初期近代の覇権国「オランダ」の重要性/ Importance of the Netherlands as a hegemonic power in the early modern period
西欧世界における初期近代(Early modern)である17Cの覇権国は、北部ネーデルランド連邦共和国でした。
西欧世界における初期近代(Early modern)である17Cの覇権国は、北部ネーデルランド連邦共和国でした。
Liang Shuming(梁漱溟), a 20th-century neo-Confucianist who spent his youth as a Buddhist and then, as an adult, became a Confucianist under the Shi Dao, said that the biggest difference between the two is that "Buddhists say that life is painful and hard, while Confucians say that life is fun and enjoyable.
これは、『ちくま日本文学027 菊池寛 1888-1948』ちくま文庫(2008年)pp.449-51、にあります、菊池寛三十八歳の処世訓です。作家というより、成功する実業家(businessperson)のもの、といった感がありますし、意外にも方法的人間なのだ、と思い直しました。デカルトの『方法序説』を少し彷彿とした、とまで云うと大袈裟でしょうか。下記です。
先の宇野重規氏のトクヴィル本から教えて頂いたことで最も面白かったのは、アメリカ人が、「デカルト読まずのデカルト知り」だというトクヴィルの指摘です。このエートスは福澤諭吉のそれとそっくりだと思ったわけです。トクヴィルは続けて、すべてを疑っていてはむしろ大海原に浮かぶ小舟のようになる(これは私流の言い換え)ので、むしろ信仰が必要だと論じました。これも晩年の福沢の帝室論/宗教論と通底する部分があります。
まずは二書からの引用をみて下さい(引用中のカラーフォントは引用者による)。
現象学の立場から言えば、私たちは心のなかにあるもっとも純粋な状態を拠り所にすることで、世のなかにある様々な偏見に囚われずにものを見ることができる。文字文化や学校教育からくる夾雑物を取り去って、心を惑わすものから純化された、最も正しいものを見ることができる。これがサルトルの立場であり、もともとはデカルトの立場である。
加藤尚武『20世紀の思想 マルクスからデリダへ』1997年PHP新書 、第四章解釈学と構造主義、「デリダ」p.118
それはつまり程度の差こそあれ善は人間の普遍な必然であり、悪は人間の必然ではないとする思考である。悪はむしろ人間の偶然であり、たとえば鏡の表面に付着したほこりである。それを除去すれば、本来の明鏡に復帰し得るというのが、宋の朱子学の説であり、江戸初期の惺窩羅山の祖述するものも、それであった。
吉川幸次郎、「仁斎・徂徠・宣長」序、決定版 吉川幸次郎全集〈第17巻〉日本篇(上)、1975年、p.545
上記二書における、現象学と朱子学の要約がそれぞれ適切であるなら、西欧におけるデカルト(1596-1650)の相対的位置は、中華帝国における朱子(1130-1200)に比定できます。中国史における「宋朝近世」説あるいは「初期近代としての宋朝」説への、一つの手掛かりと考えても宜しいでしょう。
〔参照1〕cogito ergo sum(われ思う、故にわれ在り): 本に溺れたい
〔参照2〕小津富之助とは何者か(2): 本に溺れたい
20世紀の新儒家・梁漱溟(Liang Shuming)は、仏教徒として青少年期を過し、成人になってから士大夫御用達の儒家に開眼した人物ですが、彼は「仏家は生きるのが苦しい苦しいといい、儒家は生きるのが楽しい楽しいという」点が最も違う、と述べています。
石油文明以前のリアルな世界は、庶民にとり生きるのもやっとの物質水準であり、人々は天候不順などでいつ飢餓に見舞われるかもしれない危険に常に直面していました。しかし、その現実は余りにも耐えがたい。衆生がこの過酷な現実を辛うじて受け入れるためには、伝統的な普遍宗教は来世(あの世)に第二の「真実の幸福な生」を想定せざるを得なかった。あるいは、そういう合理化をしてくれた「教え」が普遍宗教として世界化したのでしょう。そういう意味で、普遍宗教は洋の東西を問わず、「彼岸志向」あるいは「現世拒否」です。
ところが、初期近代の西欧では、ペストの大災厄、大シスマ(教皇権鼎立 Magnum schisma occidentale)、修道院の大企業化等、続けて幻滅させられたローマ・カトリックに加え、三十年戦争でプロテスタンティズム教団も大して変わらない現実を思い知らされ、ほとほと《来世》を《現世》で仕切る「現世の宗教体制」に幻滅した結果、《来世》でも《現世》でもない「未来」に幸福(the Paradise)を賭ける、というウルトラCを打ち出す一群の《未来教/進歩教》の預言者たちが出現したのです。ベーコン、ホッブズ、デカルトあたりです。
