古代・中世世界における「女性」の社会的地位と日本文化の特異性——「歌合」の男女混合性をめぐる歴史人類学的比較文明分析——
本稿では、古代・中世日本で女性が男性と対等に参加した「歌合」という文芸空間が、なぜ世界史的にきわめて特異な現象であったのかを、歴史人類学の視点から比較文明的に検討します。古代ギリシア・ローマ、中国、イスラム、中世ヨーロッパなどと対照しながら、日本社会がいかにして男女混合の文芸文化を成立させ得たのか、その構造的条件を明らかにします。
私は、日本の古代・中世において、和歌の「歌合」が男女混合で行われたという事実に、長年、強い関心を抱いてきました。和歌は貴族文化の中心にあり、政治的・社会的序列の象徴でもあったため、本来であれば男性中心の競技として固定化されても不思議ではありません。しかし現実には、平安中期以降、女性歌人が積極的に参加し、男性と対等に技を競い、その成果が公的記録として後世に残りました。この現象は、世界の古代・中世文明と比較すると、きわめて例外的です。
そこで私は、歴史人類学の視点から、古代ギリシア・ローマ、古代中国、中世イスラム世界、中世ヨーロッパといった主要文明圏を一巡し、なぜ日本だけがこのような男女混合の文芸空間を成立させ得たのかについて、文明比較の観点から整理してみたいと思います。
1. 世界の古代・中世に「男女混合の文芸コンテスト」は存在したか
結論から申し上げますと、日本の歌合のように、
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女性が公的な場に登場し
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男性と対等に文芸を競い
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その記録が正史・公的文書の中に残る
こうした形式を備えた文芸コンテストは、古代〜中世の他文明にはほとんど存在しません。
■ギリシア・ローマ
ギリシアの詩歌競技は都市国家(ポリス)の男性市民の儀礼であり、女性の参加例は確認できません。ローマにおいても女性詩人は存在しますが、公的競技に参加することはありませんでした。「公共的活動=男性」という市民観が強固だったためです。
■古代ユダヤ〜初期キリスト教世界
女性が預言者として登場する場面はありますが、宗教的言語空間は本質的に男性司祭層の権威領域であり、男女が対等に弁舌・詩歌を競うという制度は成立しませんでした。
■中世イスラム帝国
女性詩人アル=フンサのような例はありますが、宮廷詩人の競技会は名誉(=男性的徳)の延長線上にあり、公的場面は男性の専有領域でした。男女混合の制度的競技は確認されません。
■古代〜中世中国
中国には詩作を高度に重視する文化がありますが、科挙をはじめとした公的作文空間はすべて男性の領域で、女性は教育制度そのものから排除されていました。宴席での即興詩作遊戯には女性もいた可能性がありますが、男女が対等に評価される制度ではありません。
2. なぜ日本だけが男女混合の「文芸競争」を成立させたのか
世界的に見ても、この現象はきわめて稀です。ここでは、歴史人類学的に考えられる理由を四つに整理します。
(A)日本社会の家族構造:父系一元ではなく「双系性」が強かったから
日本古代の親族構造は、東アジアでは珍しく父系に一元化されていませんでした。
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母系・父系の双方が重視される(双系性)
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婿入りや妻問い婚が一般的
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家産や文化資源の伝達が父系に固定されていない
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女性が家庭内で強い位置を占めるケースが多い
この構造のため、女性が「家」に閉じ込められず、文化的主体として社会に参加する余地が大きかったと考えられます。
中国・イスラム世界のような強固な父系社会では、女性が文化生産の表舞台に立つことは制度上困難でした。日本はこの点で明確に異なります。
(B)日本の宮廷社会は、権力よりも「教養」を重視する稀有な文化だったから
平安朝の宮廷は、世界史の中でも特異な「教養宮廷」です。
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貴族の評価は政治手腕よりも教養(和歌・漢詩・文体)
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恋愛関係も外見より「和歌の能力」が決定的
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男性が女性と和歌を交わすことが政治的意味さえ持った
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女性の文学能力が高いほど、家門の権威も高まる
文芸は政治権力と密接に結びついており、そこに女性が主体的に参加していたという点が、他文明と違う根本です。
ギリシアの競技は身体の名誉
イスラムの詩は男性的雄弁
中国は科挙という男性官僚制
ヨーロッパは土地と武勇
これらと異なり、日本は**「言語能力」こそが最上位の文化資本**でした。
そのため女性が文化の中心に立つことが可能になりました。
(C)「後宮=文化の中心」という、世界的に特異な構造があったから
中国・イスラムの後宮は巨大な女性空間ですが、政治から隔絶され、文化の中心とはみなされませんでした。
しかし日本の後宮は真逆で、
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女房(女官)こそが情報の中心
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貴族男性は後宮女性との書簡・和歌のやり取りを通じて社会的名声を築く
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『枕草子』『源氏物語』の作者は女性であり、これが文学的正典となる
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女性は文化の担い手であり、しばしば先導者だった
つまり後宮が文化の生産機関として機能していたという、日本独自の構造が存在しました。
この構造なくして、男女混合の歌合は成立しません。
(D)日本の宗教観:女性は「劣位な存在」とは位置づけられていなかったから
多くの文明では、宗教が女性の社会的地位を決定づけました。
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ギリシア:女性は理性に欠ける
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キリスト教:原罪論的女性観(イブによる罪)
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イスラム:法的性差が制度化
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中国:儒教の三従と父系倫理
これらはすべて、女性を存在論的に劣位に置きます。
対して日本では、
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アマテラスは女性神
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巫女や女性シャーマンが神意の媒介者
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「穢れ」の概念はあるが、理性の欠如とは結びつかない
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女性が神意を伝える存在として認知されるケースが多い
つまり日本では、女性が「本質的に不完全」という観念が弱く、社会的役割の柔軟性が高かったと考えられます。
3. では、なぜ他文明では男女混合の文芸競争が成立しなかったのか
これまでの比較から見えてくる理由は、次の三点に要約できます。
■(1)女性の公的空間アクセスが制度的に遮断されていた
ほとんどの文明で「公共空間=男性の名誉空間」であり、女性は家内領域に閉じ込められていました。
