三島由紀夫(Mishima, Yukio)

2025年5月11日 (日)

Literature as the Intoxication of Reason, or the Logical Liberation of Pathos

Long ago, Yukio Mishima wrote that the novel is "the intoxication of reason."

Yukio Mishima, Bunshō Dokuhon (1959; Chūkō Bunko, 1995, p.57), in his critique of Kyōka Izumi. See the blog category “Yukio Mishima: Hon ni oboretai

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「理性の酩酊」としての文学、あるいはパトスのロゴス的解放

 昔、三島由紀夫が、小説とは「理性の酩酊」だと書いていました。

 三島由紀夫『文章読本』1959年(中公文庫1995年、p.57)の泉鏡花評。カテゴリー「三島由紀夫: 本に溺れたい」をご参照

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2023年8月 6日 (日)

What is 'lucid writing'?/ Yukio Mishima (1959)

It is said that when asked about the secret of writing, Mori Ogai replied, "First, clarity, second, and third". This is one of the definitive attitudes of a writer toward writing. It is well known that Stendhal modeled his writing on the "Napoleonic Code" and created a style of rare clarity. In fact, it is this kind of lucid writing that is the most difficult for the layman to imitate and the most subtle to taste with the tongue. This is because it is the opposite of tastelessness, and yet it is the opposite of tastelessness.Here is what Herbert Read said about Hawthorne's writing style. It seems to me that this is a very lucid definition of what "lucid writing" is all about. Herbert Read says the following:

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「明晰な文章」とはなにか/三島由紀夫(1959年)

鴎外は人に文章の極意を聞かれて、一に明晰、二に明晰、三に明晰、と答えたと言われております。これは作家の文章に対する一つの決定的態度であります。スタンダールが『ナポレオン法典』を手本にして文章を書き、稀有な明晰な文体を作ったことはよく知られていますが、実は最も素人に模写し難い文章、舌で味わうにはもっとも微妙な味をもっている文章は、こういう明晰な文章なのであります。何故ならばそれは無味乾燥と紙一重であって、しかも無味乾燥と反対のものだからであります。このような文章について、ハーバート・リードがこう言っております。これはホーソンの文体について言ったものでありますが、私にはこれが「明晰な文章」というものに関する、非常に明晰な定義であると思われる。

「よき文体の秘訣は明晰な思考であると、ときどき言われる。なるほど、論理的な精神は悪しき文章の陥る多くの陥穽をかならず避けるものではあるが、散文芸術のためには他の特質が必要である。たとえば、思考よりも素早い目や、言葉の個性的特質その響き、大きさ及び歴史に対する感覚的感受性が必要である。さらにもっと何かが情況の全体性や完全性の知覚を意味する何かが存在する。その結果、言葉や文章ばかりでなく、これをもっと大きな、もっと持続的な統一体へ総合編成することが可能となるのである。」

 このハーバート・リードの言う「状況の全体性と完全性の知覚を意味する何か」、これこそが鴎外の文体の秘密であり、スタンダールの文体の秘密であります。こういう知覚をもたないものが、明晰な文体を志すとかならず無味乾燥で、味気ないかさかさの文体に陥ります。明晰な文体、論理的な文体、物事を指し示す何らの修飾のない文体、ちょうど水のように見える文体のなかにひそんでいる詩には、あたかもH2Oという化学式そのもののように、無味乾燥の如く見えながら、実は詩の究極の元素があるのであります。それは目に見えるキラキラした詩ではなくて、元素にまで圧縮された詩であり、抽出された詩であって、このような文体がもっているほんとうの魅力は、実は詩であり、ハーバート・リードの言う「全体的知覚」であります。また詩人のよく言うサンス・ユニヴェルセール(宇宙感覚)というものとも通ずるものでありましょう。

