民主制の統治能力(2)/ Ability to govern in democracy (2)
知人より本記事(1)に応答がありました。
「米国は宗教的国家である、あるいは宗教が「つっかえ棒」だから、容易に社会秩序は崩壊しないはずだ(アーミッシュAmishを見よ)」というご意見です。
知人より本記事(1)に応答がありました。
「米国は宗教的国家である、あるいは宗教が「つっかえ棒」だから、容易に社会秩序は崩壊しないはずだ(アーミッシュAmishを見よ)」というご意見です。
バイデンが北米合衆国の大統領になるとしまして、それが日本全体にとって相対的に正負どちらの国益となるか、は今のところ、私に判断材料がないのが現状です。
※続編をご参照 民主制の統治能力(2)/ Ability to govern in democracy (2): 本に溺れたい
一つ言えることは、北米合衆国は、近代主権国家として統治能力を徐々に喪失しつつあるのではないか、という疑いです。
北米合衆国はその建国から人工的(約束事、言葉で)に組み立てられてきた国家です。彼らの二百年余しかない「伝統」としての「民主制」統治機構は、自由で、平等を求めた人民が、大陸で得られなかった理想を制度化したなどという麗しいものではありません。
それは、欧州伝統の身分社会からの余剰人口/棄民たちといった、混沌とした背景を持つ人間たち(あぶれ者、ならず者、犯罪者、革命挫折者、政治的/宗教的亡命者)が、とにもかくにも、あの巨大な大陸で分散的にサバイバル(欧州大陸とは異なる広大で過酷な自然環境、ネイティブアメリカンの排除/殺戮)しながら、大陸の禿鷹である諸列強、近代主権国家群の、草刈り場とならないための強力な統治機構(対内)=主権国家(対外)として創出したものです。
彼らに、手持ちの知的リソースとしてあった統治機構は、欧州から持ち込んだ王制、貴族制、貴族による共和制、人民による民主制(直接/代議制)ぐらいしかありませんでした。具体的には古代ローマ帝国の国制像ですが。
そもそも「平和な社会」「秩序ある国家」というものが、人間の美徳の有無とは関係なく、「社会技術(social technology)/社会工学(social engineering)」から創出されるものである、という社会観/国家観(人間集団へのシステム・アプローチ)など、先端的な学知者たちの間に萌芽的にしか生まれていない時代です。
彼らに資源(resource)として利用し得る統治機構は、在地ではタウンミーティング的直接民主制+間接民主制(州知事、州議会)、北米大陸に分散する人々を糾合する手段としては、間接民主制(連邦大統領、連邦議会)ぐらいしか思いつかなかった訳です。王制や貴族制をバラック小屋のように無から創出できるわけがありません。共有した歴史なしに人倫的共同体は生成しない。
しかし、北米合衆国の国制の根幹である、アメリカ的民主制統治機構が機能不全をきたし始めている。通常の近代国家であれば、歴史の共有経験から生成する人倫秩序の上に、近代主権国家機構の各種装置が上書きされてワーキングしていますから、多少その装置にガタが来ても、システムのパフォーマンスが劇的に低下することはありません(その意味からは、この列島の国家システムは、善悪/好悪を別としまして、robustとも評せます)。
北米合衆国は、歴史から生成される人倫的共同体なしに、「言葉」「約束事」だけで「国家」が維持されています。この「言葉」「約束事」の信頼性、安全性に疑念が生じてしまいますとこの国家を支える「つっかえ棒」の代替物がありません。
朝鮮民主主義人民共和国において、金王朝が倒れることがあれば、朝鮮半島北部に「自然状態」が惹起しかねないように、北米合衆国の統治機構としての民主制の機能不全は、理論的に「自然状態」を招来する可能性があり、それがこの列島の住民に何をもたらすのか、が喫緊の課題となりそうです。
また、北米合衆国の事例を教訓とするならば、人口数千万人から数億人というオーダーの「近代主権国家」を統治する機構として、「民主制」は過剰負荷状態ではないかということも考えるべきでしょう。以下は、2020年WHO発表の、2018年現在の世界人口ランキングです。「民主制統治」が必要悪であるなら、国家人口のダウンサイジングが必須となります。
順位/ 国名/ 総人口(千人)/ 男(千人)/ 女(千人)
1 中国 1,435,651/ 736,377/ 699,274
2 インド 1,352,642/ 703,056/ 649,587
