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2024年5月13日 (月)

書評:関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月

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関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月

本書は、関 良基氏の手になる、「明治維新」を再考する三作目の著書です。
1)『赤松小三郎ともう一つの明治維新 ―テロに葬られた立憲主義の夢』2016年12月
2)『日本を開国させた男、松平忠固 ―近代日本の礎を築いた老中』2020年7月
これで、関 良基氏の「幕末維新」三部作(すべて作品社刊行)が世に問われたと言ってもよいでしょう。

本書を論ずる枕には、一つの推薦文を置くことが適切であろうと思います。江戸文学/比較文化研究者である田中優子氏(前法政大学総長)のものです。

「日本を、江戸時代からやり直したくなる。いや、やり直さなければならない。
強くそう思わせる、驚くべき著書だ。現代日本を見ていて「何かおかしい」と感じ続けている。近代と戦後日本は、もっと別の可能性があったはずだ。なぜ日本の近代は天皇制となり、その結果、あのような戦争に突入して行ったのか?戦後になったというのに、なぜ藩閥政治のような考え方が今でも世襲的に繰り返されているのだろう?
なぜマルクス主義者たちは国粋主義者と一緒になって江戸時代を否定したがるのか?
これらは明治維新のもたらしたものではないのか? 本書は、それらの謎を解く、新たな入り口を開けてくれた。発想の転換だけではなく、価値観の転換を迫られる。」


1.【本書目次】

はじめに――“江戸の憲法構想”と“もう一つの近代日本”を求めて
第Ⅰ部 徳川の近代国家構想――もう一つの日本近代史の可能性
 第1章 よみがえる徳川近代史観――尾佐竹猛と大久保利謙
 第2章 慶応年間の憲法構想――ジョセフ・ヒコ、赤松小三郎、津田真道、松平乗謨、 西周、山本覚馬
 第3章 サトウとグラバーが王政復古をもたらした

第Ⅱ部 徹底批判〈明治維新〉史観――バタフライ史観で読み解く
 第4章 〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇
 第5章 唯物史観からバタフライ史観へ
 第6章 丸山眞男は右派史観復活の後押しをした
 終章 福沢諭吉から渋沢栄一へ

あとがき 〝近代日本の記憶のあり方〟と〝未来の歴史〟を変えるために
注/人名索引


2.【紹介】
本書の一貫した主題は、あり得たはずの“もう一つの近代史”の説得的提示です。

第1部では、既に〝江戸時代〟には、近代主権国家の必須要件である「憲法」が、自生的かつ幾つも構想されていた事実、およびその「証拠」を列挙します。

まず、戦前においても、日本のもう一つの〝近代〟の可能性を論じた二人の史家、尾佐竹猛と大久保利謙を取り上げ、それに導かれる形で、より詳細かつ具体的に、6名の憲法構想者とその憲法案を取り上げて比較検討します。

第Ⅱ部では、「証拠」があるにもかかわらず、明治以降の歴史学が、それらの歴史的証拠(evidence)をなぜ軽視したり、無視できたのか、その理由を考察します。

具体的に俎上に上るのは、戦前の文部省編『維新史』、司馬遼太郎、井上清、遠山茂樹、丸山眞男、等の議論です。それらの比較検討の結果、〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉および丸山眞男の維新史観、これらの評価軸がみな共通して、長州/薩摩連合による「武力倒幕」を肯定しており、その意味で、これらは、本質的に共通性がある、としています。私流に言い換えれば、〈同じ穴の狢ムジナ〉となりましょうか。

そして、Ⅰ部とⅡ部の接続部、つまり、第Ⅰ部のおわりに、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」を挟みます。これによって、「江戸」から「明治」にかけて、歴史が「進歩」ではなく「退歩」してしまった歴史の”捻じれ”、の実例とします。著者関
良基氏はこれを、

「覇権国の軍事支援があれば、前近代は近代に勝利し得る。明治維新とはそういうことなのだ。」第4章「〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇」、本書、p.149

と簡潔に(冷徹に?)表現しています。著者にこのような歴史観の洞察を可能にしたものが、第5章で論じられる複雑系科学に基づく「バタフライ史観」です。

本書で展開されてきた議論を総括するのが、終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」です。著者は、これまでの歴史学において、何故、渋沢栄一が過小評価され、福沢諭吉が過大評価されてきたのか、その由来を尋ねます。