歌合は本質的に「公的儀礼」であるため、女性が登場できる社会構造がまず必要です。
■(2)文芸が男性名誉の象徴だった
文芸が政治的権威・社会的序列と結びつく場合、それはしばしば男性の名誉体系に吸収され、女性は周辺化されました。
日本は文芸を「男女の社交」「恋愛」「政治」をつなぐ可変的領域として発達させた点が特異です。
■(3)識字・言語教育への女性アクセスが世界的に低かった
日本の場合、かな文字の発明が女性の文学活動を大きく後押ししました。
世界的に見ても、「女性の方がその文明の標準語文に堪能であった」という現象はほとんど例がありません。
4. まとめ
私は、男女混合の歌合文化は、以下の四つの条件が重なった結果だと考えています。
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双系性の親族構造(女性の社会的余地が広い)
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宮廷の教養中心主義(文芸=政治的資本)
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後宮が文化の中心であったという日本固有の構造
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女性が存在論的に劣位とされない宗教観
これらの複合要因がそろった文明は、日本以外にはほぼ見当たりません。したがって、歌合という男女混合の文芸競技が成立したこと自体が、日本文化の歴史人類学的特異点であると言えるのではないか、と私は考えています。
■文献一覧(原語表記のみ)
Literature & References (Original-language titles only)
(テーマ別・原語表記/翻訳なし)
Ⅰ. 日本史(歌合・宮廷文化・女性・文字文化)
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『類聚歌合』
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『大和物語』
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『古今和歌集』
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『後撰和歌集』
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『枕草子』清少納言
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『源氏物語』紫式部
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井上さやか『平安朝和歌と政治文化』
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角田文衛『平安朝の女性』
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渡辺保『歌合の研究』
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John Whitney Hall, Government and Local Power in Japan, 500–1700
-
Paul Varley, Japanese Culture
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Joshua Mostow (ed.), The Cambridge History of Japanese Literature
Ⅱ. 古代ギリシア・ローマ(女性・市民権・文芸競争)
-
Ἀριστοτέλης (Aristotélēs), Πολιτικά (Politika)
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Πλάτων (Plátōn), Νόμοι (Nomoi)
-
Σαπφώ (Sapphō), Ἔργα
-
A. Lesky, Geschichte der griechischen Literatur
-
Simon Goldhill, The Poet's Voice: Essays on Poetics and Greek Literature
-
Mary Lefkowitz, Women in Greek Myth
-
Elaine Fantham et al., Women in the Classical World
Ⅲ. 古代ユダヤ・初期キリスト教(女性・公共性・聖典言説)
-
תנ״ך (Tanakh)
-
Μάρκος, Εὐαγγέλιον
-
Philo of Alexandria, Περὶ γυναικῶν (fragments)
-
Elizabeth A. Clark, Women in the Early Church
-
Ross S. Kraemer, Her Share of the Blessings: Women's Religions among Pagans, Jews, and Christians in the Greco-Roman World
Ⅳ. イスラム古典世界(女性・詩・名誉文化)
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الخنساء (al-Khansāʾ), ديوان الخنساء (Dīwān al-Khansāʾ)
-
الجاحظ (al-Jāḥiẓ), البيان والتبيين (al-Bayān wa al-Tabyīn)
-
Ibn Qutaybah, الشعر والشعراء (al-Shiʿr wa al-Shuʿarāʾ)
-
Leila Ahmed, Women and Gender in Islam
-
Fedwa Malti-Douglas, Woman's Body, Woman's Word: Gender and Discourse in Arabo-Islamic Writing
Ⅴ. 中国古代・中世(父系制・文官制度・女性史)
-
『礼記』
-
『史記』
-
『漢書』
-
『宋史』
-
Patricia Buckley Ebrey, The Inner Quarters: Marriage and the Lives of Chinese Women in the Sung Period
-
Susan Mann, Talented Women of the Zhang Family
-
Bret Hinsch, Women in Early Imperial China
-
Mark Edward Lewis, The Construction of Space in Early China
Ⅵ. 中世ヨーロッパ(女性・キリスト教・公的文化)
-
Regula Benedicti (Rule of Benedict)
-
Hildegard von Bingen, Liber divinorum operum
-
Caroline Walker Bynum, Holy Feast and Holy Fast
-
Judith Bennett, Women in the Medieval English Countryside
-
Joan Kelly, Women, History and Theory
Ⅶ. 文明比較・歴史人類学・女性/親族構造
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Claude Lévi-Strauss, Les structures élémentaires de la parenté
-
Jack Goody, The Development of the Family and Marriage in Europe
-
Jack Goody, The Logic of Writing and the Organization of Society
-
Marcel Mauss, Essai sur le don
-
Pierre Bourdieu, La domination masculine
-
Sherry B. Ortner, “Is Female to Male as Nature is to Culture?”