3 アメリカ 327,096/ 161,847/ 165,249
4 インドネシア 267,671/ 134,788/ 132,882
5 パキスタン 212,228/ 109,217/ 103,012
6 ブラジル 209,469/ 102,996/ 106,473
7 ナイジェリア 195,875/ 99,238/ 96,637
8 バングラデシュ 161,377/ 81,677/ 79,700
9 ロシア 145,734/ 67,531/ 78,203
10日本 127,202/ 62,126/ 65,076
11メキシコ 126,191/ 61,721/ 64,470
12エチオピア 109,224/ 54,635/ 54,589
13フィリピン 106,651/ 53,601/ 53,050
14エジプト 98,424/ 49,733/ 48,690
15ベトナム 95,546/ 47,681/ 47,865
16コンゴ民主共和国 84,068/ 41,952/ 42,116
17ドイツ 83,124/ 41,013/ 42,111
18トルコ 82,340/ 40,612/ 41,728
19イラン 81,800/ 41,359/ 40,441
20タイ 69,428/ 33,833/ 35,595
21イギリス 67,142/ 33,144/ 33,997
22フランス 64,991/ 31,466/ 33,525
今月、興味深い産業ニュースが流れました。
ホンダが世界最高水準のエンジン効率47%、20年代目標 | 日経 xTECH(クロステック)
この記事中で、
ホンダは2018年に発売した「アコードハイブリッド」の2.0Lガソリン機で、最高熱効率40.6%を達成した。将来に向けては最高熱効率45%、比出力80kW/Lの両立を目標に開発を進めている。
という記述があります。すると、いま道路上を走っているガソリン車で、最高熱効率が40.6%ということですから、他の車はそれ以下の熱効率で走っている訳です。路上を最新のモデルだけが走っていることなどあり得ません。したがいまして、現代社会で使用中の自動車は、概ね、ガソリンを燃やした熱量の60%以上を外気中に捨てていることになります。
これは温暖化ガスのCO2が云々という暢気な話題ではありません。もし地球温暖化が事実ならば、その主犯は、石油を燃料とする内燃機関動力である、ということさえ疑われるレベルの話です。なにしろ、1L(1000cc)のガソリンを燃やすと、そのうちの600cc相当分の熱量を、大気中に垂れ流しながら走っているのが自動車なのです。
何故そんな無駄な行為が経済的に成り立つのか、と言えば、原油が cheap 過ぎたからです。
内燃機関動力の技術は19世紀末に確立し、人類の生活を飛躍的に rich にしたと思います。昔なら王侯貴族や上層臣民しか所有できなかったのが天蓋付き馬車です。ところが、その数百倍のパワーを持つ自動車を一介の労働者クラスにまで、内燃機関動力は持てるようにしました。T型フォードが出回るのは1908年。20世紀のピラミッドともいうべき、地上数百mという世界一の超高層ビルを目指す建築競争がNY市で勃発したのは、米国の Roaring Twenties です。また代表的な軍事ハイテクである飛行機が旅客機へ転用され始めたのも同じく戦間期でした。それらを可能としたのは、湯水のようにがぶ飲みできる、easy & cheap な oil を燃料とする内燃機関動力があったからです。なにしろオイルショック(1973年)以前の原油価格は、1バレルあたり2~3ドルでした。
After Peak Oil の21世紀の現在、それは一夜の儚い夢であったことが明確になっています。いま私たちに求められているのは、After Peak Oilの世界に生きざるを得ない子どもたちのために、私たちの「宴の後始末」を済ませて、安らかに棺桶に入ることです。
さしずめ、最優先事は、cheap oil でつっかえ棒をしてきた核利用の後始末、原子力発電所の出す核廃棄物の処理が問題です。
※参照
原発、トイレのないマンション( Nuclear power generation is a condominium without a toilet.): 本に溺れたい