ダウンロード - 福沢諭吉vs.渋沢栄一

上記の比較考察から、著者はこう述べています。

「渋沢は、数多くの会社経営のかたわらで、・・・、(孤児院、日本赤十字社など)、多くの社会福祉事業に関与し続けた。 丸山眞男は、自己責任論を主張した福沢の方が、弱者救済を主張する渋沢よりも近代的だと考えるのであろうか?」本書p.223

「江戸の寺子屋教育の申し子と言ってよい渋沢が、製造業・金融業・運送業・食品業と多方面にわたってベンチャー企業の創業活動を行なって、日本資本主義の父となった。渋沢の存在そのものが、江戸の寺子屋の人材育成に優れた面があったことを示す好例であろう。」本書p.225

そして、下記の一文でもって、終章を結びます。

「渋沢栄一が新一万円札の肖像になるのを契機として、私たちは江戸文明が内発的に生み出すはずであった〝もう一つの近代日本〟の姿を再検討し、それを再興する形で未来社会を構想すべきではないだろうか。」本書、p.227

3.【評価①】
本書は、著者の前二著とくらべて、際立って優れた工夫があります。それは、第1章から第6章まで全てに、「はじめに」および「おわりに」が設けられていることです。

「はじめに」は、その章で解明したいテーマを、「問い」として掲げています。「おわりに」は、先ほどの「問い」に応じ、その章の議論で明らかにされた著者の「答え」を簡潔に提示しています。

これは、日本のアカデミック、かつ非自然科学分野では、珍しい(初の?)論述の構成ではないでしょうか。とりわけ、歴史学関連では珍しく、かつ読者の理解を助ける優れた論述スタイルだと思われます。こういう地味ですが、優れた試みが広がると良いのですが。

前著(松平忠固論)から継続して、本書全体の内容構成のバランスが良いです。第3章を中間に挟んで前後半がほぼ均等におかれています。これも、見やすい後注、人名索引とともに、読者の理解を支援する工夫で、本書全体に著者の神経が行き届いている証拠だと思います。今回、前二作のハードカバーから、軽装版のぺーバーカバーになりました。コストの面もあるでしょうが、持ち運びの点から、個人的は好印象です。軽装版の学術書が増えることは大歓迎でなので。

4.【評価②】

本書には前二作と比較して、少し異色な点が二つあります。「憲法」を前面に押し出したことと、複雑系科学由来の歴史理論「バタフライ史観」を挿入した点です。

著者は、「あとがき」にて本書執筆の動機として、既存の《史観》の検証の必要性を語っています。従いまして、先の二点はそのための基礎作業と言えます。

ただ、著者の前二著を熱烈に支持した読者たちは、「歴史」そのものへの関心、あるいは新しいリアルな「幕末維新史」の切り口を待望していたでしょうから、過去の二著に較べると本書が若干理論的になり話題性はその分下がるかも知れません。

その点を考慮すると、本書での衝撃度の高さから言えば、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」が、衝撃度、話題性がともに高く、次に終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」が、説得性が最も高い、を言えそうです。

一人でも多くの読者に本書(を含めた三部作)が届いて欲しいと念ずる批評子からしますと、本書の内容・論述は充実しているので、本書のタイトルと内容の構成を、この二つの章をもう少しアピールするようにできていれば、より訴求力が高まり、読者の範囲をさらに広げることができるのではないか、という望蜀の感無きにしも非ず、というのが正直なところです。

5.【議論①】

前項でも指摘しましたが、本書第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」は、ここまで明確に特定して記述できるとは思いませんでした。もちろん、列挙されたのは状況証拠ではありますが、これだけ揃えば、直接証拠でなくとも、十分説得性があると思います。過去の史家たちの議論では、読者に推測させるか、匂わす程度でしかありませんでしたし、思い切って論断する威勢の良い議論は、大抵は憶測の域を出ていませんでした。

今回、ここまで言い切れたのは、著者が赤松小三郎という、オモテの「幕末維新史」から消されていた、重大な思想家、かつ非常に重要な軍事技術者、すなわちミッシング・リンクの再発見/再評価をなしたことが大きな力となっていると思います。とりわけ、島津家の軍事指導者西郷吉之介の心変わりを軍事技術者赤松小三郎の動向と結びつけられたことで、全ての点が線に結びついたのであろう、と考えられます。赤松が線上に登場したことで、アーネスト・サトウとのリンケージも結べたのは驚きました。多分、これが歴史の真実(の重要な一部)なのでしょう。

