰結なのだ。

 演劇においては、あの完結した時間という虚構は、始まりを終りに、終りを始まりにする時間の逆転に仕える。そして時間の逆転を通じて過去は新たな意味をもって再び生まれ、時の連続性が確立される。
関 曠野「知は遅れて到来する ―ドラマにおける時間について―」(1985年5月)/Seki Hirono, Knowledge Comes Late, On Time in Drama, 1985: 本に溺れたい
++++++++引用終了+++++++++++++

関 曠野の言葉を私流に換言するならこうです。

ひとは、何事か思い、行い、話し、書きます。その全てが本人のこの世界に於ける履歴、つまり「世界履歴」の一部となります。そして、それらの一つ一つの履歴点において、本人は当座の「意味」をその行為の束に付与しています。しかし、「text」における《語》の意味も、「人生」における各履歴点におけるその《行為》の意味も、じつはそれらを含む〈context〉を指定しなければその当の意味を「確定」できません。つまり、《語》も《行為》も一つの context に置かれて始めて、その意味を一つ指定できることになります。

ここで、ひとがなぜ「意図せざる帰結」をしばしば迎えてしまうのか、という疑問に全面的に回答できます。二つの理由があります。

1)合理性の限界(bounded rationality)
・限られた情報/知識(未来を推量するためのデータ取得には莫大なcostが必要)
・限られた情報/知識処理能力(環境の複雑さに対して、人間の認知資源が圧倒的に不足しているという数学的限界が存在する)
2)未来文脈(The Context of the Future)の原理的不在
・人間の現時点での振舞い、言動の「意味」は未来の文脈が定まらない限り、つまり未来の時点から振り返らない限り確定できない。何故なら、未来の出来事は未だ何も起きていないし、誰も行い得ないから。ちょうど過去の履歴点の「意味」がいろいろな「いま」の履歴点から観測することで、何度も再発見されるように。

だから、関 曠野が言うように、「この世界では誰も、自分が行い語ることの意味を知りえない。」というのは真実です。しかし、それらの「意味」は、当該行為を含む、未だ知られざる「世界履歴線」から、context を《指定》する度に新しく生成され、上書きされ更新される、と言うべきでしょう。つまり、人間のその時の行為の「意味」は、未来へ向けて絶えず《後ろ向きに開かれている》のです。

※本稿の補遺を別記事としました。
未来の他者性/The Otherness of the Future: 本に溺れた

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2026年5月24日 (日)

「生成」から「形式」へ:20C.西欧思想における螺旋構造/From “Generation” to “Form”: The Helix Structure in Early 20th-Century Western Thought

Imagism を、Joyce、Pound、Eliot、と並べて、発見的線引きをしてみると、

Joyce vs. Pound - Eliot

と引けると思われます。

Finnegans Wake は、言葉を次から次へと生成する万華鏡のような世界ですし、Eliot は根本的には古典主義的、形式主義的で、Pound や Eliot が ’Noh’ に着目したのも、その形式美的な統一性です。

もし、Joyce 的 modernism を「生成」とするなら、PoundーEliot 的 modernism は、「形式」と捉え得る。そして、同時期に活躍した、Wittgenstein の前期から後期への履歴的変貌は、「形式」から「生成」と見なせる。そうだとすると、20C.初頭の modernism(imagism)の共時的分節化は、Wittgenstein という一人の哲学者においては、履歴的(通時的)遷移として表出した、と言えるでしょう。

また、この20世紀初頭の思想潮流の、《形式 vs. 生成》の分岐は、Stephen Toulmin が指摘した、以下の、16C. Montaigne的「近代」から三十年戦争を経て17C. Descartes的「近代」への再編成という事態が、19C末の人文主義再興からWWⅠを経て論理実証主義指向へと歴史的に再演(Mimesis)されたのだと考えてよいと思います。

Stephen Toulmin, Cosmopolis, Chicago, 1990 〔スティーヴン・トゥールミン『近代とは何か』2001年、法政大学出版局〕

By 1910, culture and society in Western Europe were on the verge of returning to the world of political moderation and human tolerance which was the dream of Henri de Navarre and Michael de Montaigne. Given this material, the 1910s and 1920s might have seen a definitive demolition of the modern scaffolding. (p.151) 〔pp.245-6〕

By the standards of our narrative, then, those who led the intellectual and cultural response to the disaster of the First World War chose not to move in a humanistic direction but rather to return to formalism. In a dozen areas, late 19th-century artists and thinkers had explored those areas that the first generations of “moderns” most undervalued: history and psychology, notably the psychology of the emotions. For forty years after 1920, the tide went into reverse. (p.153)〔p.248〕

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2026年4月13日 (月)

石川 淳「江戸人の発想法について」昭和18年3月/ Jun Ishikawa, “On the Way of Thinking of the People of Edo,” March 1943

佐久間の下女は箔附のちぢれ髪

裏に來てきけばをとつひ象に乘り

 お竹大日如来のことは民俗学のほうではどうあつかうのか知らない。某寺のはなしとか流しもとの飯粒を大切にするはなしとかがこれに関係づけられているようである。しかし、この風変わりな如来縁起が市民生活の歴史の中でいかなる関係物によって支えられているにしろ、前もって能の江口というものがあたえられていなかったとすれば、すなわち江口に於て作品化された通俗西行噺が先行していなかったとすれば、江戸の佐久間某の下女が大日如来に化けるという趣向は発明されなかったろう。江口の君が白象に乗って普賢菩薩と現じたという伝承は前代から見のこされて来た夢のようなものだが、江戸人はその夢を解いて生活上の現実をもってこれに対応させつつ、そこにまたあらたなる夢を見直すことを知っていた。そして、こういう操作がきわめてすらすらとおこなわれてしまうので、それがかれらの生得の知恵のはたらきであること、同時に生活の秘術であることを、江戸人みずから知らなかった。後世が作為の跡しか受け取らなかったとすれば、当の江戸人はそのとおり駄洒落さと答えてけろりとしているのであろうが、じつは後世がむざむざとかれらの知恵にだまされているようなものである。お竹大日如来の場合には、文学のほうではたまたま川柳の担当になっているので、後世の文芸評論家はなるべくこれをやすっぽく踏み倒すことによって自家の見識を示そうとする。 われわれはその見識の高下を知らない。