理由は2つあります。まず、この核ゴミの処理を原発が産出する電力だけで実施するのは不可能です。高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)を、専用のステンレス製直径40cm、高さ130cm、総重量500kgの容器を製作したうえで、封入し、既に国内でストックしている、JR山手線一周分の放射性廃棄物を日本から地球の裏側のフィンランドの岩塩坑まで運ぶエネルギーを原発が産出する電力だけで賄うことは当方もなく難しいと思われます。第2に、そもそも、直接、あるいは間接的に投入されている石油から生成される、資源と動力で原子力発電所(一基)は建設されますが、原子力発電所(一基分)から創出される電力だけでは、もう一つの原子力発電所(一基分)を建設することは原理的に不可能だからです。
現生人類の、子孫たちへの責任が問われています。
J.C.ヘボン、和英語林集成、1886(明治19)年、にこうあります。
SHACHU(社中)( nakama uchi)n. Company, club, clique, party
SOCIETY n. Nakama, kumi, renchu, shachu, shakwai
また、小学館日本国語大辞典には、
「社中」
①神社の境内。(初見1480年)
②詩歌、邦楽の同門。連中。(初見1563年)
③組合や結社の仲間。(初見1560年本福寺跡書:蓮如教団のひとつ「堅田にも浦々より河役をとりて、社中に食ごとあり」、東海道中膝栗毛〔1802-9〕五「近所の社中(シャチウ)どもへおひき合せ申たい」
とあります。
つまり、「社中」という語彙は、凡夫たちの仲間集団を表す言葉として、この列島の中世末期の惣村自治とともに形成されているようです。徳川17世紀の大開墾時代も、新村の形成には必ず神社の勧進を伴っていましたし、なにより仲間盟約(Social contract)である「一揆」の集合場所でした。こうして、「維新」政権の神仏分離政策の事前予備調査のときには、社の数は18万余となっています。これは後の大字にあたる旧村の数と同じです。徳川末/明治初年の人口は35百万人、世帯人員を6名と仮定すると580万世帯、32世帯で1社を維持していた計算です。
この神社数は、後の明治39年(1906)の比較的正確な調査では、19万3千余社となっていますから、あの狂気の「神仏分離/廃仏毀釈」の混乱後に数は増やしていました。問題は内務省山縣派の策動です。
まず、1888年の市制町村制で行政村を政策的に創出し、村落自治の締め付けを始めましたが思い通りにすすまず、徳川期から連綿と続く自治単位、大字レベルの自然村がどうしても邪魔になり、日露戦争後、平田東助,一木喜徳郎の音頭で、戊申詔書の渙発(1908年)を契機として、「地方改良運動」の名目で、町村財政基盤の強化、勤倹貯蓄をぶち上げ、一村一社(明治末年11万社)と財産の町村への統合推進をします。このとき、村の神社祭礼行事の実行部隊であり、村落自治力の実行力を実質的に担っていた若者組/若衆宿(名称は青年会)を内務省・県主導で修養/奉仕団体に衣替えしていくことに成功しました。おそらく、この神社合祀と若者組改組が、近世惣村から続いていた地域自治の足腰が弱体化し、戦前の内務省の地方支配に最も効果があったのではないか、と推測します。
このかつての、自治的組織、村の防衛、消防等の実力装置としての、若者組/若衆宿は、変容しながらも「青年会」「青年団」として昭和期の地域社会に残存しました。それが高度成長期開始(1960年)以前の地域社会にも命脈を保っていたことは、三島由紀夫『潮騒』(1954年)にも活写されています。これは非エリート層の青年自治団体ですが、若者組/若衆宿の習俗は、旧制中学、旧制高校の寮にも自治団体として残り、戦後の国立大学の学生寮にも引き継がれて、60年安保の隠れた核ともなりました。60年安保騒動の後、文部省が国立大学の学生寮の全面的な閉鎖方針を打ち出したのは、学生寮の自治力を根絶するためだったと思われます。
戦後の公民館は、この列島の初期近代から続くコミュニティ・センター《神社》の、GHQの戦後改革《国家神道の廃滅》による強制的代置物でした(思想史家S氏の指摘)。これは、GHQの第三の刀狩り(第一は秀吉、第二は維新政権)に匹敵する、列島「近世」の息の根を止める効果があったかも知れません。 国史大辞典の「公民館」の項に以下のようにあります。
「第二次世界大戦後、社会教育法の制定(昭和二十四年(一九四九))に伴って設置された公立あるいは法人立の社会教育施設。・・・。公民館の歴史的源流は第一に戦前の日本農村に伝統的な「むら」の集会所(村屋(むらや)・若者宿・行屋(ぎょうや)および農村公会堂など)に求められるが、都市の隣保館・市民館、さらに労働福祉会館なども、その戦前的形態の一つであるといってよい。」