当然、大部分の庶民も同じ気分だったでしょう。だって、眼前に悲惨な《現世》があり、《来世》に幻を見ることができないなら、人は立つ瀬がありません。こうして、破天荒なプロジェクトの進軍ラッパが吹き鳴らされました。西欧人たちは、《現世》のただ中で、《来世》を創出する、というのです。ただし、それには「未来」という名がついていました。「未来」とはなんでしょうか。その実態は、《来世》の「やつし mīmēsis」なのです。これが、Max Weberのいう「世俗における現世拒否/ Weltablehnung / rejection of the world 」です。そして、これが西欧人の「modernity 現代(近代)」志向の駆動力でしょう。
ローマ・クラブの1972年報告「成長の限界」が出て以来、実に半世紀が経ちますが、それでも一向に「成長」志向が止まらないのは、西欧近代における「未来=成長」は、彼らにとって「神なき時代」における「幸福な来世 the Paradise」の代替物(「やつし」)であるからです。
しかし、一方で、初期近代の日本列島でも同じようなことがおきます。17世紀は、第一次「日本列島大改造」でした。この時、大開墾が限界地ぎりぎりまで行われ、同時に急激な人口増があり、いわゆる「高度経済成長」期でもありました。中世まで「憂き世」と表記されていたのに、この時代になると「浮き世」と書かれるようになったのです。その一つの「成果」が、お大尽紀文であり、芭蕉/西鶴/近松の元禄文化です。
地球の向こう側とこちら側で似たようなことが同じタイミングで起きたのです。西欧では三十年戦争(第ゼロ次世界大戦)でしたが、列島では戦国時代の百年戦争(内戦)でした。十六世紀に長く続いた北半球の寒冷化と十七世紀の温暖化がそのベースにあるのでしょう。あちら側ではローマンカトリックvs.反ローマ(プロテスタント/進歩史観/啓蒙思想)の思想戦でした。こちら側では、戦国内戦期に自己変革し、大衆化した新「仏教」による実質的国教化(国民の総檀家制)が実現しました。同じ「初期近代」でもこの違いが、西欧「modernity」と徳川日本「近世」の違いを生み出したと考えられます。もちろん善悪、好悪とは別の話です。
※本記事の英訳版があります。下記をご笑覧頂ければ幸甚。
The future as an imitation of the Paradise: 本に溺れたい
デカルトのあまりにも有名な、「cogito ergo sum(われ思う、故にわれ在り)」ですが、これはラテン語の表記です。しかし、デカルトは、従来と同じように、ラテン語で語り/書く学識者だけを相手とすることを嫌い、母語であるフランス語で『方法序説』(1637)を書きました。ということは、己の思惟の出発点とする記念すべき原理を、わざわざラテン語表記にすることは道理に合いません。はたして、「cogito ergo sum」という句は、『方法序説』にあるのでしょうか。
まず、『方法序説』(1637)です。第4部に、「je pense, donc je suis」と斜字体のフランス語(ラテン語ではなく)、で書かれています。下記参照(マウスポインタを重ねれば別ウィンドウの鮮明な拡大画像で読めます)
※参照 デカルト『方法序説』1637年、レイデン(谷川多佳子訳、岩波文庫版1997年)
次は、デカルト本人がラテン語で書いたものはないか、ということですが、一応あります。『哲学原理』(1644)第一部7、10にあります。下記(マウスポインタを重ねれば別ウィンドウの鮮明な拡大画像で読めます) 。
ただし、巷間に流布しているものはと微妙に異なって、これも斜字体「ego cogito, ergo sum」で同じ頁に二箇所あります(第三パラグラフ、第六パラグラフ)。意味は同じです。「われ思う、ゆえにわれ在り。」流布している形と比べると、前半部の主語が省略されていないようです。
『方法序説』はより多くの人々へ開かれた言説ですが、『哲学原理』は学識者への再説ですから、こういう違い、一方はフランス語表記、他方はラテン語表記、は当然あり得るでしょう。従いまして、この違いがデカルトの主張に根本的な違いをもたらす訳ではありません。別の機会に、ホッブズの「人間は人間にとり狼である。」のフレーズは『リヴァイアサン』にはない、という記事を書いたことがありますが、それと似たようなことと言えそうです。以上、「cogito ergo sum」にまつわる既成観念について、事実確認をしてみました。
※homo homini lupus.「人間は人間にとって狼である」(ver.1.2)