 箔附のちぢれ髪という。おもての意味は明かに仏菩薩の螺髪ことをいっている。しかし、箔附のとは、れっきとした、極めつきの、例のあれさ、という意味でもある。すると、ちぢれ髪とはなにか。按ずるに、ちぢれ髪の女は情が濃いという俗説を踏まえているのだろう。ここで「こなたも名におふ色好みの、家にはさしも埋木の、人知れぬことのみ多き宿に」という江口の本文を思い出しておいてよい。江戸の隠語に、来るものを拒まない女のことを、医者の慣用薬にたとえて、枇杷葉湯という。お竹はけだし枇杷葉湯なのだろう。お竹とはかならずしも佐久間家の婢にはかぎるまい。市井の諸家の台所に多くの可憐なるお竹がいて、おそらくはときに町内の若者を済度することを辞さなかったのだろう。すなわち見立江口の君である。おろかな、たわいない、よわい女人はここまで突き落とされたかと見るまに、一転して後シテの出となる。台所は「世をいとふ人とし聞けば假の宿に心とむなと思ふばかりぞ」という仮の宿である。また「惜しむこそ惜しまぬ假の宿」である。すでにして、お竹は「これまでなりや歸るとて」白象に乗った遠い菩薩像であった。その姿の消えた後に、裏に来て安否をとうものは、かならずやかつて済度をこうむった町内の若者の一人なのだろう。憶測をたくましくすれば、この相手方もまた一所不在の浮かれもの、見立西行というこころいきであろうか。

 江口の君をおもかげにしたこのお竹の説話から、何らかの思想を抽象しようするのは愚に似ている。仏説の縁起観がはたらいているといっただけでは説明にもなるまい。けだし、江戸人にあっては、思想を分析する思弁よりも、それを俗化する操作のほうが速かったからである。かれらにとって、象徴が対応しないような思想はなきにひとしかった。かれらがときに無思想に見られがちである所以だろう。げんに、お竹説話に於て、われわれはそこに二重の操作しか見ない。一面は江口こそ歴史上の実在で、お竹こそ生活上の象徴であるような転換の仕掛に係る。また一面は眼をひらけばお竹、眼をとじれば大日如来というような変相の仕掛に係る。いわば、お竹すなわちやつし大日如来である。またお竹説話すなわちやつし仏説縁起観である。そして、この仮定が忽然と生活上に立てられたとき、それは歴史上の現実たる江口説話に依ってとうの昔に証明済というあんばいで、とたんに梃でもうごかない。さっそく筆まめな学者先生がお竹の実話を随筆に書いたり、欲ばりの香具師がお竹の遺物を小屋掛で見せたりする。江戸に於ける俗化ということばは右体の次第から離れたところではたちまち意味をうしなうだろう。またやつしという思想はおなじことばのやつしという操作と不可分であるところにはじめて活機をうるだろう。このやつしという操作を、文学上一般に何と呼ぶべきか。これを俳諧化と呼ぶことの不当ならざるべきことを思う。

 一般に、江戸の市井に継起した文学の方法をつらぬいているものはこの俳諧化という操作である。およそ江戸文学という精神上の仕事は後世のいかなる研究法をも戸惑いさせるような出来ぐあいになっている。なにやら近代ふうの文学論で律儀に割り切ろうとすると、つるりとすべって小バカまわしにされる。研究家が近代だと思いこんでいるものよりも、江戸のほうが近代と呼ぶに当っているからだろう。考証から這いこんでも、好事からまぎれこんでも、八幡の藪知らずでうすぼんやりとする。考証家の博捜よりも、文学の影の逃げるほうが速いからだろう。また好事家の生醉よりも、江戸作者の意識のほうが高いからだろう。この奇怪なる文学の性質をうかがうためには、あらかじめ立てるすべての仮定はどこかではぐらかされることになるかも知れないが、しかもなお方法の変通に関する仮定を立てておくことの便利なる所以を思わざるをえない。しばらく、精神を天井に上げ思想を縁の下に押しこんでおいて、はなはだひとをあざむきやすい操作のほうをみることにする。

 川柳の末技といえども、なお通俗俳諧たる雰囲気のにおいをとどめている。しかし、川柳の場合では、俳諧の要素が低地の塵に散乱してしまったていたらくで、これを文学の網に掬い上げようとしても結縁がうすいだろう。江戸の俳諧といえば、芭蕉の正風とその延長(ちなみに延長とは下落ということを矯飾していう語である)のほかには、俳諧の運動の自在神通についてなにものをも見まいとするのが後世の窮屈な常識らしい。そして、この常識は川柳と併せて漫然と狂歌をも貶しているらしい。衣冠を見てそのひとを見ないようなものだろう。また菽麦を見てその別を知らないようなものだろう。俳諧の転換の奇法はかならずしも江戸の芭蕉から京都の蕪村へという尋常五十三次の路程のみをたどってはいない。別に江戸の市井にこれを承けるものがあって、文学様式上の新発明を以ておこっている。すなわち天明狂歌のことをいう。

 狂歌の何たるかを論ずるのはともかくとして、ここではただ天明狂歌がそれ以前の狂歌ともまたそれ以後の狂歌ともまったく品物がちがうということを記しておくにとどめる。江戸初期に上方におこり江戸に転じた狂歌の歴史のことをいうひとは、おおむねまずその先祖さがしからはじめて、万葉集の戯笑歌、古今集の俳諧歌、有心、無心、柿の本、栗の本の別などとかぞえて来て、それらとの続柄を案じわずらった末に、ぼんやり曉月坊あたりからはなしの糸口を引き出すことになっている。しかし、かりに狂歌の意義と系譜とについて定説のしたがうべきものが立てられたとしてもそれは天明狂歌という文学運動の性質についてなにごとをも語らないだろう。けだし、天明狂歌は江戸初期の上方狂歌江戸狂歌をもふくむ前代の諸派に対し、操作に於て意味を異にしているからである。

