書評:関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月
関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月
本書は、関 良基氏の手になる、「明治維新」を再考する三作目の著書です。
1)『赤松小三郎ともう一つの明治維新 ―テロに葬られた立憲主義の夢』2016年12月
2)『日本を開国させた男、松平忠固 ―近代日本の礎を築いた老中』2020年7月
これで、関 良基氏の「幕末維新」三部作(すべて作品社刊行)が世に問われたと言ってもよいでしょう。
本書を論ずる枕には、一つの推薦文を置くことが適切であろうと思います。江戸文学/比較文化研究者である田中優子氏(前法政大学総長)のものです。
「日本を、江戸時代からやり直したくなる。いや、やり直さなければならない。
強くそう思わせる、驚くべき著書だ。現代日本を見ていて「何かおかしい」と感じ続けている。近代と戦後日本は、もっと別の可能性があったはずだ。なぜ日本の近代は天皇制となり、その結果、あのような戦争に突入して行ったのか?戦後になったというのに、なぜ藩閥政治のような考え方が今でも世襲的に繰り返されているのだろう?
なぜマルクス主義者たちは国粋主義者と一緒になって江戸時代を否定したがるのか?
これらは明治維新のもたらしたものではないのか? 本書は、それらの謎を解く、新たな入り口を開けてくれた。発想の転換だけではなく、価値観の転換を迫られる。」
1.【本書目次】
はじめに――“江戸の憲法構想”と“もう一つの近代日本”を求めて
第Ⅰ部 徳川の近代国家構想――もう一つの日本近代史の可能性
第1章 よみがえる徳川近代史観――尾佐竹猛と大久保利謙
第2章 慶応年間の憲法構想――ジョセフ・ヒコ、赤松小三郎、津田真道、松平乗謨、 西周、山本覚馬
第3章 サトウとグラバーが王政復古をもたらした
第Ⅱ部 徹底批判〈明治維新〉史観――バタフライ史観で読み解く
第4章 〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇
第5章 唯物史観からバタフライ史観へ
第6章 丸山眞男は右派史観復活の後押しをした
終章 福沢諭吉から渋沢栄一へ
あとがき 〝近代日本の記憶のあり方〟と〝未来の歴史〟を変えるために
注/人名索引
2.【紹介】
本書の一貫した主題は、あり得たはずの“もう一つの近代史”の説得的提示です。
第1部では、既に〝江戸時代〟には、近代主権国家の必須要件である「憲法」が、自生的かつ幾つも構想されていた事実、およびその「証拠」を列挙します。
まず、戦前においても、日本のもう一つの〝近代〟の可能性を論じた二人の史家、尾佐竹猛と大久保利謙を取り上げ、それに導かれる形で、より詳細かつ具体的に、6名の憲法構想者とその憲法案を取り上げて比較検討します。
第Ⅱ部では、「証拠」があるにもかかわらず、明治以降の歴史学が、それらの歴史的証拠(evidence)をなぜ軽視したり、無視できたのか、その理由を考察します。
具体的に俎上に上るのは、戦前の文部省編『維新史』、司馬遼太郎、井上清、遠山茂樹、丸山眞男、等の議論です。それらの比較検討の結果、〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉および丸山眞男の維新史観、これらの評価軸がみな共通して、長州/薩摩連合による「武力倒幕」を肯定しており、その意味で、これらは、本質的に共通性がある、としています。私流に言い換えれば、〈同じ穴の狢ムジナ〉となりましょうか。
そして、Ⅰ部とⅡ部の接続部、つまり、第Ⅰ部のおわりに、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」を挟みます。これによって、「江戸」から「明治」にかけて、歴史が「進歩」ではなく「退歩」してしまった歴史の”捻じれ”、の実例とします。著者関
良基氏はこれを、
「覇権国の軍事支援があれば、前近代は近代に勝利し得る。明治維新とはそういうことなのだ。」第4章「〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇」、本書、p.149
と簡潔に(冷徹に?)表現しています。著者にこのような歴史観の洞察を可能にしたものが、第5章で論じられる複雑系科学に基づく「バタフライ史観」です。
本書で展開されてきた議論を総括するのが、終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」です。著者は、これまでの歴史学において、何故、渋沢栄一が過小評価され、福沢諭吉が過大評価されてきたのか、その由来を尋ねます。
上記の比較考察から、著者はこう述べています。
「渋沢は、数多くの会社経営のかたわらで、・・・、(孤児院、日本赤十字社など)、多くの社会福祉事業に関与し続けた。 丸山眞男は、自己責任論を主張した福沢の方が、弱者救済を主張する渋沢よりも近代的だと考えるのであろうか?」本書p.223