以上、引用は、
三島由紀夫『文章読本—新装版』中公文庫、2020年3月3日改版、pp.54-6、より。


文章読本、初出/改版、経緯
 『婦人公論』昭和34年一月号、別冊付録、中央公論社発行
 単行本 中央公論社 昭和34年6月
 文庫 中公文庫 昭和48年8月
 文庫 中公文庫 平成7年12月改版

〔註〕
1) 本記事の英訳版(English ver.)を本ブログに同時に掲載しました。ハーバート・リードから引用されている英語原文/出典に関心のある方は、そちらをご参照ください。

2) リードの訳文は、下記を参照。
ハーバート・リード『最後のボヘミア人』、飯沼馨訳、みすず書房、1955年、p.84、「14 ナザニエル・ホーソン」p.78-84
ハーバート・リード『芸術論集』増野正衛・飯沼馨/訳、みすず書房、1969年、「II ナザニエル・ホーソン」p.238-244

3) 三島のリードからの引用文は、高校時代から気になっていた。時折、自分でも調べるのだが全く不明。ここ15年ほどのインターネット上での情報環境の劇的向上で、個人でもかなりのことがわかるようになったので、近年また再アタックして、訳書、原本を5点ほど調べたが、皆目見当がつかず、手も足も出ない。ふと、東京都立図書館のレファレンスの利用を思いつき、依頼した。すると、一週間で、この年来の謎が氷解した。完璧なブック・レファレンス能力。素晴らしい。感謝感激雨あられ。皆さま、どうかこの素晴らしい図書館を使われますように。有難いことに、東京都以外の在住の方でも利用できます。本当に素晴らしいです。ありがとう、都立図書館さん。

4) フェノロサ、エズラ・パウンド、T.S.エリオット等の、イマジズムにおける「unity of image」とハーバート・リードの「a perception of the wholeness and integrity」の関連は、下記参照。
梅若実、エズラ・パウンド、三島由紀夫/ Umewaka Minoru, Ezra Pound and Mishima Yukio: 本に溺れたい
Unity of Image’ 、「能」から「Imagism」へ / 'Unity of Image' : from 'Noh' to 'Imagism': 本に溺れたい

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2022年2月21日 (月)

加藤楸邨の鉄道秀句/ Excellent Railway 'Haiku' by Kato Shuson

 下記のエッセイから「鉄道句」というカテゴリーを教えられました。

府川雅明「楸邨そして電車臭」、『となりあふ』第5号 pp.24-5、2022 spring

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2020年10月15日 (木)

梅若実、エズラ・パウンド、三島由紀夫/ Umewaka Minoru, Ezra Pound and Mishima Yukio

 三題噺です。

 

※続編を書きました。下記。
‘Unity of Image’ :「能」から「Imagism」へ / 'Unity of Image' : from 'Noh' to 'Imagism': 本に溺れたい

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2020年5月10日 (日)

「理性の酩酊」

 僕は、高校生以来、幾度となく三島由紀夫『文章読本』1959年(中公文庫1995年)を読み返してきた。時折、何かの拍子に、脳裏を過(よぎ)るのは、「理性の酩酊」という、三島の泉鏡花評だ。

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国語として、あるいは政治としての「文学」/ Literature as a national language or politics

 昔、三島由紀夫が小説とは「理性の酩酊」だと書いていました。

三島由紀夫『文章読本』1959年(中公文庫1995年、p.57)の泉鏡花評。カテゴリー「三島由紀夫: 本に溺れたい」をご参照。

 言語操作は明確に意志的、理性的な行為にも関わらず、その言語操作で創り出した世界に、ひとの理性/情念未分離の「こころ」を活写し、読み手は、文字を読むというロゴス的な手続きを経て、ロゴスの先にある不定形なある「もの/こと」を感取する。そういう力能が「文学」にあります。