それにしても、名のみしか知らなかったサトウの『英国策論』が、これほど内政干渉の震源だったという事実に無知だったのは、書評子自身、不明の至りで、本当に恥ずかしい限りです。改めて、英国という国家の影の部分(悪辣さ)には、腹の虫がおさまりません。「バルフォア宣言」に淵源する、現在進行形の、パレスチナでの虐殺を思うと余計です。

※サトウ「英国策論」は、『日本近代思想大系1 開国』1991年岩波書店所収

この件に関連して1点だけ。

よく言われることに、幕末期、英国政府は交渉相手として、無能、非合理な「大君政府」を見限り、薩長連合に肩入れした云々といった評言を読んだり、聴いたりします。しかし、昨今の19世紀の「公儀」権力研究、例えば、

眞壁仁『徳川後期の学問と政治―昌平坂学問所儒者と幕末外交変容』2007年名古屋大学出版会(古賀とう庵は学問所の中心儒者)
前田勉「古賀とう庵の海防論―朱子学が担う開明性」『兵学と朱子学・蘭学・国学』2006年平凡社所収
前田勉「女性解放のための朱子学―古賀とう庵の思想2」同上

などによれば、最新の海外情報を入手した開明的な昌平坂学問所儒者たちが「公儀」政治・外交にかなり関与しており、その膝下から弟子たちが、海防担当の有能な官僚として活躍していたことが明らかになっています。

それからしますと、英国政府は、無能・非合理故に「大君政府」から薩長連合に乗り換えたというより、「大君政府」外交部がタフ・ネゴシエーターであったために、より与し易い薩長連合に乗り換えた、とみるほうが合理的なのではないか、と思います。つまり、常識と真逆だったのではないか、ということです。


6.【議論②】
・「バタフライ史観」に関して
何事にも、「日のもとに新しきものなし」と言われます。弊ブログでも、先人の言葉を幾つか引いています。

引用ⅰ 奇妙なことに、意図されずにしかし実際に実現しているような影響と比較して、意図されてはいたが実現されなかったような社会的決断の影響の方が研究を必要としている。というのは、前者は少なくともそこにあるのに対して、意図されたが実現しなかった結果はしばしば過ぎ去るある時点において社会の行為者たちが表明した期待の中だけに見出されるからである。
アルバート・O・ハーシュマン『情念の政治経済学』法政大学出版局(1985) 、p.132

引用ⅱ われわれは初発の出来事を決して繰り返すことはできない。この出来事は自分が何をしているのか分かっていない人々によって行われたのであって、この無自覚性こそが出来事の紛れもない本質であった。
アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店(2000年)、第3章産業社会、p.32

以上も、歴史の複線的可能性を示唆しているとみられます。大きくカテゴライズすれば、みな「複雑系」的な発想法であるでしょう。従いまして、これらの史観を、どう命名するか。もう少し検討の余地があるかなと思います。
※下記弊ブログ記事もご参照頂ければ幸甚です。
引用ⅰは、下記参照。
過去の擬似決定性と未来の選択可能性/ Pseudo-determinism of the past and the possibility of choosing the future: 本に溺れたい
引用ⅱは、下記参照。
歴史における発生と定着、あるいはモデルと模倣: 本に溺れたい

7.【議論③】
・世代について
本書で論じられているように、明治維新を肯定する司馬遼太郎や丸山眞男たちが、そう信じたい動機は、彼らが大正時代に青少年期を過ごしたことと関連するかもしれません。つまり、彼らにとり、大正時代がピークとなり、昭和においてどん底まで突き落とされた訳です。

各時代を、「進歩史観」で序列化するとこうなりますでしょうか。

《大正=近代》 → 《明治=半近代》 → 《明治維新=近代化革命》 → 《江戸時代(徳川日本)=前近代》

しかし、それは大きな勘違いでした。

象徴的なことの一例を示します。

21世紀の現代でも、新聞の投稿欄があり、俳句欄、短歌欄がありますね。戦前から存在し、無論、明治からありました。しかしながら、戦前のある時期に廃止された投稿欄がありました。それは、「漢詩」欄です。昨今では、高校国語でもあまり漢文を選択授業に設定しなくなったかもしれませんが、例の李白や杜甫が作った詩のことです。これは古典語(漢語)による詩作、という極めて高度な創造活動です。分かりやすく言えば、現代ヨーロッパの民衆が、ラテン語で詩作することに匹敵します。この漢詩形式による詩作は徳川日本でピークに達しましたが、明治になってもしばらくは、一般購読者による漢詩の投稿は盛んでした。ところが、明治がすすむにつれて、投稿数が減少し続け、漢詩の投稿欄は大正六(1917)年に消えたのです。
※参照 石川忠久/陳舜臣ほか『「漢詩」の心―自然を謳い人生を詠む』1995年プレジデント社、p.6