「江戸の寺子屋教育の申し子と言ってよい渋沢が、製造業・金融業・運送業・食品業と多方面にわたってベンチャー企業の創業活動を行なって、日本資本主義の父となった。渋沢の存在そのものが、江戸の寺子屋の人材育成に優れた面があったことを示す好例であろう。」本書p.225
そして、下記の一文でもって、終章を結びます。
「渋沢栄一が新一万円札の肖像になるのを契機として、私たちは江戸文明が内発的に生み出すはずであった〝もう一つの近代日本〟の姿を再検討し、それを再興する形で未来社会を構想すべきではないだろうか。」本書、p.227
3.【評価①】
本書は、著者の前二著とくらべて、際立って優れた工夫があります。それは、第1章から第6章まで全てに、「はじめに」および「おわりに」が設けられていることです。
「はじめに」は、その章で解明したいテーマを、「問い」として掲げています。「おわりに」は、先ほどの「問い」に応じ、その章の議論で明らかにされた著者の「答え」を簡潔に提示しています。
これは、日本のアカデミック、かつ非自然科学分野では、珍しい(初の?)論述の構成ではないでしょうか。とりわけ、歴史学関連では珍しく、かつ読者の理解を助ける優れた論述スタイルだと思われます。こういう地味ですが、優れた試みが広がると良いのですが。
前著(松平忠固論)から継続して、本書全体の内容構成のバランスが良いです。第3章を中間に挟んで前後半がほぼ均等におかれています。これも、見やすい後注、人名索引とともに、読者の理解を支援する工夫で、本書全体に著者の神経が行き届いている証拠だと思います。今回、前二作のハードカバーから、軽装版のぺーバーカバーになりました。コストの面もあるでしょうが、持ち運びの点から、個人的は好印象です。軽装版の学術書が増えることは大歓迎でなので。
4.【評価②】
本書には前二作と比較して、少し異色な点が二つあります。「憲法」を前面に押し出したことと、複雑系科学由来の歴史理論「バタフライ史観」を挿入した点です。
著者は、「あとがき」にて本書執筆の動機として、既存の《史観》の検証の必要性を語っています。従いまして、先の二点はそのための基礎作業と言えます。
ただ、著者の前二著を熱烈に支持した読者たちは、「歴史」そのものへの関心、あるいは新しいリアルな「幕末維新史」の切り口を待望していたでしょうから、過去の二著に較べると本書が若干理論的になり話題性はその分下がるかも知れません。
その点を考慮すると、本書での衝撃度の高さから言えば、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」が、衝撃度、話題性がともに高く、次に終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」が、説得性が最も高い、を言えそうです。
一人でも多くの読者に本書(を含めた三部作)が届いて欲しいと念ずる批評子からしますと、本書の内容・論述は充実しているので、本書のタイトルと内容の構成を、この二つの章をもう少しアピールするようにできていれば、より訴求力が高まり、読者の範囲をさらに広げることができるのではないか、という望蜀の感無きにしも非ず、というのが正直なところです。
5.【議論①】
前項でも指摘しましたが、本書第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」は、ここまで明確に特定して記述できるとは思いませんでした。もちろん、列挙されたのは状況証拠ではありますが、これだけ揃えば、直接証拠でなくとも、十分説得性があると思います。過去の史家たちの議論では、読者に推測させるか、匂わす程度でしかありませんでしたし、思い切って論断する威勢の良い議論は、大抵は憶測の域を出ていませんでした。
今回、ここまで言い切れたのは、著者が赤松小三郎という、オモテの「幕末維新史」から消されていた、重大な思想家、かつ非常に重要な軍事技術者、すなわちミッシング・リンクの再発見/再評価をなしたことが大きな力となっていると思います。とりわけ、島津家の軍事指導者西郷吉之介の心変わりを軍事技術者赤松小三郎の動向と結びつけられたことで、全ての点が線に結びついたのであろう、と考えられます。赤松が線上に登場したことで、アーネスト・サトウとのリンケージも結べたのは驚きました。多分、これが歴史の真実(の重要な一部)なのでしょう。
それにしても、名のみしか知らなかったサトウの『英国策論』が、これほど内政干渉の震源だったという事実に無知だったのは、書評子自身、不明の至りで、本当に恥ずかしい限りです。改めて、英国という国家の影の部分(悪辣さ)には、腹の虫がおさまりません。「バルフォア宣言」に淵源する、現在進行形の、パレスチナでの虐殺を思うと余計です。
※サトウ「英国策論」は、『日本近代思想大系1 開国』1991年岩波書店所収
この件に関連して1点だけ。