デカルトの主張に関して言えば私はこう思います。17世紀、宗教戦争が荒れ狂い、人倫的秩序が崩壊し、混沌とした寄る辺ない欧州世界を、確実な根拠から立て直そうとしたデカルトの悲壮な知の冒険には、敬意を払うに吝かではありません。そしてこの試みが、近代自然科学の出発点になったということにも、自然科学の恩恵をたっぷり享受している21世紀に生きる私にとりとやかく言うこともできない気がします。
ただ、一方で「確かな自己」のというのは、自分一人だけでは成立できず、常に他者から(あるいは世界から)のフィードバックがあって初めて納得できるものでは?、と考えてしまいます。いま、地球上に自分一人しか生き残っていないなら、何と虚しい世界か、とも思います。
デカルトは、母国の煩わしく、宗教的すなわち政治的に常に危険をはらむ人間関係から離脱して、北部ネーデルランドの大都市へ逃れます。それはどこかの山中に孤独に隠遁することとは正反対で、活気ある人々の海の中に隠れたのでした。そして、大都市の喧騒の中、精神は静謐さを得て、密かにではありますが、改めて「世界」へ、「他者」へ、自己のメッセージを構築し、再びコミュニケートを再開しています。そうして自分のアイデアの確かさを確認していきます。デカルトは基本的に当時の貴公子ですが、意外に人付き合いの上手な人物だったかもしれません。彼が仮に一人になることも辞さなかった(それでも、アイデンティティが揺らがなかった)のは、そのような身分的背景とともに、イエズス会で教育されたクリスチャンであったことも与って力があったとも考えられます。
※参照、弊ブログ記事。
デカルト『方法序説』1637年、を読む
※参照
初版『方法序説』仏文
Discours de la méthode pour bien conduire sa raison et chercher la vérité dans les sciences , plus la dioptrique, les météores et la géométrie qui sont des essais de cette méthode | Gallica
『哲学原理』ラテン語
Renati desCartes Principia philosophiae : René Descartes : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive
デカルト『方法序説』1637年、レイデン(谷川多佳子訳、岩波文庫版1997年)版
本文99頁、訳者註23頁、訳者解説9頁
その三つを合わせても131頁。とても薄い。いつでも読める、と思うのでしょうか。未読なのに、既読感だけあるため、食指が動かない。これが《古典》と言うものなのかも知れません。右は教科書によく載る、フランス・ハルス作のデカルトの肖像画です。享年54歳のデカルト晩年の姿と推定されています。
Discours de la methode pour bien conduire sa raison, et chercher la verite dans les sciences. Plus la Dioptrique, les Meteores et la Geometrie, qui sont des essais de cette methode.
(理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話〔序説〕。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学)、訳者解説より
原文全体で500頁を超える科学論文集(屈折光学、気象学、幾何学の3編)の冒頭の序文78頁が本書です。後世、序文だけが独立して読まれ『方法序説』として人口に膾炙するようになりました。
出版年は1637年。出版地はレイデンLeiden(オランダ)。出版者は、ヤン・マイレ書店。無署名です。
■1.書誌情報(時代)
1637年(17世紀前半)はどういう年でしょうか。
デカルトの母国フランスは、1635年に第ゼロ次世界大戦ともいうべき三十年戦争(ドイツが主戦場)に、カトリック大国として参戦し、1638年には5歳のルイ14世(後の太陽王)が即位します。イングランドの地は、5年後の1642年にピューリタン革命が勃発して足掛け8年間「王国 Kingdom」ではなく「共和国 Commonwealth」でした。北部ネーデルランド(≒オランダ、カルヴァン派)が共和国として宗主国スペイン(カトリック)との独立戦争の真っ最中。北アメリカでは、1620年にメイフラワー号に乗ったピルグリムファーザーズがニューイングランドのプリマスに上陸しています。1638年には牧師養成のためハーバード大学が設立されます。ドイツは欧州中の王国(傭兵)軍が乗り込み新旧キリスト教が入り乱れての三十年戦争で焦土と化しつつありました。
一方、ムガル帝国では壮麗なタージ=マハルが造営(1632~53年)されています。満州族によって建国された後金が国号を清と改称(1636年)し、1644年北京に入城します。明末の1637年、産業技術書である『天工開物』が出版されました。日本では島原の乱が1637~38年、1638年ポルトガル船の来航が禁止、1641年平戸のオランダ商館員が出島に移送されて徳川公儀による管理貿易体制(「鎖国」体制)が完成しています。