つまり、江戸文明(徳川文明)は、大正時代に消失した訳です。最後の徳川将軍、慶喜が没したのは、大正2(1913)年11月22日、享年76歳でした。

※人口学的な世代論については、詳細は下記の弊ブログ記事をご参照下さい。
徳川文明の消尽の後に(改訂版)/After the exhaustion of Tokugawa civilization (revised): 本に溺れたい


最後に、本書の丸山眞男論に触れたかったのですが、弊記事が長くなり過ぎたことと、他論者の丸山眞男論も含めて、別途論じさせて頂くこととします。

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2022年6月26日 (日)

菊池寛「私の日常道徳」大正十五年一月(1926年)

 これは、『ちくま日本文学027 菊池寛 1888-1948』ちくま文庫(2008年)pp.449-51、にあります、菊池寛三十八歳の処世訓です。作家というより、成功する実業家(businessperson)のもの、といった感がありますし、意外にも方法的人間なのだ、と思い直しました。デカルトの『方法序説』を少し彷彿とした、とまで云うと大袈裟でしょうか。下記です。

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2022年6月12日 (日)

Akutagawa Ryunosuke "Rashomon" Taisho 4 years (1915)

I read Ryunosuke Akutagawa's "Rashomon", 1915.

※参照 芥川龍之介「羅生門」大正4年: 本に溺れたい

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2022年5月19日 (木)

For what purpose does our country go to war?, by Akiko Yosano, 1918

Yosano Akiko Hyoronshu, 1985, Iwanami Bunko, pp. 192-5, "Why did you go to war?", source: Yokohama Boeki Shimpo, March 17, 1918.

 ※This article is an English translation by DeepL of our blog article "与謝野晶子「何故の出兵か」(1918年): 本に溺れたい".

 I regret to say that I believe a certain degree of military preservation is unavoidable. Just as it is necessary to have police to maintain domestic order, it is necessary for a nation to have a certain degree of military force to defend itself against international peace and trade interests.

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2020年9月21日 (月)

「戦後進歩史観」=「司馬史観」の起源について

 前回投稿の近代日本の史家の生没年に引き続き、「代替案のための弁証法的空間 Dialectical Space for Alternatives」様での議論を、弊ブログ記事にて再掲します。

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近代日本の史家の生没年

 この数日間、ブログ「代替案のための弁証法的空間 Dialectical Space for Alternatives」様のコメント欄で議論して頂き、重要なご示唆を幾つも頂きました。その一つの成果(?)を弊ブログにも投稿することとします。

氏名 生年 1912-1930年齢 没年
重野安繹 1827   1910
福澤諭吉 1835   1901
栗田寛 1835   1899
久米邦武 1839 73歳-91歳 1931
高橋是清 1854 58歳-76歳 1936
田口卯吉 1855   1905
三宅雪嶺 1860 52歳-70歳 1945
徳富蘇峰 1863 49歳-67歳 1957
山路愛山 1864 48歳-53歳 1917
Max Weber 1864 48歳-56歳 1920
津田左右吉 1873 39歳-57歳 1961
植原悦二郎 1877 35歳-53歳 1962
尾佐竹猛 1880 32歳-50歳 1946
J. M. Keynes 1883 29歳-47歳 1946
石橋湛山 1884 28歳-46歳 1973
高橋亀吉 1891 21歳-39歳 1977
三枝博音 1892 20歳-38歳 1963
福本和夫 1894 18歳-36歳 1983
三木清 1897 15歳-33歳 1945
宇野弘蔵 1897 15歳-33歳 1977
野呂栄太郎 1900 12歳-30歳 1934
大久保利謙 1900 12歳-30歳 1995
黒田覚 1900 12歳-30歳 1990
羽仁五郎 1901 11歳-29歳 1983
服部之総 1901 11歳-29歳 1956
大塚久雄 1907 5歳-23歳 1996
清水幾太郎 1907 5歳-23歳 1988
石井孝 1909 3歳-21歳 1996
川島武宜 1909 3歳-21歳 1992
石母田正 1912 0歳-18歳 1986
井上清 1913 0歳-17歳 2001
丸山真男 1914 0歳-16歳 1996
遠山茂樹 1914 0歳-16歳 2011
司馬遼太郎 1923 0歳-7歳 1996

