関 曠野「知は遅れて到来する ―ドラマにおける時間について―」(1985年5月)/Seki Hirono, Knowledge Comes Late, On Time in Drama, 1985
ソポクレスの悲劇『オイディプス王』の冒頭で、神官がオイディプスにテーバイに降りかかった災厄について報告する。誰も知りえぬ原因によって今や作物は枯れ、家畜たちは死に、生まれぬ子の産褥に女たちはあえぎ、疫病が国中を荒らしまわっている。かつてスフィンクスの謎を解いてテーバイの人々を怪物から解放したオイディプスに、再び「社会科学者」および「法の執行者」として人民の救世主になるべき時が来たのだ。そして神官が説くオイディプスの使命は、演劇そのものの使命でもある。共同体の危機と苦悩なしには、演劇はその存在理由を失う。共同体が何かの原因でアブノーマルな状態にあること―そこに一切の演劇の発端がある。
最近のコメント