別の資料では、
「その数は図書館や博物館よりもはるかに多く,文部科学省の2008(平成20)年度調査では公民館15,943館,類似施設623館.日本独特の教育機関であり,海外に相当施設はあまりない.」図書館情報学用語辞典 第4版「公民館」
公民館は戦後民主主義の一つの象徴的成果と戦後日本人に記憶されてきましたが、GHQの余計なお節介は、この列島における「デモクラシーの学校」の歴史的リソースを直撃したことになります。
それにしても、徳川末期の神社数18万余(2000年代で約8万)という数字は、現代日本の公民館1万6千、コンビニ5万、と比較してみると、驚くべき多さであることが実感されます。ついでにいえば、考古学者によると、現代日本にある古墳は16万基、既に削平され消滅したものが優にこの倍以上あったと推定されています。前方後円墳だけでも5千基あるそうです。(松木武彦『未盗掘古墳と天皇陵古墳』2013年小学館、P.3)
表題を見て、何のことかと首を捻る方が多いのではないでしょうか。これは、1918(大正7)年夏、富山県の魚津町から始まった、米騒動のニュースを取り上げたある新聞の見出しです。その全体像は下記の表をご覧ください。
| 米騒動〔1918(大正7)年〕 | |||||
| 期間 | 1918年7月23日 | ~ | 1918年9月12日 | ||
| (約50日間) | |||||
| 地域 | 1道3府38県の38市153町177村、計368か所 | ||||
| 参加人員 | 数百万人 | ||||
| 鎮圧人員 | 120地点に10万人以上に達する軍隊、及び警察 | ||||
| 検挙者 | 検挙 2万5000人以上、検事処分8200人以上 | ||||
| 影響 | 寺内正毅内閣退陣 | ⇒ | 原敬内閣 出現 | ||
上記の規模を再考すると、60年安保かむしろそれ以上のインパクトがあったといえるのではないでしょうか。徳川期の都市騒擾、打毀(うちこわし)との民俗的連続性を含めて、この事件を日本近代史上において、既存の解釈とは別の文脈で考える必要があると感じます。
※上記データは、日本大百科全書(小学館)「米騒動(江口圭一筆)」より。
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ふと、頭をよぎったことがある。政治思想史のテキスト類には、西欧初期近代の部に必ず、「社会契約」論の項があり、思想家の肖像画や代表的著作は図版で載る。
しかし、そういった政治思想史のテキスト類で、日本中近世の部に「一揆」が触れられることはない。一方、西欧史テキストの、初期近代の部で「社会契約論」が思想家の名とともに記述されることはあっても、その「社会契約」書そのものは図版で見ることは決してない。一方、高校の日本史教科書でも、「一揆」書状の現物写真は「唐傘連判状」などが堂々と掲載されている。
史料1 『福井県史』通史編4 近世二
写真94 若猪野村傘連判状
史料2「歴史・教育・旅・グルメ」さんの、「歴史教材」表中の、
「100 申合(唐傘連判状)1763年複製自家製」
一体、これはどういうことか。それは単に日本中近世の「一揆」は現実で、西欧初期近代の「社会契約」はフィクションだ、ということを示すに過ぎないのではないか。いったい我々は誰の眼を借りて自分たちを見ているのだろうか、と。
※(20180626)下記、弊ブログ記事参照
社会契約モデルとしての「一揆」
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いじめに関して素晴らしい文章があったので、まずご紹介。
子供が純真で素朴であるというのは大人の思い込みに過ぎない。大人の目の届かない子供の世界は、一種の野生状態であり力と駆け引きがもの言う世界である。
・・・
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戦国時代と呼び習わされる百年を超える内戦を経験した16世紀日本列島。この流血と飢餓にまみれた自然状態に終止符を打ったのが織豊政権であり、徳川氏のリヴァイアサン、すなわち「公儀」権力と、列島を覆う「一揆」という社会契約であった。
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約150年続いた列島史上最大の内戦、室町末期の戦国の世。この自力救済の時代を終息させたのが、織豊権力と徳川氏であった。