 上記の表は、徳川末期から、昭和後半にかけて活躍された(文明)史家の生没年です。また表中の1912-1930年とは、ほぼ「大正デモクラシー」期と考えて下さい。

 このデータと、弊ブログ記事「徳川文明の消尽の後に(改訂版)/After the exhaustion of Tokugawa civilization (revised)」を組み合わせますと、いろいろ興味深い観察が得られます。その観察はまた別途にポストします。

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2020年5月 5日 (火)

徳川文明の消尽の後に(改訂版)/After the exhaustion of Tokugawa civilization (revised)

 徳川慶喜は、大正2年(1913年)11月22日に没しました。享年76歳。1868年の時点で、彼は31歳ででした。すると、不本意ながら人生の過半を、明治コンスティテューション(Meiji constitution)下で彼は過ごしたことになります。さて、そうすると、慶喜は江戸人なのでしょうか、それとも明治人なのでしょうか。

 日本における国勢調査は、大正9年(1920年)から始まります。したがいまして、精密な人口データはこれ以降であり、それ以前の人口に関するデータはそれぞれ推計しなければならないわけです。そこで、とりあえず第一回国勢調査のデータを使って、大正時代の年齢構成を調べてみましょう。

 ちなみに、国勢調査の時系列データは下記から容易にExcelファイルとして入手可能です。

国勢調査 時系列データ | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口

 大正9年の総人口は、55,963,053人。そこから、15歳未満人口20,416,202人を差し引きます。すると、大正9年の15歳以上人口35,546,851人が出ます。これが大正9年の大人人口と言ってよいでしょう。15歳前後で大人(予備軍)です。なぜなら、一通り大人になるトレーニングを済ませ、これから社会へ旅立つ年齢だからです。事実、この頃大抵の15歳は既に働いていました。

 一方、大正9(1920)年の65歳以上人口はといえば、2,941,356人。高校日本史でおなじみのペリー来航が嘉永6(1853)年ですから、この時生まれた赤ちゃんは、満15歳で「ご一新」に遭遇し、この第1回国勢調査のときには、67歳となっている計算です。ということは、この時点の65歳以上の人々は、明治維新(1868年)の際、既に徳川社会の息吹を胸深く吸い込み、脳裏に刻み込んでいる人々ということになります。いわば江戸人です。

 それでは、大正9年の大人社会における江戸人比率を出してみましょう。

2,941,356 ÷ 35,546,851 × 100 = 8.3%(大正9年の江戸人比率)

 意外にも、大正9年当時、大人社会において、江戸人は1割近く存命していたということがわかります。10人の大人集団にひとり古老がいれば、残り9名はさすがにその話に耳を傾けるでしょう。それは、大正の時代においても、江戸人が何がしかの重みを持っていたことを意味します。

 ところが、その五年後、第二回国勢調査(大正14年1925)において、70歳以上人口(江戸人)の大人社会に占める比率は、4.6%と半減します。上記の作業を、大正9年から昭和20年まで、6回の国勢調査について一覧表にしたものが下記です。

  総人口 (A) 0~14歳 (B) 15歳以上 (おとな人口) C=A-B 江戸人 (嘉永6年以前生まれ) D 江戸人比 D/C
大 正 9 年 1920 55,963,053 20,416,202 35,546,851 2,941,356 8.3%
大 正 14 年 1925 59,736,822 21,924,045 37,812,777 1,726,723 4.6%
昭 和 5 年 1930 64,450,005 23,579,265 40,870,740 881,444 2.2%
昭 和 10 年 1935 69,254,148 25,545,167 43,708,981 362,640 0.8%
昭 和 15 年 1940 73,075,071 26,368,708 46,706,363 103,099 0.2%
昭 和 20 年 1945 71,998,104 26,477,086 45,521,018 83,951 0.2%

 

以上のことを総合して整理すればこうなるでしょう。

 この列島の近代史において、明治コンスティテューションが、徳川文明の人的影響下から完全に離脱したのが、大正年間である。

〔註〕一つの状況証拠を挙げておきます。
21世紀の現代でも、新聞の投稿欄があり、俳句欄、短歌欄がありますね。戦前から存在し、無論、明治からありました。しかしながら、戦前のある時期に廃止された投稿欄がありました。それは、「漢詩」欄です。昨今では、高校国語でもあまり漢文を選択授業に設定しなくなったかもしれませんが、例の李白や杜甫が作った詩のことです。これは古典語(漢語)による詩作、という極めて高度な創造活動です。分かりやすく言えば、現代ヨーロッパの民衆が、ラテン語で詩作することに匹敵します。この漢詩形式による詩作は徳川日本でピークに達しましたが、明治になってもしばらくは、一般購読者による漢詩の投稿は盛んでした。ところが、明治がすすむにつれて、投稿数が減少し続け、漢詩の投稿欄は大正六(1917)年に消えたのです。
※参照 石川忠久/陳舜臣ほか『「漢詩」の心―自然を謳い人生を詠む』1995年プレジデント社、p.6