よく言われることに、幕末期、英国政府は交渉相手として、無能、非合理な「大君政府」を見限り、薩長連合に肩入れした云々といった評言を読んだり、聴いたりします。しかし、昨今の19世紀の「公儀」権力研究、例えば、
眞壁仁『徳川後期の学問と政治―昌平坂学問所儒者と幕末外交変容』2007年名古屋大学出版会(古賀とう庵は学問所の中心儒者)
前田勉「古賀とう庵の海防論―朱子学が担う開明性」『兵学と朱子学・蘭学・国学』2006年平凡社所収
前田勉「女性解放のための朱子学―古賀とう庵の思想2」同上
などによれば、最新の海外情報を入手した開明的な昌平坂学問所儒者たちが「公儀」政治・外交にかなり関与しており、その膝下から弟子たちが、海防担当の有能な官僚として活躍していたことが明らかになっています。
それからしますと、英国政府は、無能・非合理故に「大君政府」から薩長連合に乗り換えたというより、「大君政府」外交部がタフ・ネゴシエーターであったために、より与し易い薩長連合に乗り換えた、とみるほうが合理的なのではないか、と思います。つまり、常識と真逆だったのではないか、ということです。
6.【議論②】
・「バタフライ史観」に関して
何事にも、「日のもとに新しきものなし」と言われます。弊ブログでも、先人の言葉を幾つか引いています。
引用ⅰ 奇妙なことに、意図されずにしかし実際に実現しているような影響と比較して、意図されてはいたが実現されなかったような社会的決断の影響の方が研究を必要としている。というのは、前者は少なくともそこにあるのに対して、意図されたが実現しなかった結果はしばしば過ぎ去るある時点において社会の行為者たちが表明した期待の中だけに見出されるからである。
アルバート・O・ハーシュマン『情念の政治経済学』法政大学出版局(1985)、p.132
引用ⅱ われわれは初発の出来事を決して繰り返すことはできない。この出来事は自分が何をしているのか分かっていない人々によって行われたのであって、この無自覚性こそが出来事の紛れもない本質であった。
アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店(2000年)、第3章産業社会、p.32
以上も、歴史の複線的可能性を示唆しているとみられます。大きくカテゴライズすれば、みな「複雑系」的な発想法であるでしょう。従いまして、これらの史観を、どう命名するか。もう少し検討の余地があるかなと思います。
※下記弊ブログ記事もご参照頂ければ幸甚です。
引用ⅰは、下記参照。
過去の擬似決定性と未来の選択可能性/ Pseudo-determinism of the past and the possibility of choosing the future: 本に溺れたい
引用ⅱは、下記参照。
歴史における発生と定着、あるいはモデルと模倣: 本に溺れたい
7.【議論③】
・世代について
本書で論じられているように、明治維新を肯定する司馬遼太郎や丸山眞男たちが、そう信じたい動機は、彼らが大正時代に青少年期を過ごしたことと関連するかもしれません。つまり、彼らにとり、大正時代がピークとなり、昭和においてどん底まで突き落とされた訳です。
各時代を、「進歩史観」で序列化するとこうなりますでしょうか。
《大正=近代》 → 《明治=半近代》 → 《明治維新=近代化革命》 → 《江戸時代(徳川日本)=前近代》
しかし、それは大きな勘違いでした。
象徴的なことの一例を示します。
21世紀の現代でも、新聞の投稿欄があり、俳句欄、短歌欄がありますね。戦前から存在し、無論、明治からありました。しかしながら、戦前のある時期に廃止された投稿欄がありました。それは、「漢詩」欄です。昨今では、高校国語でもあまり漢文を選択授業に設定しなくなったかもしれませんが、例の李白や杜甫が作った詩のことです。これは古典語(漢語)による詩作、という極めて高度な創造活動です。分かりやすく言えば、現代ヨーロッパの民衆が、ラテン語で詩作することに匹敵します。この漢詩形式による詩作は徳川日本でピークに達しましたが、明治になってもしばらくは、一般購読者による漢詩の投稿は盛んでした。ところが、明治がすすむにつれて、投稿数が減少し続け、漢詩の投稿欄は大正六(1917)年に消えたのです。
※参照 石川忠久/陳舜臣ほか『「漢詩」の心―自然を謳い人生を詠む』1995年プレジデント社、p.6
つまり、江戸文明(徳川文明)は、大正時代に消失した訳です。最後の徳川将軍、慶喜が没したのは、大正2(1913)年11月22日、享年76歳でした。
※人口学的な世代論については、詳細は下記の弊ブログ記事をご参照下さい。
徳川文明の消尽の後に(改訂版)/After the exhaustion of Tokugawa civilization (revised): 本に溺れたい
最後に、本書の丸山眞男論に触れたかったのですが、弊記事が長くなり過ぎたことと、他論者の丸山眞男論も含めて、別途論じさせて頂くこととします。



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