 狂歌には本歌取という操作がある。どういうものか、本歌取にはあまり秀作がない。たとえば、これも駄作の例になるが、萬載狂歌集、山手白人、柏餅、なら坂やこの手にもちし柏もちうらおもてよりさすりてぞくふ。こういう操作はなにも天明の発明ではない。げんに、おなじ集に、雄長老、いつはりのある世なりけり神無月貧乏神は身をもはなれぬ。本歌取とはすなわち古歌の俳諧化である。そして、この操作は天明以前にもあった。また狂歌の家集選集を出すこともすでにそれ以前におこなわれていた。しかし、一首の端ではなくて、ある狂歌集そのものが本歌取であるような、いいかえれば古の歌集の俳諧化であるような例がどこにあるか。ことばの繰まわしの末ではなくて、歌調歌格に於て某の古歌集に対応しているような狂歌集がどこにあるか。天明以前には一つもないだろう。天明に至って、萬載狂歌集(選者四方赤良すなわち蜀山)という狂歌選集のあらわれるに当って、われわれは初めてこれを見る。では萬載狂歌集が歌調歌格に於て対応しているところの古歌の選集とはなにか。たしかに、わたしはここで蜀山菅江橘州らの作例をあげて当該古歌選集とは比較論証しなくてはならないはずだが、今その余白がない。やむをえず証明を省略して、性急に結論をいう。それは古今集にほかならない。萬載狂歌集は古今集の俳諧化である。一般に、日本の歌(ただに狂歌にはかぎらず)の歴史の上で、天明狂歌とは古今集の精神の転換的運動である。

 ところで、江戸狂歌の歴史の上で、天明狂歌とは、前代の未得卜養らの狂歌あるいは上方の貞柳行風らの狂歌の、自然の発展とみるべきだろうか。わたしはまた性急にその決して然らざるべきことをいう。ここに、元禄から享保にかけて、はなはだ意味深長な江戸狂歌の空白時代がある。この空白時代の謎は一見解きがたきに似るかも知れない。しかし、天明狂歌の俳諧性の何たるかをさとれば、この謎のたちまち解きやすきを知るだろう。天明以前、江戸には周知のごとく俳諧史上の一大椿事がおこっている。元禄の芭蕉の発明にかかる俳諧の連歌である。(一句立の発句という可憐なる短詩のことは取り上げるには及ばない。)芭蕉詩の運動は堂上派の連歌の俳諧化という操作の上に立ちつつ、おどろくべき斬新清爽な芸術境を打開している。この椿事を前代に承けて、俳諧の運動が天明の新事件を突発させるに至ったのはむしろ必然のことに属するだろう。元禄の俳諧を正とし雅とすれば、天明の狂歌は俳諧の奇にして俗なるものに当たる。芭蕉から蜀山に至る運動の筋道は決して俳諧の下落ではなくて、その俗化である。下落は蕉風の亜流の側にあった。俗化ということばの正当な意味に於て、江戸俳諧の俗化とは、流行が芭蕉の発句から其角の発句に移ったということではなくて、性質が猿蓑から萬載狂歌集に変わったということである。これが俳諧の論理である。

 天明狂歌がそれ以前のいかなる狂歌とも性質を異にしているように、天明狂歌師はそれ以前のすべての狂歌師と作者的人格に於てかならずしもおなじではない。狂歌師はみな狂名をもっている。これは天明でもその前後でも変わりがない。ただ天明に至って狂名の意味の一変しているのを見る。かつて狂歌師の狂名は一般文人の雅号、俳諧師の俳名とおなじく、その名の中に作者が存在していた。すなわち有名人格であった。しかるに天明狂歌師はその狂名の中に不在である。すなわち無名人格である。いいかえれば、読人不知ということにほかならない。かつて芭蕉俳諧の連歌は、世界が出来上ったとき、作者の名を忘れさせた。今、萬載狂歌集は作者の名を抛棄することから世界を築き上げている。狂名がふざけていると、ひっぱたいてみても、作者はそこにいない。この簡単な事実を説明するためには、複雑きわまる天明狂歌師の列伝を本に書かなくてはならないだろう。たとえば、天明狂歌に於ける蜀山の位置は元禄の俳諧に於ける芭蕉のそれに当り、また萬載狂歌集の選者たるかれの位置は古今集の選者たる貫之のそれに当るべきだが、しかも蜀山という存在はみずから現象化するという仕方によって芭蕉貫之という存在を俳諧化しているようなものである。

 明治以降、はるかなる芭蕉俳諧の連歌からわずかに卑近なる一句立の発句を抜き取ることしか知らないような、通俗鑑賞法が世におこなわれているていである。たぶん、人間と仕事しか見ようとしない外国人の文学観伝来のさもしい料簡だろう。証拠を見たうえでなくては神を信じないというものの態度に似ている。この鑑賞法の眼鏡をもって天明の狂文学の場に臨んだとすれば、かならずや満目空白にしてなにものをも見とどけられないだろう。けだし、天明狂歌は仕事ではなくて運動であり、天明狂歌師は人格ではなくて仮託だからである。しかし、後世のみそこないこそ昔日の風狂詩人どもの思う壺にちがいない。かれらをして我事成れりと草葉のかげでほくそえましめることになる。みすみす敵の術中におちいるとは、このことである。

 ここに一挿話がある。文化のはじめごろ、さきに蜀山から判者をゆずられた鹿都部眞顔はおぞましくも狂歌が古今集の俳諧歌からでたものといい立てて、わざわざこれを俳諧歌と改称し、もっぱら姿態をつくり点料をむさぼることをたくらんだ。文政以降狂歌と狂歌師との相場ががったり下落したことの俑を作ったものだろう。作者みずから狂歌のかならずかくあるべきことを規定し、狂名の中におのれの貧弱な全存在を露出するや、たちまち放曠自在の世界は消えうせて、あとにはただやすっぽい人間と劣等な品物だけが居残ることになったとは、天明狂歌の微妙な性質につき消息の一端をつたえている。ひとが俳諧の何たるかをうかがおうとするとき、芭蕉俳諧の連歌という正統の文学系のみを観測するにとどまるよりも、併せて天明狂歌という危険きわまる文学系をも観測したほうがより近似的な値をうるに至るべきことを思う。

 天明狂歌はそれ以前の江戸上方の雑俳を呑んでいるとともに、芭蕉に依って切断された元禄以前の正系俳諧の主たる要素をも食っているかのごとくである。主たる要素とは、俳諧ということばが元来意味するところの滑稽の謂である。しかし、天明の新発明に係る世界、たとえば萬載狂歌集がひとにうったえて来るものはただに滑稽的抒情のみではない。これを展望すれば、そぞろにかなしい。いわば出来上がった世界の外に身を置いているところの、不逞にして遣瀬ない読人不知の風狂詩人らの宿命はかならずしもひとの頤を解くものではなかろう。この世界が俳諧的操作のうえで遠く古今集の精神を踏まえていることは前に述べた。ここに古今集を拉し来った所以は現実の地盤でこれを支持するものの存すべき事情があったのだろう。按ずるに、江戸俗間の古典文学教養にして、その常識に於て市井に流れ、その抒情において人心にひびいていたのは、古今集に如くものがなかったのだろう。当時の江戸人の生活のほうを除外していえば、ここにもまた萬載狂歌集の成立すべき拠りどころがあった。