 おそらく、文字以外のコミュニケーション・メディア、演劇、舞踊、音楽、スポーツ、武道、儀式、政治、といった身体表現メディアであれば、そもそも言葉と異なるチャンネルを使うので、理性/情念未分離の宇宙を創造可能なのでしょう。しかしそれらは、創作したはしから、テンポラリーに消えていき、現場の共有者たちだけが感得できる五感的世界となってしまう。したがって、理性を吹き飛ばされる感覚、ロゴスを超出する体験を得ても、その場その時を後にしてそこから空間的、時間的に退いてしまえば、旧態依然たる日常感覚に復してしまいます。

 そういう意味でいえば、文字で残る文学だけが、ロゴスに則りながら、ロゴスを超える可能性を持つ、のかもしれません。人間という存在の「わからなさ」「不気味さ」の証明の痕跡、ようなものが文学の「意味」なのか。文学が基本的に「読め」ない私にとって、文学は今でも、いつまでも「謎」です。

 こういう私が、中学、高校と最も忌み嫌っていたのは、「国語」のペーパーテストでした。なんで好き好んで、問題作成者の意図や心理を「忖度」しなければならないのか、と。当時の教員は変人が多かったので、国語科は嫌いではありませんでしたが。

 その頃から半世紀近く経過しようとしていますが、いまでも模試や入試は同じ感覚で作成提供されています。「文学」なんていうヤバいものを健全な青少年を screening するために加工する、という滅茶苦茶なことをするにはそうならざるを得ないとは思いますが、わざわざ original の「やつし」(それも自分レベルの)を量産し、問題作成者は「こころ」が痛まないのか?、という疑念に絶えずつきまとわれます。ぼやいてみても詮無いことですが。

 「政治」と「文学」を意図的に分離しようとしたのは、西欧に「literature」という fiction が成立して、それを教育機関で Teachingするという体制が成立して以降です。「小説」が大衆の消費財として大量生産されたときと軌を一にしているのでしょう。

 古代・中世、「政治」と「文学」は、知識人/読書人にとり別の事柄ではありませんでした。それが現代でも健在なのは中国です。「文」とは「志」を表現するもの、という「当り前」で三千年近くやっている訳ですから、そうやすやすと「近代化」なぞに飲み込まれる訳がない。

 おそらく、中国人における20世紀最高の詩人は毛沢東です。少なくとも彼は言葉を操る天才でした。「反面教師」「人海戦術」。現代日本人でさえ、ふと口について出るこれらの言葉は、「言葉の魔術師」毛沢東の original です。現代中国人がいまでも、「大躍進」「文化大革命」といった歴史的災厄をもたらしたこの「独裁者」を否定しきれないのは、彼の言葉の否定しようもない「力」のためです。幸い、日本には災厄レベルの「言葉の巨人」が出現することはなさそうです。せいぜい、頭が悪いアベが「国難」「国難」と騒いでいるのは、不幸中の幸いというべきなのかも知れません。

※本記事の改訂版を書きました。ご参照頂ければ、幸甚。
「理性の酩酊」としての文学、あるいはパトスのロゴス的解放: 本に溺れたい

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2020年3月 3日 (火)

2020年はどんな年か?

 すでに2020年も桃の節句となっていて、戦後日本人が初体験となる疫病との対峙中という時勢に、「今さら何を寝ぼけたことを」と、思われてしまいそうです。それでも、今、気づいてしまったので、とりあえず備忘録として残します。

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2019年12月31日 (火)

夏目漱石『こころ』1914年岩波書店

 ふとした気まぐれで、漱石の『こころ』を読みました。恥ずかしながら、初めての『こころ』体験です。

◆今回読んだ版本

 初版の縮刷版を昭和58年に岩波書店自身が復刻したものです。漱石の「序」によりますと、この版の装丁は全て漱石自身の考案、筆にかかるものだということです。具体的には、箱、表紙、見返し、扉、奥付の模様、題字、朱印、検印、すべてです。