-
Marilyn Strathern, The Gender of the Gift
Ⅷ. 日本女性史・ジェンダー研究(基礎文献)
-
上野千鶴子『家父長制と資本制』
-
井上章一『日本の美術史とジェンダー』
-
Doris Bargen, A Woman's Weapon: Spirit Possession in The Tale of Genji
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Haruo Shirane, The Bridge of Dreams: A Poetics of The Tale of Genji
Ⅸ. 言語・識字・文字文化(比較文字史)
-
Walter Ong, Orality and Literacy
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Ernst Robert Curtius, Europäische Literatur und lateinisches Mittelalter
-
Florian Coulmas, The Blackwell Encyclopedia of Writing Systems
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Roy Harris, Rethinking Writing
■「歌合」専用ミニ文献リスト
◆1. 一次史料(歌合の原典)
●『歌合(うたあわせ)』諸本(平安〜鎌倉)
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『寛平御時后宮歌合』
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『天徳内裏歌合』
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『内裏歌合』
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『村上天皇天徳四年内裏歌合』
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『和歌六百番歌合』
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『新三十六人撰・三十六人歌合』
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『六百番歌合』(後白河院政期)
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『千五百番歌合』(後鳥羽院)
→ 歌合文化の発展を見るための中核資料。
→ 特に 後鳥羽院の主宰した大規模歌合が、制度化の完成形。
◆2. 歌合関連史料(背景理解のため)
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『古今和歌集』
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『後撰和歌集』
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『拾遺和歌集』
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『千載和歌集』
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『新古今和歌集』
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『枕草子』清少納言
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『源氏物語』紫式部
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『袋草紙』藤原清輔
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『毎月抄』藤原定家
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『明月記』藤原定家
→ 宮廷文化・審美観・選者の哲学など、歌合の基盤をつくる資料。
◆3. 歌合についての主要研究(日本語)
●古典的研究(歌合研究の基礎)
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渡辺保『歌合の研究』東京大学出版会
→ 歌合研究のモノグラフとしては最重要文献のひとつ。 -
佐佐木信綱『歌合の史的研究』
→ 歌合史の初期整理として古典的価値が高い。
●歌合の制度・運営・文学的役割
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岩佐美代子『王朝和歌と歌合』
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久保田淳『和歌史の方法』
「歌合論」の章は必読。 -
小町谷照彦『王朝文学の基層』
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吉海直人『中世和歌の世界』
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桜井満『和歌文学の世界』
●女性と宮廷文化・歌合の交差
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角田文衛『平安朝の女性』
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伊藤景子『女房三十六人集の研究』
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兵藤裕己『日本中世の声と文字』
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和歌山朋子『女性と宮廷文学』
→ 女性が歌合文化に参加した社会的背景が理解できる。
●和歌美学・批評・選歌の理論
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佐藤春夫『和歌美論』
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荒木見悟『藤原定家』
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久保田淳『藤原定家とその時代』
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鈴木日出男『中世和歌と物語』
→ 「判詞(はんし)」の美学、勝敗の原理などを読むのに最適。
◆4. 歌合研究の英語文献(補助用)
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Steven D. Carter, Traditional Japanese Poetry: An Anthology
→ 歌合文化の説明が丁寧。 -
Robert Huey, The Making of Shinkokinshū
→ 後鳥羽院の文化政策と歌合の関係が詳しい。 -
Joshua Mostow, Pictures of the Heart: The Hyakunin Isshu in Word and Image
→ 選歌文化・評価文化の視点から有益。
◆5. 歌合とは何か(要点)
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平安〜中世の宮廷で行われた詩歌競技
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左・右に分かれ、一首ずつ勝敗をつける
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**審判者の「判詞(はんし)」**が文学批評として重視
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女性歌人が参加し、男性と対等に評価される点で世界史的に異例
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政治・恋愛・美学・社会階層が交差する複合儀礼




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