 江戸俗間の文学教養のことでは、古今集のほかにあげるべきものが一つある。唐詩選である。ただし唐詩そのものへの理解ではなくて、唐詩選という本への昵懇である。そして、この本を日本流の読み方で吟ずるところの情操である。この現実の昵懇と情操とを踏まえつつ、はたせるかな、蜀山銅脈を宗とする狂詩の発明がおこっている。しばらく天明狂歌と並べて天明狂詩と呼んでおく。いま、狂詩の源流を探って、十訓抄、閉口後來客、含陰先達儒あたりを引合に出すにも及ぶまい。もし句意の風狂に似るものを求めるとすれば、たとえば和漢朗詠集、上巻秋、源順の女郎花のごときをもかぞえることができるかも知れない。しかし、天明狂詩の風骨を感得するためには、かならずしも先祖さがしを要さないということ、またそれが文政以後明治初年にわたる狂詩の流行とは、他人の空似ぐらいの続柄しかもたないということは、なおさきに述べた天明狂歌に於ける形勢と相似ている。絮説をはぶく所以である。

 天明狂詩の風骨は唐詩選の諺解、すなわちこれを俳諧化するという操作の中にひそんでいる。一例を示せば、四方山人、五明楼贈雛妓、花扇連襟夜入床、五明送客大門傍、楽遊雛妓如相問、一片執心在玉章、がある。これが、王昌齢、芙蓉楼送辛漸、寒雨連江夜入呉、平明送客楚山孤、洛陽親友如相問、一片冰心在玉壺を踏まえていることは一見して明かだろう。いわば本歌取に対して本詩取とも呼ぶべき操作に属する。しかも、その本詩を踏まえることはただに操作上の関係に於てのみではあるまい。一は唐人別離の情の悲愴なるもの、一は粋人遊里の情の嫋嫋たるもの、詩意たちまち逆転しつつ、相対して奇怪である。当時の江戸人はこれを見て、かならずや操作の妙に感じ、詩意の変におどろき、陽に蜀山詩に笑い陰に昌齢詩に泣いて、思わずひやりとさせられたのだろう。こういう交渉から離れたところでは、天明狂詩の鑑賞法はぐらつくだろう。もし作者が内に士人の気節清操を秘める底の人物でなくてはよく外に戯詠に遊びがたいといったとすれば、言つよくして反って心をうしなうの憾みがあるかも知れない。しかし、姿の見えない作者の影がいつか享受者の心に忍びこんで来ているところに、ひやりとさせられる所以があるのだといえば、まんざらことばの綾ではないかも知れない。狂詩作者でその技巧のあるいは蜀山を凌ぐものはすくなくないだろう。たとえば半可山人の妙は世これを称する。なるほど半可山人の忠臣蔵十一段は斯道の眉目ではあろう。しかし、これははるかに銅脈先生の婢女行の後塵を拝するもので、あまり高く買えない。漫然と出来栄えがうまいまずいという鑑賞法では、おそらく天明の江戸人の心に於ける切実な鑑賞法の原型から相去ること遠くなって行くだろう。狂詩の功は発明をもって論ずる。大和ことばによる狂歌とはちがって、本筋の漢詩を作ることさえどうせ唐人の借物なのだから、仮託の狂詩に至っては、技巧論に深入しては狐に化かされるだろう。

 江戸の俗間に於ける唐詩選の流行について、ここに一証がある。京伝の洒落本繁千話の中に半可通が青楼の名代部屋で待ちぼうけをくわされている条を見る。枕頭に小屏風があって、それになにやら字が書いてある。長信宮中草、年年愁處生、時侵珠履跡、不使玉階行というニ十箇の四角な字である。半可通は鼻をうごめかしてこれをでたらめに訓む。たとえば、転句と結句とを時にナニナニナニノ跡、使ヲ呼バズニ二階へ行クダロウという訓み方である。これまた唐詩選の諺解の一種に類するだろう。ところで、この条は明かに読者の笑を待ちうけている。そのためにはあらかじめ読者側に笑う用意のあるべきことが予想されているはずだろう。すなわち、当時の洒落本の読者はニ十箇の四角な字が崔国輔、長信草の五絶であることを先刻承知でいたのだろう。またかれらはつとに漢成帝と班婕妤との故事をも知っていて、作者が待ちぼうけの半可通に配するに漢宮の婦女閨怨のおもかげをもってしつつ題詩の場面に適切なるものを措いた趣向に、あっと感服したのだろう。もし一般読者側にこれを笑う用意が予想されていなかったとすれば、京伝ほどのわけ知りの作者がわざわざ読者に恥をかかせるような四角な字をもてあそぶはずはあるまい。

 右に、わたしはゆくりなく洒落本のことをいい、また遊里のことをいった。じつはわたしの意中にひそかに考えるところがあって、さらに洒落本から人情本にわたろうとしている。ひそかに考えるところとは、江戸作者の究極の発明たる遊里の観念に関している。お竹大日如来の説話から特製の遊里の観念に至るまでの筋道には、江戸人の発想法の発展があるようにうかがわれる。他日の機会に書く。

花色如蒸粟。俗呼為女郎。聞名戯欲契偕老。恐悪衰翁首似霜。

初出:岩波書店『思想』昭和18年3月

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2026年2月13日 (金)

How Did Proto-Language Emerge?: A Hypothesis Based on Birdsongs and Children’s Play

When and how did human language emerge?

Many theories have been proposed in response to this question. Some argue that language arose from hunting and labor, others from gestures, music, rhythm, or social cooperation.

In this essay, I would like to propose a different perspective on the emergence of proto-language.

 

Bird Communication Is Older Than Human Language

Recent studies in animal behavior have shown that small birds, especially species such as titmice, possess structured systems of vocal communication.

These are not mere cries. They include:

specific sounds for danger,
calls for companions,
and combinations that modify meaning.

From an evolutionary perspective, such systems may date back tens of millions of years. In contrast, human language is generally thought to have emerged only tens or hundreds of thousands of years ago.

In this sense, birds were pioneers in meaningful vocal communication long before humans.

 

Children Imitate the Sounds of Nature

Human children have a remarkably strong capacity for imitation.

They imitate not only words, but also:

animal sounds,
environmental noises,
rhythms,
and intonations.

This can be observed even today.

There is no reason to think it was different 100,000 years ago in East Africa. Children must have listened to birdsong and imitated it, producing song-like vocalizations.