 表紙には、康煕字典からの「心」の項が引用、デザインされています。※ オレンジ色の表紙装丁は何処からとったのか、金石文をあしらった凝ったデザインになっています。

※この件は、NAMs出版プロジェクト: 漱石と荀子:メモ、に詳しい情報が記載されています。

 見返しには、ラテン語で、「 ars longa, vita brevis 」と朱色で印された篆刻?風ハンコ様のものがあります。「芸術は長く、人生は短し」という格言ようです。


◆内容

 内容は三つに分かたれます。上「先生と私」、中「両親と私」、下「先生と遺書」です。元来は、四か月連載の新聞小説(東京/大阪朝日新聞)です。

 予告では、『心』なる短編集の第1部となるはずのもので、連載時の題名は『先生の遺書』でした。しかし、書きながら、これは簡単に終わらないな、と思ったらしく、短編集構想は断念され、『先生の遺書』として書き終えたこの連載小説(元の構想の第1部)での出版を決意した、とあります。で、この単行本に『心』と題することにした、とも言い訳しています。

 そういう屈折した経過が背後にあるせいか、この初版本は、本表紙『心』、背表紙『こヽろ』、内題『こころ』、箱の背表紙/タイトル『心』、意味不明のてんでバラバラのタイトルになっています。

 「先生と私」は、《私》と《先生》の邂逅とその後の展開を秘めた部分になります。「両親と私」は、《私》の帰省中における家族との挿話の中に、明治天皇の崩御、という大事件が差し挟まれています(復刻版p.159,p.165)。これは漱石のこの綿々とした内省的な小説が外部とつながる唯一の特異点のようです。「先生と遺書」はこの小説の半分の分量を占めています。遺書ですので、これ全て《先生》のモノローグです。


◆読後感

 正直言いまして、読み通すことが苦行でした。日本の近代文学の傑作、と人々が口々に言うので、読んでおかなくちゃ、という義務感から読了しただけです。

 小説中の、語彙、言い回しには、百年の落差を感じることができましたが、文体そのものには、ほとんど違和感はありません。漱石の文体において近代日本語の書き言葉はフォーマットを得た、というのも頷けます。ただ、漢字の当て字がとても多く、読めないこともままありました。

 私がこの小説を読むのに難儀した最大の理由は、漱石の描写する「ああでもない」「こうでもない」という内省的、倫理的な彷徨に辟易したからです。《「男」の腐ったの》みたいな、グチグチした心の呟き。これが私には肌が合いませんでした。

 この小説の登場人物で、私が同情を禁じえなかったのは、《お嬢さん(後の先生の奥さん)》です。なにしろ、彼女は何の咎もないのにも関わらず、《K》《先生》という彼女の周囲にいた男二人の「死」に巻き込まれてしまうのですから。

 この小説の三人の男性、《私》《先生》《K》は、結局、それぞれが漱石のキャラクターの分身だと思います。ということは、この小説の読み手は、ああでもない、こうでもない、とあっちに引っ張られ、こっちに引っ張り回された挙句、漱石の《こころ》の葛藤を読まされていることになります。これが私にはたまりませんでした。

 私の大好きな文学評論、三島由紀夫『文章読本-新装版』 (中公文庫 (み9-15))には、夏目漱石の一言半句も出てきません。その理由がようやく納得できました。その反面に、三島が森鴎外を激賞するのも了解できました。一見した文体や欧州滞在の長さから、漱石が西欧風で鴎外が東洋風な印象がありますが、これは全く逆です。漱石はかなり儒教的(朱子学的)でお説教臭く、鴎外は欧州的なコンテンツを漢学のプロトコルで表現したもので十九世紀欧州思潮的(バタ臭い)とみなしたほうがよさそうです。私の余生おいて、「文学の楽しみ」として漱石の小説を読むことは今後なさそうだと実感しました。thinkerとしての漱石は別ですが。

夏目漱石『こころ』1914年岩波書店〔補遺〕: 本に溺れたい
悲しみは《こころ》を解き放つ/ It is sadness to release the bound heart.: 本に溺れたい
漱石『こころ』はゲイ小説である: 本に溺れたい(追記20200619)

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