■2.書誌情報(出版地1)
出版地である学術都市レイデンはオランダ(というよりは北部ネーデルラント共和国)にあり、17世紀オランダは1625年~75年はヘゲモニー国家でした(ウォーラーステイン)。オランダでは「黄金時代」と呼ばれています。西欧の最先端経済を有していました。デカルトが、静謐で自由な研究環境を求めて1628年異国であるオランダに移住してから、49年の秋,スウェーデンのクリスティーナ女王に招かれてストックホルムに向かうまで20年間もオランダ住まいだったのは十分な理由があります。ウォーラーステインから引用します。
オランダは、「哲学者にとっての天国であった」。(中略)デカルトは、フランスではえられなかった落着きと安定をオランダに見いだした。スピノザは、破門されてセファルディ(スペイン)系ユダヤ人のヨーデンブラー通りから追い立てられ、オランダ人市民の住む、より友好的な地域に引っ越した。ロックもまた、ジェイムズニ世の暴虐を逃れて、オランダ人がイギリスの王位についた、より幸せな時代まで、この地に避難場所を求めた。(中略)オランダは間違いもなく、フランス人ユグノーにとっての亡命地であった。しかし、オランダ人はきわめてリベラルで、ユグノーをも受け入れたが、ヤンセニストをも受け入れたのである。同様に、ピューリタンと王党派とウィッグのいずれをも、受け入れたのである。それどころか、ついにはポーランドのソッツィーニ派をさえ、受けいれてしまったのである。いわば、それらはすべて、「禁止は最少に、導入はどこからでも」というオランダ人の商業上の原則のおかげを蒙ったのである
(I・ウォーラーステイン著、川北稔訳『近代世界システム 1600~1750―重商主義と「ヨーロッパ世界経済」の凝集』名古屋大学出版会、一九九三年、六九頁)
■3.書誌情報(出版地2)
本書の出版地レイデン Leiden 。ドイツ語、英語読みはライデンです。
この都市の発展は毛織物工業の成立した14世紀以降で、とくにオランダ独立戦争の過程でフランドルやブラバント地方といった、南部ネーデルラント〔Neder 低地の landen 国々〕から織物職人が難民として市内に大量に流入し、新しい毛織物工業を伝えたのがきっかけです。おかげで、16世紀末から17世紀にかけて再び毛織物工業がめざましく発展し、17世紀には西ヨーロッパ最大の毛織物工業都市に成長しました。そのため、人口はアムステルダムに次いで約10万人に達しました。21世紀現在の人口も12万人弱ですから、その巨大さが想像されますし、デカルトが欲した静謐で自由(=一人になれ、かつ生活がコンビニエント)な研究環境がそろっていたことが了解できます。
オランダ独立戦争中の1573~74年にスペイン軍に包囲されましたが、堤防を切断し洪水を引き起こして撃退しました。翌75年オラニエ公ウィレムがこの勝利を記念してオランダ最初の大学であるライデン大学をこの地に創設します。しかもその直後にグロティウスらの学者を輩出し、初期近代ヨーロッパの学術的中心地の一つになります。人文,天文学,解剖学,植物学,物理学,化学などの部門を持ち、カルバン派神学の中心として多くの外国人学生を引きつけました。デカルトがオランダに強く惹かれたもう一つの点でしょう。現大学にはオランダで唯一の日本学・韓国学センターが置かれていて、大学付属の薬用植物園も1587年の創立と古く,ここにはシーボルトが日本で採集した植物もあり、日本と因縁浅からぬ大学都市です。また、レンブラント、ヤン・ステーンら著名な画家の生地でもあります。先の、ウォーラーステインからの引用にもあるように、宗教上の亡命者に寛容で、北アメリカへ移住する直前の10年間、ピルグリム・ファーザーズはここに住み、1620年このレイデンからイングランドのサウサンプトン経由(新たな参加者を募集)で、北米・東海岸のプリマスに向かいました。
■内容1
中身は、六部に分かれます。デカルトの言葉によると、
第一部 学問にかんするさまざまな考察
第二部 探求した方法の主たる規則
第三部 この方法からひきだした道徳上の規則
第四部 神の存在と人間の魂の存在を証明する論拠、つまり著者の形而上学の基礎
第五部 自然学の諸問題の秩序、とくに心臓の運動や医学に属する他のいくつかの難問解明とわれわれの魂と動物の魂との差異
第六部 自然の探究においてさらに先に進むために何が必要か、また本書執筆の経緯
ということになります。
■内容2
有名どころの章句の所在を二箇所あげます。まず例の「コギト」です。引用は全て岩波文庫版より。
第四部 pp.45-46
ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた。こうして、感覚は時にわたしたちを欺くから、感覚が創造させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした。次に、幾何学の最も単純なことがらについてさえ、推論をまちがえて誤謬推理(誤った推理)をおかす人がいるのだから、わたしもまた他のだれとも同じく誤りうると判断して、以前には論証とみなしていた推理をすべて偽として捨て去った。最後に、わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべてそのまま眠っているときにも現れうる、しかもその場合真であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべて偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在リ〕」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。
次に、「自然の主人」の章句です。
第六部 p.82
わたしは、これらを隠しておくことは、力の及ぶかぎり万人の一般的幸福をはかるべしという掟に照らして大きな罪を犯すことになる、と思った。なぜなら、これらの知見は次のことをわたしに理解させたから。すなわち、われわれが人生にきわめて有用な知識に到達することが可能あり、学校で教えているあの思弁哲学の代わりに、実践的な哲学を見いだすことができ、この実践的な哲学によって、火、水、空気、星、天空その他われわれをとりまくすべての物体の力や作用を、職人のさまざまな技能を知るようにはっきりと知って、同じようにしてそれらの物体をそれぞれ適切な用途にもちいることができ、こうしてわれわれをいわば自然の主人にして所有者たらしめることである。
■内容3
私が気になったのは、デカルトの生き方の方法ではなく、方法的生き方です。これは、世俗のただ中に、修道士的生活態度を堅持する、という禁欲的プロテスタンティズムのエートスそのものです。プロテスタントの最大教派の一つである、メソディストMethodistは、〈聖書に示されている方法methodに従って生きる〉ため、そう呼ばれました。終生カトリックから離れなかったデカルトですが、その堅信的な〈方法的生き方〉は、禁欲的プロテスタンティズムのエートスとなんら変わるところがありません。それはまた、Max Weber の言う、「行動的禁欲 aktive Askese」そっくりです。
第三部 pp.42-43
そのうえ、わたしは自分に定めた方法を使いこなす練習をつづけていった。というのも、自分の思想すべてをこの方法の規則に従って導くよう全体にわたり努めたほかに、ときどき何時間かをさいて、とくに数学の難しい問題、さらには、数学の問題にほぼ似た形に直すことのできた他のいくつかの問題に、この方法を実際に適用した。それは、これら数学以外の問題を、わたしがあまり堅固でないと思っていた他の諸学問の原理すべてから切り離すことによっておこなった。さてこうして、隠やかで邪念のない生活をするほか何の仕事もなく、快楽を悪徳から分けようと努め.また退屈せずに余暇をすごすために品位あるあらゆる気晴らしにふける人たちと、見かけは変わりのない生活をしながらも、わたしは自分の計画を追究しつづけ、ひたすら真理の認識に前進をつづけた.おそらく、ただ本を読んだり、学識者と付き合うだけだったよりも、はるかに先に進んだのである。
もう一点、気づいた事は、デカルトは典型的な都市型知識人だということです。生活を便利さを享受しつつ、個としての自由、内面的自由を維持するには、大都会という隠れ家がぴったりな訳です。
第三部 p.44
そしてちょうど八年前、こうした願望から、知人のいそうな場所からはいっさい遠ざかり、この地に隠れ住む決心をした。この国には、長く続いた戦争のおかげで、常備の軍隊は人びとが平和の果実をいっそう安心して享受できるためにだけ役立っている、と思えるような秩序ができている。ここでは、大勢の国民がひじょうに活動的で、他人の仕事に興味をもつより自分の仕事に気をくばっている。わたしはその群衆のなかで、きわめて繁華な都会にある便利さを何ひとつ欠くことなく、しかもできるかぎり人里離れた荒野にいるのと同じくらい、孤独で隠れた生活を送ることができたのだった。
cogito ergo sum(われ思う、故にわれ在り) へ続く
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「他山の石」とは、石を磨くのに使う、もう一つの石のこと。転じて、他人の善いおこないは見習い、悪いおこないは自分の戒めにすること。「人の振り見て我が振り直せ」の意。
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外山滋比古氏が『思考の整理学』1986年ちくま文庫、の文庫版あとがきで興味深いことを述べています。
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