At first, this was simply play. They did not think of it as language. They were enjoying sounds.

 

The Beginning of Vocal Exchanges

Early humans lived in small groups. These groups were aware of one another but did not constantly intermingle. Many such groups coexisted in the same region.

When children in one group began to produce bird-like songs, children in neighboring groups likely responded with similar sounds.

A pattern emerged:

one group sings,
another responds,
the first replies again.

This resembles modern singing games or call-and-response play. It is structurally similar to traditional song festivals or children’s songs found in many cultures.

At this stage, sound had already become dialogue.

 

Symmetry Bias and the Birth of Meaning

Humans possess what may be called a “symmetry bias.”

This is a cognitive tendency to match:

self and other,
action and reaction,
signal and response.

When one sings, another replies. When one replies, the first responds again.

Through repetition, vocal patterns gradually stabilize.

Certain sounds become associated with certain situations.
Certain rhythms become linked to specific relationships.

In this way, meaning begins to emerge within play.

This is not deliberate invention. It is the unintended result of repeated interaction.

 

From Play to Ritual, from Ritual to Language

An important element here is the intermediate stage.

Play does not become language overnight.

A plausible process is:

play

standardization within the group

ritualization

stabilization through repetition

symbolization

language

Singing games gradually acquire ritual functions. They become linked to group cohesion, initiation, negotiation, or courtship.

At this point, vocalization is no longer mere play. It becomes meaningful action.

Through this process, proto-language may have formed.

 

Language Was Not Originally an Adaptation to Nature

Many theories treat language primarily as a tool for survival.

In this hypothesis, however, language first emerged not as a response to nature, but as something directed toward others and toward oneself.

Its primary function was mutual reflection.

Language originated not from environmental adaptation, but from reciprocal mirroring.

Humans use others as mirrors. Language developed as an instrument for this reflection.

 

The Road from Language to AI

If language emerged as a system of mutual reflection, it becomes easier to understand the later development of civilization and artificial intelligence.

Through language, humans distance themselves from immediate reality.
They expand symbolic worlds.
Eventually, they create machine intelligence.

This tendency toward “ungrounding” may have been embedded from the beginning.

 

Conclusion

What I have presented here is only a hypothesis. It is difficult to verify empirically, and many objections are possible.

Nevertheless, by viewing language as

not merely a tool for survival,
but as a self-reflective system born from play,

we may gain a new perspective on human civilization.

To think about the origin of language is to think about what it means to be human.

If this hypothesis serves as a stimulus for further thought, it will have fulfilled its purpose.

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2026年2月12日 (木)

プロト言語はどのように生まれたのか ――小鳥の歌と子どもの遊びから考える――

人間の言語は、いつ、どのように生まれたのでしょうか。

この問いに対しては、これまでにも多くの説が提示されてきました。狩猟や労働の必要から生まれたという説、身振りから発展したという説、音楽やリズムに起源を求める説など、さまざまです。

本稿では、それらとは少し異なる視点から、プロト言語(原初的言語)の創発について、一つの仮説を提示してみたいと思います。

 

■ 小鳥の「言語」は人間より古い

近年の動物行動学の研究によって、小鳥、とくにシジュウカラなどが、ある程度「意味をもつ音声体系」をもっていることが明らかになってきました。

それらは単なる鳴き声ではなく、

・特定の危険に対応する音
・仲間を呼ぶ音
・組み合わせによる意味変化

などを含んでいます。

進化史的に見ると、こうした鳥類の音声コミュニケーションは、数千万年前にまでさかのぼる可能性があります。一方、人類の言語は、せいぜい数万年から数十万年前に成立したと考えられています。

つまり、「意味をもつ音の体系」という点では、小鳥のほうが人間より先輩なのです。

 

■ 子どもは自然の音を真似る

人間の子どもは、極めて強い模倣能力をもっています。

言葉だけでなく、

・動物の声
・物音
・リズム
・抑揚

などを、遊びとして真似します。

これは現代でも普通に観察される現象です。

おそらく、10万年前の東アフリカでも事情は同じだったでしょう。子どもたちは、森や草原で鳥のさえずりを聞き、それを真似し、歌うように発声していたはずです。

最初から「これは言語だ」などと意識していたわけではありません。単なる遊びです。音を真似し、楽しんでいただけです。

 

■ 歌のやり取りが始まる

当時の人類は、小規模な集団に分かれて生活していたと考えられています。互いの存在を認識しながらも、頻繁には混交しない集団が、同じ地域に並存していました。

そのような環境で、ある集団の子どもたちが、鳥のような「歌」を発するようになると、別の集団の子どもたちも、それに応答するようになります。

つまり、

歌を投げかける

歌で返す

また応じる

という音声の応酬が生まれます。

これは、現代で言えば、歌遊びや掛け合い遊びに近いものです。日本の歌垣や、わらべ歌、遊戯歌とも共通する構造をもっています。

ここでは、音声がすでに「対話」になっています。

 

■ 対称性バイアスと意味の芽生え

人間には、「対称性バイアス」と呼ばれる傾向があります。

これは、

自分と他者
発信と応答
行為と反応

を、対称的に対応づけようとする認知傾向です。

歌を投げかければ、同じように返ってくる。返ってきたものに、また応じる。

この反復の中で、音声は徐々に「パターン」として固定されていきます。

ある音型は、ある場面でよく使われる。
あるリズムは、特定の関係性と結びつく。

こうして、遊びの中に、意味の芽が生まれていきます。

これは、意図的な発明ではありません。遊びの反復が、結果として記号化を生んだのです。

 

■ 遊びから儀礼へ、儀礼から言語へ

重要なのは、「中間段階」です。

単なる遊びが、いきなり言語になることはありません。

想定される過程は、おそらく次のようなものです。

遊び

集団内での定型化

儀礼化

反復による安定化

象徴化

言語化

歌遊びは、やがて儀礼的な要素を帯びます。集団の結束、成長儀礼、交渉、求愛などと結びついていきます。

そこでは、音声が単なる遊びではなく、「意味をもつ行為」になります。

この過程を通じて、プロト言語が形成されたのではないかと考えられます。

 

■ 言語は「自然対応装置」ではなかった

多くの言語起源論は、言語を「生存のための道具」として説明します。

しかし、この仮説では、言語はまず、

自然に向けられたものではなく、
他者に向けられたもの、
そして自己に向けられたもの

として生まれたことになります。

言語の起源は、

環境適応よりも、
相互反射にあった

ということです。

人間は、他者を鏡にして、自分を映し返す存在です。言語は、そのための装置として成立したのではないでしょうか。

 