実力(武力)による自力救済の抑圧・禁止。そして平和の回復。これこそが、これら近世権力の目標のアルファであり、オメガであった。それを最終的に達成したのが、徳川氏の権力というわけである。徳川氏は列島を覆う平和団体を作り出すことに成功した。それを私は「社会契約としての一揆」として解釈する。つまり被治者たちの同意が調達されていたと見るわけだ。
その証拠に、武士たちの所有管理する以上の鉄砲が、村には「農具として」存在した*。それにも関わらず、村方騒動に鉄砲が動員された形跡は19世紀のある時期まではない。村方で暮らす人々においても、「平和団体」としての一揆契約を結んでいたと仮説しても不合理ではあるまい。250年以上、戦争ら
しきものがなかったという事実が人類史的にまれなのは、17世紀から19世紀の西欧が戦争で明け暮れていたことを思えば、一目瞭然だろう。少なくともこの一事において、同時代の西欧諸国家より、徳川権力のほうがよほどマシだった言えるのではないか。
簡単に言えば、徳川氏は列島内の「平和団体の管理者」であって、統治者と厳密に言えるかどうかは、再検討の余地があるようにも感じている。
こういう性格の権力が、それとは全く異なる考え・仕組みを有する西欧主権国家群と19世紀に邂逅したのである。徳川「公儀」政府が歴史から退場する運命にあるのは、その設立目的からして当然だろう。
問題は、列島上にいかなるコモンウェルスを構築するのか、ということろにあった。史実としては、西南諸藩による「維新」によって新権力は作られた。これをいままで私は軍事力による「獲得によるコモン-ウェルス」だとばかり考えてきたが、少なくとも最初期の「政府」には、社会契約行為による「設立のコモン-ウェルス」の要素も濃かった、と考えたほうが自然なのではないかと今思い始めている。だからこそ、列島を二分するような内戦は回避された。
二世紀半を超える「徳川の平和」を過小評価するのは、もういい加減やめたほうがよい。現代のグローバル・ヒストリー的見地からの再評価が必要だと思う。
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社会科学においては、その理論的ツールを、もっぱら西欧の知的伝統に負う。歴史的に育まれてきたさまざまな知的資源から、西欧人たちが、そのまま流用したり、再定義、再構成したりしてこの分野の議論を豊かにしてきた。「社会契約」などという概念はまさにそうだろう。
日本の中世史家の勝俣鎮夫、久留島典子
、近世史家の尾藤正英
などによれば、戦国大名から徳川まで、百姓には百姓の、武士たちには武士たちの、平和(つまり、自力救済の禁止/ Prohibition of self-help)を目指す団体が自生的に形成されていた。それが「一揆」である。
結局、戦国時代という名の、自然状態に止めを刺した、豊臣や徳川のリヴァイアサン(Leviathan)も単にその優越する武力でそれを達成できたわけではなく、列島を覆った「一揆」という社会契約に乗ることでそれが可能となったという訳である。
久留島が指摘するように、近世武家社会の一特徴である、「主君押込の構造」(笠谷和比古)や、惣村自治の伝統もここから導き出せるのは、見やすい道理だろう。
18世紀末から19世紀前半の、開国から幕末にかけて列島を沸騰させた右往左往は、この伝来の社会契約モデルである「一揆」から、いかにして西欧主権国家群に対応可能な国家モデルを生み出せるか、という列島史における歴史的実験だったとも言える。
結局、それは、明治コンスティテューションという、西欧型主権国家モデルでもなければ、在来型社会契約モデル「一揆」でもない、鵺のような代物を生み出し、あげく、制御に失敗し、1945年で一旦、それはこの地上から葬り去られた。
さて、それでは現在の占領期コンスティテューションは、完全に西欧型主権国家モデルに衣替えできたのであろうか。それを確認するためにも、日本人の手で、在来型社会契約モデルとして、「一揆」を再構成、再定義することに、知的冒険の価値はあるように思う。
※(20180626)下記、弊ブログ記事参照
現実としての「一揆」と思想としての「社会契約」
■参照
※弊ブログ記事 Anstalt とVerein
※外部リンク
哲学者、翻訳家・中山元の書評ブログ : 『西欧中世の社会と教会-教会史から中世を読む-』リチャ-ド・ウィリアム・サザン著(八坂書房)
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