 故司馬遼太郎は、唾棄するほど昭和初期が嫌いだったといいます。それが「日本」であるはずがない。見事な本物の日本は別に、その前にあったはずだ。それが彼の明治国家顕彰の創作活動をもたらしました。

 しかし、司馬は少し勘違いしていました。もし明治に輝かしい日々があったのだとしたら、それは徳川文明を身に宿した江戸人によって支えられていたのであり、昭和初期が唾棄すべき時代であったとしたなら、それは明治の御世に大人になった連中、すなわち明治人によって、徳川文明の遺産が消尽された後に、もたらされたものなのです。

〔参照〕
1)明治: 本に溺れたい
2)明治エリートの起源: 本に溺れたい
3)徳川文明の消尽の後に: 本に溺れたい(本編の先行ver.)

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2019年5月12日 (日)

「左翼 left wing」の語源について

 21世紀の日本において、ほぼ死語となった感がある、「左翼」。

 かつて、共産主義、マルクス主義そのもの、あるいはそれに共鳴する政治的立場を象徴する言葉であったことは、ある年齢以上の人々には自明のことでした。最広義では、「平等」と「自由」を天秤にかけて前者を重視する人々も、この語で言われていました。

 元来は、18世紀末、フランス革命の渦中において、1792年のフランス国民議会の議場で、議長席からみて左側が急進派(ジャコバン派 Jacobins)、中央が中間派、右側に穏健派(ジロンド派 Girondins)が議席を占めていたことに端を発します。

※ 仏 gauche(ゴウシェ)  独 Linke(リンケ)   英 left 

 ヨーロッパの政治情勢の中で普通名詞化しますが、日本には大正中期から翻訳語として使われました。それが「左翼」であり、類義語「左傾」「左派」「左党」、等です。しかし、日本における「左翼」タームには、別の歴史的起源もありそうだと最近考えています。

 漢和辞典で「左」を引くと、②あたりに、〈低い地位〉という意味があります。例えば、「左遷」(組織の中でその地位が下がること)などは現代でも普通に使われてます。そして④あたりに、〈不正な〉という意味があり、用例として「左道(さどう)」とあります。これは古代中国から使われている語で、出典は、礼記‐王制「析言破律、乱名改作、執左道以乱政殺」です。小学館日本国語大辞典で「左道」を引くと、「(1)正しくない道。不正な道。邪道。」とあり、用例も、8世紀の『続日本紀』から始まり、19世紀の『南総里見八犬伝』「件の術は左道(サドウ)にして、勇士の行ふべきものならず」まで、6例紹介されています。つまり、日本語の歴史的用例としては、「左」の「道」は、道徳的・倫理的にネガティブな意味で使われてきたことが伺えます。

 Karl Marxの Das Kapital 第1巻が「明治維新」の前年(1867年)にハンブルグで出版されてから、高畠素之全訳日本語版(1920~24)が出されるのが半世紀後の大正年間です。マルクスの名は1900年前後には明治人の耳にもチラホラ届いていた一方で、1910(明治43)年の大逆事件のframe-upに見られる、「時代閉塞の状況」(石川啄木)が明治の御代に充満し始めていました。明治日本のシステム管理者たちも、欧州から流入する「left wing」に警戒感を高めていたでしょう。「左翼」という日本語が誕生したのも、ちょうどその頃です。その「左」観念に、日本語在来の語感が意味的干渉を起こすのは避けられなかったのでは?、と考えた次第です。「左翼」は、その誕生から stigma を負う運命にあったと言えそうです。

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2018年8月26日 (日)

芥川龍之介「羅生門」大正4年(続)

以前の続きで、主人公、下人の心情の推移を箇条書きにしてみました。

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2018年7月 3日 (火)

維新=ボリシェヴィキ革命、の最大の歴史犯罪

 維新=ボリシェヴィキ革命の最大の歴史犯罪は、神仏分離=廃仏毀釈です。

 二つの点が犯罪的でした。

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