■ そこからAIまで続く道

もし、人間の言語が最初から「自己と他者の鏡像装置」として生まれたのだとすれば、その延長線上に、現代の文明とAIがあることも理解できます。

人類は、

言語によって現実から距離を取り、
記号の世界を肥大化させ、
ついには機械知性を生み出しました。

この「ungrounding(浮遊化)」の傾向は、最初から組み込まれていたのかもしれません。

 

■ 結びに代えて

ここで述べたのは、あくまで仮説です。実証は困難ですし、反論も多いでしょう。

しかし、言語を、

「生存の道具」ではなく、
「遊びから生まれた自己反射装置」

として捉えることで、人間文明の性格そのものが、別の角度から見えてくるように思います。

言語の起源を考えることは、人間とは何かを考えることでもあります。

この仮説が、そのための一つの思考素材になれば幸いです。

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2025年4月16日 (水)

Bricolage and theory of resources

Unlike the magicians of fairy tales or the Book of Genesis in the Old Testament, in the world we live in, it is not possible to create something from nothing.

※See also(Japanese version)
ブリコラージュと資源論(Bricolage and theory of resources): 本に溺れたい(2017.01.23)

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2025年2月28日 (金)

Does the Imperial Anthology of Poetry exist in Europe?

I asked the following question to ChatGPT. Having obtained the excellent comparative historical perspective below, I will publish it on our blog.

"In Japanese history, during the ancient and medieval periods, anthologies of poetry were compiled by imperial command. Among them, the most significant are the imperial anthologies of waka poetry. From the Kokin Wakashū (compiled in 905 AD) to the Shinshokukokin Wakashū (compiled in 1439), a total of 21 anthologies were created, comprising approximately 35,000 poems by about 3,000 poets, excluding those labeled as 'anonymous authors.'

In contrast, during the ancient, medieval, and early modern periods in Europe, were there any anthologies of poetry compiled by royal command? Among them, was there any poetry compilation project that could be considered comparable to Japan’s imperial waka anthologies?"




ChatGPT's Answer:

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2025年2月27日 (木)

日中の文化資源における女性比率の差異/中日文化资源中女性比例的差异/Differences in the Ratio of Women in Cultural Resources between Japan and China

DeepSeekに以下の質問を実施し、下段の回答を得ました。興味深い回答だと思いますので、弊ブログにて公開します。

Q.「日本の「小倉百人一首」の女性歌人は21名で、女性比率21%です。「唐詩三百首」は4人で、女性比率1.3%です。これは、日中の文化的な背景、あるいは両国の基層文化の違いを反映していますか。あるいは、たまたまデータのサンプル数が極少数なための偶然ですか。

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2024年7月20日 (土)

関 曠野「知は遅れて到来する ―ドラマにおける時間について―」(1985年5月)/Seki Hirono, Knowledge Comes Late, On Time in Drama, 1985

 ソポクレスの悲劇『オイディプス王』の冒頭で、神官がオイディプスにテーバイに降りかかった災厄について報告する。誰も知りえぬ原因によって今や作物は枯れ、家畜たちは死に、生まれぬ子の産褥に女たちはあえぎ、疫病が国中を荒らしまわっている。かつてスフィンクスの謎を解いてテーバイの人々を怪物から解放したオイディプスに、再び「社会科学者」および「法の執行者」として人民の救世主になるべき時が来たのだ。そして神官が説くオイディプスの使命は、演劇そのものの使命でもある。共同体の危機と苦悩なしには、演劇はその存在理由を失う。共同体が何かの原因でアブノーマルな状態にあること―そこに一切の演劇の発端がある。

 危機に直面した人間たちの共同体は、時間と歴史を鋭く意識する。もちろん共同体は、危機の到来によって初めて時間の支配に気づくわけではない。人間の社会は動物の社会と異なり、その成員が一定の時間意識を共有することによって統合されており、従って全ての人間社会において、人々の時間意識の在り方と社会組織の在り方は不可分なものといえる。だが危機に直面した人々は、彼らが日常親しんでいるこの社会化された時間が今や異常時の突発によって切断され崩壊しつつあることを知る。そしてこのような時間の次元における方向感覚の喪失ほど、人間を脅やかすものはない。そうなれば人は、崩壊と死へと向かう社会組織およびその時間意識とは対立し、それから脱却しながら、しかも時間の連続性の意識を新しい次元で獲得しなければならない。

 ドラマにおける時間の問題は、この危機にさらされた共同体の時間意識との関係から捉えられなければならない。言い換えれば、ドラマという劇場の中で生起する出来事の時間は、劇場の外で〈歴史〉として絶えず生起しつつある出来事の時間との相関関係においてのみ理解可能になるのだ。そして我々は作者・演技者・観客から成る劇場共同体が遂行する仕事が、極めてパラドクシカルなものであることに注目する必要がある。第一に、ドラマ上演の動機となるものは、危機に瀕し、時間の方向感覚を失った共同体の、時間の方向と連続性を再生させようとする希求である。しかもこの希求は、ドラマが劇場という特別な場所で上演される虚構の出来事であるかぎり、劇場の外を流れる世俗的=日常的な時間の連続性を断ち切ることによってしか充たされない。こうしてドラマは、日常的な時間の連続性とは明確に対立しながら、しかも時間の否定や超越ではなく時間の連続性に固執する。

 ドラマに固有の時間性とはいかなるものかという問いに答えることは、このパラドックスを解くことに等しい。そしてソポクレスはそのためのヒントを『オイディプス王』の中に残してくれている。ただしそれは、いかにも謎々の好きな古代ギリシア人らしいイロニーに充ちたヒントなのだ。周知のように「ドラマ」という語は、ギリシア語の原義では「行為」を意味する。また「劇場」を意味するギリシア語「テアトロン」の元来の意味は「見るための場所」である。ところがソポクレスのこの作品においては、ドラマの語義に反して主人公オイディプスは殆どアクションらしいアクションを見せない。彼は先王殺しの下手人を見出すべく弁じまくることに忙しく、劇中で身をもって行なうことといえば、針でおのが両眼を突くことだけであり、しかもこのアクションは舞台の外で行なわれる。そして「見るための場所」に集まった観客たちに対して、この作品は盲人となったオイディプスを示し、見ることの不可能性を暗示して終るのである。しかしながらギリシア悲劇を代表するこの作品につきまとう謎とイロニーにこそ、ドラマをドラマたらしめる時間性についての、天性の演劇人たる古代ギリシア民族の回答が秘められているのである。

      *

 ところでこの問題を取り上げる前に、重要なことを一つ想起しておこう。実は演劇という存在が理論的考察の対象となることは、西欧においてすら史上稀であった。西欧人はつい先日まで前四世紀の人間アリストテレスが書いた疑問だらけの演劇論を金科玉条としてきた。だがアリストテレスは演劇理論のみならず彼が手をそめた全ての学問領域において、西洋思想に恩恵以上に打撃を与えた人物なのである。とにかくこの博学ぶりをひけらかすことに熱心でしかも理論的思考能力の全くない哲学者の説くことは、万事眉にツバをつけて聞く必要がある。そもそもマケドニア人アリストテレスはアテナイの市民権を持たず、ポリスの一員として悲劇を観た可能性は少ない。私は彼が実際に芝居を観たことがあるかどうかすら疑っている。というのも、『詩学』には彼が過去に書かれた戯曲を書斎で読んで演劇論をでっちあげた節がうかがえるからである。この著作が作者中心の議論になっているのも恐らくそのためである。してみればアリストテレス以来二千二百年にわたる西欧世界の沈黙を破り、自ら演劇人として再び演劇を理論的考察の対象にとりあげたということだけでも、ディドロとレッシングがどれほど偉大な思想家だったか解る。

  そして今世紀が、アルト―、メイエルホリド、ブレヒトを旗手として、演劇のみならず演劇理論においても偉大なるルネサンスを経験した世紀たることの理由は二つある。第一に、十九世紀以来世界の至るところで権力の伝統的な正統性原理が崩壊して、全人類が空前の共同体の危機にまき込まれ、死と滅亡の恐怖と回生の期待が交錯する歴史的意識が大規模に覚醒したこと。そしてベルグソン以来の西欧思想がますます時計の時間とは区別された具体的な生の時間に沈潜する一方、現代の科学理論が絶対的、一義的、因果論的なニュートンの時間を葬り去ったこと。(1)
こうしてようやく二十世紀になって、我々はアリストテレスの亡霊から完全に解放され、ドラマの本性をめぐってソポクレスと対話することが可能となったのである。

  ところでドラマの時間は、明確な始まりと終りをもつ完結した時間である。この完結した時間によってこそドラマは虚構なのだといえる。現実の実人生と歴史の時間には、明白な始まりや終りは存在しない。俳優が不在のあるいは少なくとも彼ないし彼女自身ではない他の人間を演ずることが、ドラマを虚構たらしめているのではない。実人生においても、人間は多かれ少なかれ役割演技に参加しているのだ。いかなる演技にも擬態にも無縁な〈真実一路〉の人なるものがいるとすれば、それこそ驚くべきことであろう。従ってドラマは劇場の外の時間とは、一つの完結した時間という仮象によって対立していることになる。しかし、完結した時間の虚構性という点においてだけならば、ドラマはそれと往々混同されがちな遊戯および儀礼という現象とどこで区別されるのであろうか。ドラマに固有の時間性を、この二つの現象との比較をとおして考えてみよう。

      *

  ホイジンハは遊戯という現象を以下のように定義している。「遊びとは、あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行なわれる自発的な行為もしくは活動である。その規則はいったん受け入れられた以上は絶対的な拘束力をもっている。遊びの目的は行為そのもののなかにある。それは緊張と歓びの感情を伴い、またこれは『日常生活』とは『別のもの』という意識に裏づけられている。」(2)遊びにおいてルールの支配は絶対的である。同意され確立されたルールに背くことは、遊びの否定に等しい。ルールを厳守することによってのみ、人は遊戯が生み出す想像上の現実に自分を同化させうる。逆に言えば、このルールの専制は遊びの、美的ではかない、想像力に頼りきった性格に関係している。しかるにドラマにおいては人は俳優としても観客としても、虚構と現実の二つのレベルに同時に存在する。観客は役者が他者を演じているにすぎないことを百も承知しているばかりか、彼が役を「うまく演ずる」かどうかに注目する余裕すらもっている。例えば、ギリシア悲劇の場合、俳優の数は伝統的に、二ないし三人に制限されていたので、同じ人間がとっかえひっかえ複数の役を演ずることになった。またブレヒトは、わざと舞台の裾に出番待ちの俳優たちをはべらせ上演中の劇と彼らの姿を並行して見せるという実験を試みたことがある。このように役割演技の事実があらわになっても、ドラマに対する観客の興がそがれることはない。ドラマにおいては、遊びにおけるような想像上の現実を維持するためのルールの専制は存在しない。ドラマは遊びのように日常生活とは「別のもの」になりきることはない。反対にドラマの時間は、演技された虚構と日常の現実、舞台の上の出来事と劇場の外で生起している歴史の時間との間を絶えず往復している。ドラマは遊びとは異なった在り方で日常生活と対立するのだ。

  遊ぶ人間は時間を知らない。遊戯の一大特徴は、現実の歴史的形成とは全く無関係にいくらでも正確に反復されうる形式性にある。例えば前世紀に米国の田舎で行なわれた草野球も1984年に日本で開催されたプロ野球も、ゲームとしては全く同一である。そしてこの限りなく反復可能な純粋な形式性という点において、遊戯は儀礼に似る。両者は共に時間を否定し超越しようとする。しかしながら儀礼はその挙行に伴う厳粛な気分によって遊びと対立する。遊びに見られる想像力の自発性と歓びの感情は儀礼には縁遠いものであるばかりか、きびしい警戒と抑圧の対象ですらある。形式的なルールの専制は、儀礼においては遊びとは全く異なる動機付けに仕えている。というのも現在における行為そのものが目的である遊びと異なり、儀礼には権力秩序の維持という明確な目的があるからなのだ。

  ミルチア・エリアーデは言う。「祭に参加する者は神話の事件と時を同じうする。言い換えれば、彼らはその歴史的時間、つまり俗なる、個人的ならびに人間関係的時間の総和から構成される時間を脱出するそして常に同一であり、永遠性に属する太初の時へと回帰するのである。宗教的人間はくり返しくり返し神話の聖なる時に帰入し、〈過ぎ去ることのない〉起源の時を再発見する。〈過ぎ去ることがない〉と言う所以は、それが俗なる時間的持続に関与せず、幾度でも限りなく到達することのできる永遠の現在から成り立っているからである。」(3) 儀礼を執行する人間は、一つの方向をもち過去と現在に分裂した時間を意識しており、しかもこの原初的な歴史意識のゆえに彼らは現在を反復され再現された過去たらしめようとする。そしてこの企ては、伝承された共同体の枠組から逸脱する恐れのある歴史的個人をしっかりと規範により教化し社会に統合することを目的とする。再びエリアーデの言葉を借りれば、「すべて神々や祖先が為したこと、したがって神話が彼らの創造行為について物語る一切は、聖なるものの領域に属し、それゆえ存在に関与する。これに対して人間が神話の典型なしに自分の発意から行なうことは、すべて俗なるものの領域に属する。それは空しい虚妄の行為であり、究極的には非現実的行為である。人間は宗教的であればあるほど、その振舞いに対して多くの模範を持つ。言い換えれば、人間は宗教的であればあるほど実在に順応し、それだけまた典礼にのっとらぬ〈主観的な〉― 一言でいえば邪な行動に踏み迷う危険が少ないのである。」(4) あらゆる権力は究極的には、一つの情報秩序として己を構成するものなのだが、とくに儀礼はその意味での、典型的な権力の技術なのである。そして儀礼によってその自己同一性(アイデンティティ)を保つ社会が個人的な逸脱や偏差に対して示す敵意や警戒心は、この社会がテクノロジカルな基盤の貧弱さのゆえに常に資源の稀少性や社会構造の離散性に悩まされていることを物語っている。

      *

  それでは悲劇『オイディプス王』において、遊戯とも儀礼とも異なるドラマに固有の時間性はどのようなものであろうか。まずこの劇の内容に入る前に、我々はソポクレスがすでにアイスキュロスら他の劇作者によってさんざん使い古されたテーバイ王家の呪いの物語を主題にとりあげていることに注意しよう。巷間によく知られた昔話をあの手この手とパロディ化するギリシアの劇作者たちの手法ほど、儀礼と対立するドラマの時間意識をあざやかに開示するものはないといえる。彼らがパロディ化を劇作の常套手段とするのも、現在が過去によって一義的=因果的に決定されることなどありえないからに他ならない。時間の進行と共に、過去とは無縁な全く新奇な出来事が絶えず発生している。そして現在時に生起する出来事の新奇さは、共同体に伝承されてきた過去のテキストが連続的変形を蒙るという形で示される。

  自分の過去を探索する人間オイディプスを主人公にすることによって、ソポクレスは、儀礼とは異質な〈演劇的現在〉の時間そのものを舞台に乗せたのだということができよう。この舞台の上ではドラマが進行し局面が替わるたびに、オイディプスの過去がもつべき意味が次々に変容する。ドラマにおいては出来事の意味はひたすら時間的前後関係によって決定されるものなのだが、このサスペンスに充ちた演劇的現在の時間過去に因果的に決定された時間とも、また単なる不測時の到来としての未来に開かれた時間とも質を異にする。すぐれたドラマにおいては、到来する未来が刻一刻と過去の意味を再決定する演劇的現在の時間が主権を確立する。

  そしてこの時間は、他者との思わぬ出会いの瞬間から構成される時間でもある。この瞬間的な出会いの時間においては、人は自分自身や既知の人間を未知の他者として発見する一方、未知の他者が自分の自己同一性(アイデンティティ)の一部をなしていることを見出す。預言者テレイシアスとの出会いがなければ、オイディプスは自分が誰なのか知ることはなかったろう。そして彼を励まそうとした妻イオカステの善意の言葉を契機として、オイディプスは自分が母と結婚した人間であることを知る。この世界では誰も、自分が行い語ることの意味を知りえない。行為の意味は人と人との出会いの瞬間に構成され、時間と共に変転する。オイディプスが父を殺し母をめとることになったのも、王命に背いて赤子の彼を殺さず見知らぬ羊飼いに渡した召使いの善意の思わぬ帰結なのだ。

 そして劇的急転回(ペリペテイア)が到来する。このドラマはオイディプスが王から乞食に、目明きから盲人に、救世主から呪われた者になったことを示して終る。否、終ったのではない。自分の出生の秘密を知ったオイディプスは、ようやくこれから人生の名に値する生を生き始めるであろう。この劇の当初から彼は知ることへの情熱に捉えられている。そして真実を知った代償に自分が無に等しい者となったことに対しては彼はいかなる後悔も示さない。始まりは終りであり、終りは始まりである。『アンティゴネー』のようなヒロインの死に終る作品でさえも、ギリシア悲劇は常に人生をやり直すこと、再開と回生への呼びかけを余韻として終る。それゆえに演劇においては、あの完結した時間という虚構は、始まりを終りに、終りを始まりにする時間の逆転に仕える。そして時間の逆転を通じて過去は新たな意味をもって再び生まれ、時の連続性が確立される。

  儀礼に固執する集団主義の社会とは対照的に、ドラマは古代ギリシアの民主制を母胎とし、ポリスの政治教育の手段として開花した。それは個人的な逸脱を頭から罪と決めつけることなくむしろ共同体に未知の貴重な情報をもたらす出来事とみなして、共同体の信条と規範を絶えず再検討する、学び成長する社会の所産であった。「一人は万人のために、万人は一人のために」という民主制のモットーは、このような学ぶ社会なしには無意味なものとなる。そして人間たちの学び成長し変容する能力への底知れぬ楽天主義のゆえに、ギリシア悲劇は人間ではなく「行為する人間を模倣する」(アリストテレス)。というのも人間は、彼がすでになしたことを超えて成長しうる存在であるから。だからドラマは市民たちの生きる日常の歴史の時間に対して批評の契機として対立し、個人と社会のより深く生産的な調和が可能なることを予感させる。そして常に己れの在り方を再検討する社会にとってのみ、知は遅れて到来する。人は苦悩をとおして学び、学び成長することは解放と歓喜に導く。ゆえにオイディプスは行為よりも知への激情に生き、見かけの生を捨て成長する生に加担することによって、偉大な悲劇の主人公なのである。

(1)この問題の簡潔な解説としてはN.ウィーナー『サイバネティックス』(岩波書店)の第1章を参照。
(2)ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳、中公文庫)、p.73
(3)エリアーデ『聖と俗』(風間敏夫訳、法政大学出版局)、p.79
(4)同署、pp.87-8

出典
関 曠野「知は遅れて到来する」1985年5月
関 曠野『資本主義その過去・現在・未来 』影書房198511月刊、所収 pp.184 - 193

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